第12話 逃げるが勝ち

「これでいいんだよね、ユキくん!」

「うん、春香」


 一仕事こなしてくれた春香に頷き、手銃を構えたままの雪女と改めて向かい合う。


「……牧浦さんを見殺しにするものか」


 凝縮されていく黒球から目を逸らすことなく、純白の和服姿を視界に捉えたまま睨みつける。

 霊力の操り方を学んで、幽霊の春香の胸を触る為に。そして何よりも、僕を死なせないと約束してくれた優しい人を守る為に。今だけは、この震える脚を後退させるわけにはいかない。


「さてさて、凛世が戻ってこない内に!」


 春香の漲るやる気がそのまま形を成したように、その小さな全身からは霧状の黒い霊力が吹き出てくる。春香の姿は生み出されていく黒煙の中に消えて、僕が見上げた先で禍々しく巨大な黒影に為り変わっていく。


「これは……」


 そうして出来上がったのは、全長五メートル以上はありそうな二本足の黒い人影。幽世という幽霊達の本拠地にいる為だろうか、作り出された人型は事務所の時はおろか、屋上の時よりも更に多い霊力で構成されているように見える。


「私がこのままあいつを……って」


 巨人と化した春香が声を落としたのは、雪女の手銃がいつの間にかあらぬ方向に向けられていたから。


「どうして、銃口を地面に向けて」


 黒球の先が足下に向けられた理由を考える暇も無く、雪女の手銃による第二射が放たれる。


「な……」


 まるで壊れたピッチングマシンのように、第二射に続いて第三、第四、第五と、僕らに決して当たることが無い霊力の光線が雪女の指先から延々と発射されていく。


「一体、何を……」


 数を二十まで数えたところで、雪女の出鱈目な銃撃はようやく止まる。ついさっき壁を破壊した光線程の威力は無いのか、二発目以降は衝突した地面に黒い染みを付着させるだけだ。


「あれは……」

「うえ……!」


 僕と春香が同時に声を上げた先で、地面の染みそれぞれからボヤ程度の黒煙が立ち昇る。


「黒い影……?」


 生み出された影は小さな雲となって浮かび上がり、彼らを生み出した雪女を守るように宙を漂う。大きさ自体は恐らく三十センチぐらいだが、その数は先程放たれた射撃と同じく二十体以上はいる。


「これは、いくらなんでも……」


 これ程の数が相手となれば、流石の春香でも全てを捌ききるのは難しいだろう。


「……今は」

「春香?」


 屋上で僕の身体を攫った時のように、春香から伸びた二本の巨腕が僕のお腹辺りに巻き付いてくる。


「今はとりあえず、逃げるが勝ちだよね!」

「え……⁉」


 春香は僕を胸元辺りに抱えると、回れ右をしてその場から飛び上がる。


「う、ぐ……!」


 住宅街の景色は瞬く間に過ぎ去り、跳躍した衝撃は容赦なく僕の全身に襲い掛かってくる。着地した後は乗用車並みの速度で走り出し、渦中にある僕はといえば車のボンネットにでも縛り付けられているように一方的な逆風に苛まれるだけ。


「こ、これは……」


 地を走る度に砕け散るアスファルトの道路に、僅かながらの損傷を被ってしまう家屋。現世に影響がないとはいえ、春香の巨体が駆け抜けていく後には破壊の跡がいくつも残される。雪女の光線が塀を粉々にしてしまったように、幽世内の物体ならどうやら幽霊でも干渉することができるらしい。


「は、春香……もう少し、ゆっくり」

「ごめん、今は無理っぽい!」

「無理って……」

「だってほら! 横見て、横!」

「……!」


 言われるがままに辺りを見回して、春香とほとんど変わらない速度で迫っている黒影達の存在に気づく。


「もう追いつかれたのか……!」


 群れの内の二体だけではあるものの、前方に回りこまれてしまえば後方から挟み撃ちにされる可能性もある。


「あーもう、しつこい!」


 春香の巨体は忌々し気に振り向くと、僕を抱えていた黒腕の内一本を高々と掲げる。


「私のユキくんに手を出すなら、絶対に容赦しないから!」


 雪女の攻撃をそっくりなぞるように、黒腕の丸みを帯びた先端には霊力の小さな黒球が浮かび上がる。


「え、春香も⁉」

「あいつの見様見真似……だけどね!」


 面食らっている僕を余所に、凝縮された黒球は霊力の光線となって放たれる。装填さえ必要としない二連射、春香による正確な射撃は迫っていた黒影二体を的確に撃ち抜く。


「おお……」


 神業とも言える連撃により、二つの瘴気はほとんど同時に消滅する。


「これで、挟み撃ちの可能性は無くなったけど……」


 雪女の手先を撃破したとはいえ、一安心するにはまだまだ早すぎる。後ろから迫り来る追手が他にも残っている以上、春香が足を止めてしまえば逃亡劇は当然終わりを迎えてしまう。


「……はっ、はあっ」

「春香?」


 春香の為にできることを考えている内に、黒一色の頭上からは荒い呼吸の音が聞こえてくる。


「だ、大丈夫?」

「……この姿をこんなに長く維持するのは、初めてで」


 普段の明朗さは影も形も無く、今の春香は答えるだけでも精一杯の様子だ。住宅街を走る速度も次第に衰えていき、息を切らす春香の隣に二、三体の黒影が並びかけてくる。


「……! 春香、前!」

「え……?」


 疲れきっていて前方すら見えなくなっていたのか。正面十メートル程先に小さな公園があることに、春香は僕よりも遅れて気づく。


「あ……!」


 咄嗟の急停止も間に合わないまま、春香の大きな駆け足が公園入口の車止めに躓く。


「うっ……!」


 アーチ型の車止めは巨大質量の衝突により折れ曲がり、前のめりになった春香の巨体は転んだ拍子に僕を黒腕から離してしまう。


「ぐはっ……」


 胃が浮く浮遊感を覚えたのは一瞬で、空中へ身を投げ出された後は公園の地面に激突してしまう。

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