敗れた文明

第1話 ゾンビナース


 十指を軽くこすり合わせ、火花を散らす。


 馬鹿でかい石造りのゲート枠内に張られた薄汚い虹色の膜をくぐり、異界ダンジョンへと踏み入る。


 数歩を経て抜け出た先は、ロクな光源もない暗がりの只中ただなか

 闇に目が慣れるよりも先、鼻が複数の異臭を嗅ぎ取る。


 腐った血と、古いさびと、湿ったカビと、薬の臭い。


「廃病院か。ハズレだな」


 空きっ腹を撫で、ひとつ溜息。

 口寂しい時は大体コレだ。廃村しかり霧街むがいしかり、ヨツヤゲートの表層でマトモな食事に事欠かない階層フロアなど、いくらでもあるってのに。


 とは言え、文句を垂れても始まらない。

 それに単純な稼ぎ場として割り切ったなら、そう悪くないクジを引いた。


 なにせ廃墟であってもだ。うまくすれば薬のひとつふたつ転がってるハズ。

 鎮痛剤か抗生物質でも拾えれば、数日分の飯代にはなるだろう。

 たまには普通の培養肉にくが食いたい。


 ……肉のことを考えたら、ますます腹が減ってきた。


 やはり朝飯抜きはしんどい。それもこれも、凶三きょうぞうの奴がまた路地裏の孤児ガキを拾ってきたせいだ。そいつに俺の分をくれてやる羽目になったからな。

 これで何人目だ、あのアホ女。しかも、よりにもよって買い出し前で食料庫がすっからかんになってるタイミングで連れ込みやがって。


 …………。

 まあ、どのみちアレっぽっちの量じゃ、足しにもならなかったと思うが。


 それに。味さえ二の次にすれば、ここでも腹いっぱい食うこと自体は十分にかなう。


「ふぅ」


 訂正。二の次は流石に期待しすぎ。

 百歩譲ってくらいが妥当だとうだろう。






 飛び散った血やら浮かんださびやらで、元は白かっただろう壁も床も天井も、ほぼ全面が赤茶けている。

 そんな、およそ衛生観念というものが欠如した景観に顔をしかめつつ、誰も居ない、物音も聞こえなければ生き物の気配すら感じない通路を歩く。


「お邪魔~」


 建て付けの悪いドアを蹴破り、適当な病室にイン。

 脚が折れて盛大に傾き、シーツもカビだらけのベッド上に目的のもの──ナースコールを見つけ、スイッチを押す。


 かろうじて座れそうな状態の椅子に腰かけ、くつろぐこと数分。

 かえって耳に障るほど静かだった廊下の奥から、引きずるような足音が聞こえてきた。


〈おぉ、お待た、せ、しま、しみ、たっ〉


 なくなったドアをノックする代わりに散らばったガラスを踏みつけ、入ってきた人影。


 この廃病院フロア徘徊はいかいするクリーチャー、通称『ゾンビナース』。

 基本的に肉体の損傷や腐敗が顕著けんちょなアンデッド系の中では珍しく、水死体も同然に青ざめた肌色や氷のように冷たい体温を除けば、おおむね生者と変わらない見目姿を持つ。


 ただし知能は犬以下。性質も非常に凶暴。

 時として人間どころか他種のクリーチャーにすら襲いかかる厄介者。


〈けん、けん、検診の、お時間、ですうぅっ〉


 病院食がせられた鉄製のトレイを両手に抱え、本能的な嫌悪感を誘うきしんだ挙動でにじり寄ってくるゾンビナース。

 ナースコールで呼び出すと、何故か必ず食事を持ってきてくれるんだよな。


 もっとも、ソレを口に入れようと思ったことは一度もないが。


「いくら腹が減ってても、ウジまみれの飯なんざ食えるかよ」


 立ち上がり様、下からトレイを蹴り上げる。

 次いで虚ろな表情をしたゾンビナースの顔面を掴み、そのまま身体ごと持ち上げ、宙吊りにした。


 半秒ほど遅れて、食事と呼ぶのもはばかられる生ゴミが床へと散乱。

 あんなもの食わせたら治るものも治らんわ。


〈うぅ、ああう、あううっ〉


 こっちの手を引き剥がそうと抵抗するゾンビナース。

 が、生憎とコイツの存在強度はクリーチャーを六段階に等級分けした中でも最底辺のイプシロン級。

 やろうと思えば普通の銃でも倒せる程度の木っ端が、俺と力で張り合えるワケもない。


「しっかし、相変わらずすげぇ格好してやがる」


 スカートは短いし胸元も際どい。現実のナース服とは似ても似つかん。

 ついでにそれを着るゾンビナース自身も、旧時代の雑誌に出てるグラドル顔負けの恵体。


 通説として囁かれているクリーチャーの成り立ちを信じるなら、ナースのゾンビはだと大衆が捉えていることになるが、だとしたら認知歪みすぎだろ。

 何をどうすれば、こんなエロ汚いバケモノが共通認識になるんだ。


「……ま、お陰で俺は新鮮な肉にありつけるんだが」


 頭蓋が弾け飛ぶ寸前の握力で顔面を掴んだまま、脳みその茹だった馬鹿が考えたようなデザインのナース服を引き裂いた。

 元々あまり隠れていなかったが、一層と露わになった身体をあらためる。


 腐った部分は見当たらず、すえた臭いもしない。

 腹から胸、喉にかけてを舐め上げる。


 死後硬直じみた強張りこそあれど、程よく弾力を残した肉質。

 まさしく、死んでいること以外は健康そのもの。


 よし。これなら


「いただきまァす」


 空いた方の手で拝手はいしゅを作り、異形因子スキルを活性化させた。


 片やゾンビナースの顔面を掴んだまま、片や目の前で五指を揃えたまま黒く変色し、硬質化する左右の前腕。

 パキパキと頭に直接響く音と共に、骨格構造から変異するあご周り。


「あァああ──む」


 ややあって、耳元まで裂けた口を大きく開いた。

 全てが鋭利な牙となった三層の歯列で、冷たくも柔らかい腹の肉を食いちぎる。


「ふぅ、るぐ、んぐっ」


 頬が裂けたせいでうまく閉じることができない口の端からドス黒い血をボタボタこぼしつつ、何度か咀嚼そしゃく

 合わせて、拝ませていた手を腹の噛み痕に突っ込み、指先へと触れた臓物を適当に引き抜く。

 血だらけなもんで腸以外どれがどれだか分からんが、食えば一緒だ。


〈あぁ、ああ、あああっ〉


 しかばねでも痛みは感じるらしく、暴れることをやめて痙攣するゾンビナース。

 クリーチャーは死ぬと途端に身体が腐り落ちるから、食う時はいつも気を遣う。

 アンデッドの場合は多少粗雑に扱ってもつが、やはり頭を潰すと一発で御陀仏おだぶつだ。


〈う、あぅっ、ううあっ〉


 ゾンビ相手にこういう表現は矛盾な気もするが、できるだけ長く生きていてくれよ。


 ひとまず、俺が腹を満たすまでは。






 腹と左腕、右腿、あとは内臓をいくつか食い終えた頃合、ゾンビナースは動かなくなった。


 咄嗟に放り投げた直後、ぐずぐずに腐って溶け崩れる骨肉。

 危ない危ない。あと二秒遅かったら手が汚物まみれになるところだ。


 ちなみに食った部分は腐らない。

 何故なら噛みちぎった時点で既に奴の身体ではなく、俺の食事ものだからだ。


「ふぅ」


 比較的綺麗なシーツで口周りの血をぬぐい、ひと息。

 食い損ねた朝飯分くらいは腹に溜まったか。


 なお、味の方はどうだったかと言えば。


「まっず」


 舌にしつこく残るえぐみと苦味。粘ついた血も喉に絡んで気持ち悪い。


 完全栄養食ジョガリコの方が幾分マシだ。

 アレもアレで、油粘土みたいな味と食感だけどな。

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