禁海の姫と迷い竜
清見こうじ
忌まわしの姫
【……こっちへおいで……】
【おいで……ここに……おいで……】
熱いとも冷たいとも感じない、
【おいで……ここに……おいで……】
低くもなく高くもなく、心地よい、とろけるような、『声』。
その呼びかけに誘われるまま、手を、伸ばし……。
【…………】
「……あ」
夢うつつに届いた、その『声』を捕らえようとして、目覚めた。
また、だ。
また、あの声。
ここ数日、夢の中で聞こえてくる、『声』。
と言っても、内容が聞き取れたのは、今夜が初めてだけど。
「おいで……って、どこに?」
目を覚ましたとたんに消えてしまった『声』の主に、問いかけてみる。
嫌な気持ちではない。
むしろ、もっと聞きたくて、目覚めてしまったことに悔しい気持ちさえある。
どこか懐かしいような、
目覚めたあとに、思い出しては、胸が
初めは、遠くのさざ波のように、かすかに何かが聞こえる程度だったけれど。
少しずつ、それは近付いてきて。
ようやく内容が聞き取れるまでになり。
あと……少し。
「……って、何が、あと、少し?」
自分の思考に、自分で問いかけてしまう。
私は、いったい何を、待っているの?
答えを探すように、ベッドから身を起こす。
ふと、喉の乾きを覚え、サイドテーブルの水差しに手を伸ばす。
蓋代わりのグラスを返すと、コトン、と音が響く。
硝子と木がぶつかるいくらか鈍い音に被せるように、さざ波の音が耳に届く。
それ以外の音を喪ったような
水を飲むのを止めて、私は窓辺に向かう。
頭が通るほども開かない部屋の窓を、それでも全開にして、夜の景色を眺める。
夜半ですでに寝入った街は、暗闇だ。
昔は、もう少し灯りが見えていた気もする。
数年前に比べて、活気が失われているのは、気のせいではないだろう。
半月の明かりで、かろうじて建物や地形は見てとれるが、一番見たいものは、そこにはない。
けれど、聞こえる。
あの街の向こうに、あるはずの、海の、声が。
それが、夢に訪れる『声』と同じなのかは、分からないけれど。
「見て、みたいな……」
海辺の街に生まれて17年、絵画以外では見たことも、近付いたこともない、海。
『水辺に、ことに海に触れれば、おそるべきモノが姫を
たまたま国を訪れた旅の賢者から告げられた、生まれたばかりの姫への『予言』に、その【おそるべきモノ】が何者なのかも精査しないまま、父王は私が海に近付くことを禁じ、この城から出ることさえ許さなかった。
私が海に興味を持たないようにと、10歳を越えるまでは海の話を耳に届かせまいと、会う人間すら制限した。
その理由について、私がきちんと理解出来るまでの措置だったのだと思う。
だから、その後、絵画や本を通して海についても知ることはできた。
いずれは、禁足も解かれる……そう聞いていたけれど。
『この部屋から出してはならん! 海に魅入られたら
突然の両親の訃報を携えて、新たに王位に就いた元『将軍』に、そう告げられたのは、12歳の春。
忌まわしげに私へ
父の措置を、どこかねじ曲げて聞いたのかも知れない。
それまでは側仕えがいれば歩き回ることができた城内にも出ることが叶わなくなった。
換気のためにわずかに開く窓のみが外と繋がる、この部屋のみが私の居場所となった。
もちろん、食事も風呂も排泄も、きちんと世話されている。
清潔で肌触りのよい衣類を着せられて、柔らかなパンや肉の並ぶ膳が準備され、就寝前には浴槽に温かい湯が張られる。
書棚には本がぎっしりと並び、定期的に入れ換えられる。
上質な紙とペン、
侍女には、先王の遺児として十分過ぎる丁重な扱いを受けていると諭された。
それは分かる。
むしろ、昔より豪奢なものを与えられている。
両親が存命の頃は、上質ではあっても、こんな華美なものは多くなかった。
そして、最近はさらに贅沢な贈り物まで届くようになった。
夜会に出ることなんてないのに、身に着ける当てもない、きらびやかなドレスや装飾品の数々。
……それらが、何を示しているのかも、分かっている。
次の新年に18歳を迎える私は、現王の、妃となる。
本来の王家の血を引かない今の王が、王として認められるためには、私との婚姻が絶対条件なのだとか。
忌まわしい呪いの子として私を蔑むあの男が、それでも私を
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