第11話 雪女

「次は私に戦わせてよね! 今度こそ、ユキくんにかっこいいところ沢山見せたいから!」

「はいはい、分かったわよ……」


 春香は僕と違って体力が有り余っているようで、ため息交じりの牧浦さんに一方的に突っかかっている。


「春香、あまり牧浦さんを困らせちゃ……」


 春香にそれらしい注意を促そうと、二人の間に一歩近づく。


「……え?」


 たった一歩、ほんの少しだけ足を踏み出しただけなのに。見開かれた瞼は震え、牧浦さんの背後にいる『そいつ』と目が合ってしまう。


「――凛世! 後ろ!」

「……!」


 僕に続けて、春香も異質な人影の存在に気づく。反射的に上げられた春香の一声を受けて、牧浦さんは懐から咄嗟に一枚の札を取り出して背後へ振り返る。


「悪霊、いつの間に……!」


 振り向きざまの一瞬で札には青い光が灯り、突然現れた悪霊へ『滅』の炎が繰り出される。


「……そんな」


 牧浦さんの一撃は確かに、悪霊の胴体ど真ん中に直撃したはずだ。しかしながら、青い霊力の炎は悪霊に触れただけで簡単に消えてしまう。

 それはあたかも、大火事にコップ一杯の水をかけた時のように。途方も無く大きな力の渦の中へ、牧浦さんの霊力は為す術も無く吸い込まれてしまう。


「……っ!」


 牧浦さんは瞬時に異常を察知し、正体不明の悪霊から飛び去るように距離を取る。


「……あいつは」


 僕と春香も牧浦さんに追随し、数メートル離れた場所から人影の姿を観察する。

 僕ら三人と向かい合うように、真っ白な和服姿の女性は一人きりで低空を浮かんでいる。髪は春香よりも長く腰元まで伸びており、頭部には赤い花のような髪飾りをつけている。


「……雪女?」


 春香が呟いた一言は、目の前の女性の特徴を端的に言い表している。


「……気のせいかな」


 不自然な程に穢れの無い白髪に、僕らを捉えて離さない深紅の瞳。彼女の些細な特徴何もかもが、僕にとってはひどく見覚えのあるものばかり。


「どこか、春香に似ているような……」

「……気をつけて、成瀬君」


 雪女の姿に目を奪われていると、隣で佇んでいた牧浦さんが突如膝を突く。


「牧浦さん……?」

「……あの一瞬で、生気の大半を持っていかれた」


 牧浦さんは激しく息を乱しながら、対峙している悪霊を懸命に見上げている。


「下級よりずっと格上の上級……いいえ、それ以上の悪霊よ」

「…………」


 牧浦さんの警戒心が伝わったのか、雪女は言葉も無く片腕を掲げる。


「……上級以上の、悪霊?」


 戦慄いて揺れる視界の中で、雪女は人差し指と親指で簡単な銃の形を作り上げる。肌色の銃口はそのまま、彼女が見下ろす先で跪いている牧浦さんの額へ向けられる。


「うそ⁉」

「あれは……」


 銃口の先で生み出されていくものに、僕と春香は同時に驚きの声を漏らしてしまう。


「黒い霊力……」


 他でもない春香に取り憑かれている為なのだろう、雪女の指先で膨れ上がっていく小さな黒球が春香の黒雲と同質のものだと感覚的に理解できる。


「どうして、春香と同じ霊力を……」


 偶然過ぎる一致の理由を探そうとしても、装填された黒球はますます膨張し今にも破裂してしまいそう。


「――さ、させない!」

「春香⁉」


 春香は力いっぱいの雄叫びを上げると、自らの身さえ顧みずに雪女へ飛びかかる。


「う……⁉」


 春香が僕から二メートル程離れた途端、まるで頑丈な縄にでも引っ張られているかのように身体が春香の下へ自然と引き寄せられる。


「今は私が、凛世の代わりに戦わないと……!」


 春香は脇目も振らずに雪女の手銃を掴み取り、銃口の向かう先を牧浦さんからずらそうと必死に藻掻く。


「な、何なのこいつ、全然動かない……!」


 春香の声に苦悶の色が満ちていく一方で、雪女の顔に広がるのは冷たい氷を想わせる冷徹な無表情。手銃はびくとも動くことが無く、力いっぱい歯を食いしばる春香のことを雪女は冷ややかに見下ろしている。


「ぐ、ううう……!」


 春香がどれほど力を込めても、雪女の手銃はほんの数センチ牧浦さんから逸れるだけ。


「だ、駄目だ、春香!」


 このままでは春香さえ、雪女による銃撃の巻き添えを食らってしまう。まだ幽霊に触れないことが分かっていながら、突き出した片腕を苦戦を強いられている春香へ目一杯伸ばす。


「はる……!」


 前のめりになった僕の頬を掠めるように、放たれた黒い一閃が幽世の空を切る。


「……え?」


 背後で何かが崩れるような轟音が鳴り響き、音がした方向へおずおずと振り返る。


「……壁が」


 雪女が放った光線により、背後にあった住宅街の白壁は粉々に砕けてしまっている。もしも春香が手銃の照準を僅かでもずらさなければ、牧浦さんは今頃あの壁と同じ末路を辿っていたことだろう。


「……なんて、霊力量」


 僕と同じように目を見張り、膝を突いていた牧浦さんはふらふらと立ち上がる。


「……約束、したものね」


 牧浦さんが手にしている札には再び、生者の証である青色の霊力が灯る。


「逃げなさい、成瀬君」

「……牧浦さん」


 耳を疑う一言を発した牧浦さんに視線は釘付けになり、雪女を押さえつけている春香の姿を確かめることもできなくなってしまう。


「アタシが足止めするから、成瀬君はその隙に春香と一緒に現世へ戻るのよ」

「でも、そんなことをしたら牧浦さんが」

「……これしか方法がないのよ。今の成瀬君は春香から数メートルも離れられない、そうなんでしょう?」

「それは……」


 春香が僕に取り憑いている以上、僕も春香も互いに遠く離れることはできない。せいぜい一、二メートルがいい所で、春香が雪女を食い止めるとなれば必然的に僕も春香のすぐ傍に留まることになる。


「アタシが悪霊を食い止めて、春香が成瀬君を幽世から脱出させる。現状だと、これが一番の得策なのよ」

「……得策って、言われても」


 今の牧浦さんは肩で息をしており、誰がどう見ても万全の体調とは言い難い。そんな状態で上級以上の悪霊を相手にすれば、勝負の行く末は火を見るよりも明らかだ。


「うわっ……!」

「……! 春香!」


 突きつけられた選択に気を取られている内に、雪女の手により吹き飛ばされた春香が僕の下に戻ってくる。


「どうすればいいんだ……」


 春香と一緒に逃げるべきか、それともこの場に残って牧浦さんを助けるべきか。岐路に立たされた状況の下、頭の回転に比例して呼吸どころか心臓の鼓動さえ激しくなっていく。


「……僕が、霊力を操れていれば」


 僕が最初から、霊力を万全に扱うことができていれば。放り出された春香を受け止めることはもちろん、窮地に立たされた牧浦さんに手を貸すことだってできていたはずだ。


「……もっと僕に、勇気があれば」


 踏み止まることなく、迷い無く前に進める力が僕にもあれば。きっと桜花にだって、死ぬ前にきちんと告白することができていた。


「……一生、このままなのかな」


 尽きない後悔は消えることなく、僕の内側を余すことなく埋め尽くそうとしてくる。


「……そんなの、嫌だ」


 俯きかけていた顔を上げて、胸の内を蝕もうとしていた諦念を無理矢理にでも振り払う。


「…………」


 いつもよりほんの少しだけ高く見える視界の中、無言のまま佇む雪女の指先に新たな黒球が装填されていく。


「……春香」


 一抹の想いを胸に込めて、立ち上がったばかりの春香に真っ直ぐ視線を向ける。


「僕達二人で、牧浦さんを助けよう」

「……ユキくん」


 唐突な提案を受けても、春香の煌びやかな瞳が僕から離れることは無い。


「……うん! 私も今、そう思っていたところ!」


 僕と春香は互いに頷き合い、困憊しきっている牧浦さんの下へ同時に駆け寄る。


「牧浦さん、雪女の相手は僕達に任せてください」

「え、成瀬君……⁉」

「はいはい、そういうわけだから!」


 春香はカーテンを開ける要領で空間の幕を開くと、素っ頓狂な顔をした牧浦さんを透明な波の裏側へ突き飛ばす。


「ちょっと、春香……!」

「凛世は大人しく向こう側で休んでいて!」


 現世へと繋がる穴は春香の手により閉ざされ、その奥へ転がった牧浦さんの姿はとうとう見えなくなる。

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