第2話 テケテケ
ざっくり三時間ほど廃病院を探索したのち、バックパックに拾得物を詰め込み、一旦切り上げることにした。
まだ荷物には余裕があったし、
せっかく見つけた薬の瓶が割れたら元も子もない上、そもそも今日は下層に向かう準備自体してなかったからな。
すでに
爪と一体化し、ガラスを割らずに切り裂けるほど鋭利な刃物へと変異した指先で、力任せに空間をこじ開ける。
数秒かけて一人分の隙間を作り、するりと抜け出た。
これを単独で出来るからこそ、俺はソロで活動している。
「ッ……」
活性化を解いて元に戻った手のひらで陽光を遮り、明るさに慣れるのを待つ。
ヨツヤゲート周辺はいつも通り
人は勿論、動物も感じ取っているのだろう。
この、自然物でも人工物でもない珍妙な石門が、どういう代物であるのかを。
「それでも俺みたいな奴にとっては、ありがたい飯の種だがな」
なんなら俺たちは、まだ恵まれている方ですらあるだろう。
液化エーテル漬けで死に目に遭いながらも移植した
──たとえそれが二大企業の小さな未練を地盤とした、不確かな土台であったとしても。
以前ガレキから運び出したコインロッカーに荷物を詰め込み、バックパックを軽くする。
ロッカーの鍵は壊れているものの、これの中身に手をつけようと企むバカは、ここしばらく見ていない。
二つの
もしかすると、横に飾ったカカシの効果もあるかもしれない。
廃墟で拾ったマネキンに、いろんな奴から引き抜いた肋骨を三十本ばかり突き立てた自慢のインテリアだ。
たいがいは表層と繫がるが、稀にいきなり下層や深層へ放り出してくる鬼畜仕様の
ヨツヤゲートの場合、接続先は俺が知る限りで十七パターン。
その中には毒ガスや放射能で汚染された
ただ、最も警戒するべきエーテル値──
高ランクとの遭遇戦は流石に避けたい。種族差や個体差を問わず明確に格下と断言できる
「お」
などとつらつら考えつつ、本日二度目となる
油膜に似た薄汚い虹色の境界線を抜けた先は、古いアーカイブでしか見たことがない、この世界に
「
ブロック塀に手を当て、やけに長い釘で乱雑に打ち付けられた表札へと視点を合わせる。
刻まれているのは漢字に酷似した、しかし明らかに漢字とは異なる意味不明な文字。そも意味があるのかさえ定かではない。
並び建つ家屋も、青白い光で等間隔に夜道を照らす街灯も、よくよく見れば形や建築様式がどこかおかしい。
人ではないナニカが人の文明を再現しようとしたかのような気味の悪い歪さが、端々から覗いている。
「いかにもB級ホラーとかにありがちな演出。何度見てもチープで笑えるな」
軽く肩をすくめ、何件かの家屋に視線を巡らせ、どこを漁るか物色する。
金、プラチナ、あるいはガソリンあたりが手に入れば、一日のアガリとしては十二分だ。
──ぺたりと、後ろから物音がした。
「ン?」
ぺたり、ぺたり、ぺたりぺたり、ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた──。
そんな感じに間隔が狭まり、結構な速度で近付いてくる音。
この
むしろ中途半端に灯りがある分、余計に見え辛い。
音の正体が割れたのは、こっちとの距離が十メートルを切った頃合だった。
「やっぱり『テケテケ』か」
百年近い大昔の都市伝説を原型とした
元ネタはセーラー服を着た上半身だけの女が夜道で人を襲い、自分と同じように脚を奪って行く……みたいな話だったハズ。うろ覚えだが。
クリーチャーとは、
その真偽はともかくとして、経験則から言わせてもらうと、あの珍妙なスタイルの
テケテケは急に曲がったり止まったりするのは苦手だが、直進は獣じみて速い。
腕だけで這い回ってるってのに、よくもまあ、あそこまで素早く動けるもんだ。
「何べん見ても感心するね」
〈ぎぃいいいいッッ!!〉
あっという間に最後の距離を詰め終え、飛びかかってきたテケテケ。
四つずつ関節を持つ指が六本並んだ手を掴み──変異前でも八〇〇キロは下らない握力で、ぐしゃりと握り潰す。
〈ぎ、がっ〉
砕けた骨が皮膚を突き破る寸前に離してやると、足元でのたうち始めた。
鬱陶しいから背中を踏みつけて押さえ、どうしたもんかと考える。
時計を見れば、ちょうど昼時だった。
「昼の弁当も、別の新入りにくれてやったんだよなァ」
そっちはジルが拾ってきた。
生活費の勘定もできないアホ女どもめ。家計簿つけてる俺の身にもなれ。
「ったく」
舌打ち混じりにテケテケの右腕を掴み、肩口から引き抜く。
タール状の赤黒い血が飛び散り、甲高い悲鳴が鼓膜を突き刺した。
うるせぇ。
「腕だけで動き回ってるからか知らねぇけど、コイツの肉、ちょっと硬いんだよな」
一緒に破いてしまったセーラー服の袖を剥がしながら
パキパキと音を立てて耳元まで裂けていく口を開け、鉄板も容易く貫けるほど鋭い牙へと変わった歯で、二の腕に噛みついた。
「んぐっ、ん」
ゾンビナースよりも抵抗の強い肉質。
時速一〇〇キロ近い速度で駆けてきたばかりだからか、だいぶ熱を持っている。
泡を吹き、血涙を流すテケテケの背中に腰を下ろし、更にひと噛み。
「まっず」
クリーチャーの肉ってのは、どうしてこう、えぐみが強いんだ。
煮たり焼いたりした方がいいのかね。めんどくさ、生でいいわ。
…………。
まあ、少なくとも腹には溜まる。
今の御時世、満腹になるまで食えるんなら何よりの贅沢だ。
「つーワケで左腕も貰うぞ。それまで生きてろよ?」
〈ぎ……い……〉
肉と一緒に噛み砕いた骨の欠片を吐き出す。
勢いが強すぎて、ブロック塀に穴が開いた。
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