第2話
「姫さま! 門が――!」
夜明け前の薄明に、衛兵の声が神殿に響いた。
リディアが振り返るより早く、重い扉が開かれ、伝令の兵が駆け込んでくる。
「東門、突破されました! 敵旗、ガルデンの黒金!」
その場の空気が固まった。
黒金――協定を破った印だ。
「父上は?」
「大広間に!」
リディアは裾を翻し、階段を駆け下りる。王座の前では、父王が顔を険しくして地図を睨んでいた。
周囲には将軍や文官が集まり、怒号と嘆声が交錯する。
「……リディア、お前は下がっていろ」
「下がれません。聖女として、この国のために立つべきときです」
父王は目を閉じ、一瞬だけ苦い表情を見せた。
そして低く告げる。
「ガルデン王子から使者だ。降伏の条件を伝えに来ている」
降伏。
その言葉が頭に響き、足が少しだけ重くなる。
だが、次の瞬間には胸の奥で火が弾けた。
「条件は?」
「――聖女の身柄だ」
会議の空気が一気に冷えた。
リディアは短く息を吸い、「わかりました」とだけ答えた。
動揺を見せれば、兵たちの士気が崩れる。それは聖女として最もしてはいけないことだ。
◆
正午前、王城の謁見の間。
黒金の軍旗を背に、ガルデン王子レオニスが進み出る。
長身に黒い軍装、金の飾り紐が胸元で光る。整った顔に笑みを浮かべているが、その目の奥は氷のように冷たかった。
「初めまして、姫。……いや、聖女殿と言うべきか」
低く、よく通る声。
リディアは真っ直ぐに彼を見返した。
「国同士の協定を破ってまで来た理由が、それですか」
「そうだ。俺の国には聖女がいない。お前が来れば、精霊の加護で豊かになる」
「お断りします」
即答だった。
その瞬間、レオニスの口元が僅かに歪む。
横に立っていた女が、くすくすと笑った。
真紅の衣に薄布を重ねた艶やかな女――踊り子のような姿。瞳は琥珀色で、笑っていても冷たい光を帯びている。
「殿下にそんな口を利くなんて……可愛いお姫さま」
その声は甘く、しかし棘があった。
リディアは視線を逸らさない。
「あなたは?」
「セレナ。殿下のお傍に仕える者よ」
その言い方は“仕える”よりも“隣にいる”という響きのほうが強い。
レオニスが片手を上げる。
「拒むなら……別の方法で従わせるまでだ」
その笑みには、遊戯のような軽さと、逃げ場を塞ぐ圧が同居していた。
リディアは背筋を伸ばし、はっきりと告げた。
「私は、この国と人々を守るために生きています。あなたに加護を与えるつもりはありません」
次の瞬間、レオニスの目が細められる。
セレナが一歩、近づいた。
「……殿下、時間がかかりそうですわね」
「構わない。長く楽しめる」
その言葉に、リディアの胸の奥で、得体の知れない冷たさが広がった。
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