第2話

「姫さま! 門が――!」


 夜明け前の薄明に、衛兵の声が神殿に響いた。

 リディアが振り返るより早く、重い扉が開かれ、伝令の兵が駆け込んでくる。


「東門、突破されました! 敵旗、ガルデンの黒金!」

 その場の空気が固まった。

 黒金――協定を破った印だ。


「父上は?」

「大広間に!」


 リディアは裾を翻し、階段を駆け下りる。王座の前では、父王が顔を険しくして地図を睨んでいた。

 周囲には将軍や文官が集まり、怒号と嘆声が交錯する。


「……リディア、お前は下がっていろ」

「下がれません。聖女として、この国のために立つべきときです」


 父王は目を閉じ、一瞬だけ苦い表情を見せた。

 そして低く告げる。


「ガルデン王子から使者だ。降伏の条件を伝えに来ている」


 降伏。

 その言葉が頭に響き、足が少しだけ重くなる。

 だが、次の瞬間には胸の奥で火が弾けた。


「条件は?」

「――聖女の身柄だ」


 会議の空気が一気に冷えた。

 リディアは短く息を吸い、「わかりました」とだけ答えた。

 動揺を見せれば、兵たちの士気が崩れる。それは聖女として最もしてはいけないことだ。



 正午前、王城の謁見の間。

 黒金の軍旗を背に、ガルデン王子レオニスが進み出る。

 長身に黒い軍装、金の飾り紐が胸元で光る。整った顔に笑みを浮かべているが、その目の奥は氷のように冷たかった。


「初めまして、姫。……いや、聖女殿と言うべきか」

 低く、よく通る声。

 リディアは真っ直ぐに彼を見返した。


「国同士の協定を破ってまで来た理由が、それですか」

「そうだ。俺の国には聖女がいない。お前が来れば、精霊の加護で豊かになる」

「お断りします」


 即答だった。


 その瞬間、レオニスの口元が僅かに歪む。

 横に立っていた女が、くすくすと笑った。


 真紅の衣に薄布を重ねた艶やかな女――踊り子のような姿。瞳は琥珀色で、笑っていても冷たい光を帯びている。


「殿下にそんな口を利くなんて……可愛いお姫さま」

 その声は甘く、しかし棘があった。

 リディアは視線を逸らさない。


「あなたは?」

「セレナ。殿下のお傍に仕える者よ」

 その言い方は“仕える”よりも“隣にいる”という響きのほうが強い。


 レオニスが片手を上げる。


「拒むなら……別の方法で従わせるまでだ」


 その笑みには、遊戯のような軽さと、逃げ場を塞ぐ圧が同居していた。


 リディアは背筋を伸ばし、はっきりと告げた。


「私は、この国と人々を守るために生きています。あなたに加護を与えるつもりはありません」


 次の瞬間、レオニスの目が細められる。

 セレナが一歩、近づいた。


「……殿下、時間がかかりそうですわね」

「構わない。長く楽しめる」


 その言葉に、リディアの胸の奥で、得体の知れない冷たさが広がった。

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