11

 いつの間にかひどく疲れていた、長距離を走った後みたいに心臓がばくばくして、呼吸も上がっていた。肩を弾ませる円花を、男はただじっと見ていた。

 「……若いねぇ。」

 小馬鹿にするようでも、面白がるようでもなく、腹の底から出たような男の呟き。円花はなんだかひどく意外なものを聞いたような気がして、はっと顔を上げた。

 「ヤスタカのことを知りたくて、こんなとこまでひとりで来たんでしょ。ひとって結局、自分以外のひとのことなんて、どうやったって理解できないのにね。……まぁ、自分のこともかな。」

 男は、端正な赤い唇から紫煙を吐き出しながら、そんなことを言った。円花は、やっぱりこの男は寂しい、と思った。

 自分以外のひとのことなんて、どうやったって理解できない

 そこまでは、分かる。円花だって16歳だ。さすがに他人の頭の中まで理解して、完全に分かり合えるなんて思ってはいない。けれどキサラギは、自分のこともかな、とまで言うのだ。まったく自分自身のことを信用していないみたいに。

 こういうところ? と、円花は思った。不意に、沸き立つみたいに。

 この男の、こういうひどく寂しい物言いに、もしかしたら井上くんは惹かれたのだろうか。

 「……井上くんにも、そういうこと、言った?」

 「そういうって?」  

 「……寂しいこと。」

 「寂しい?」

 男は、なにを言われているのか分からない、と言った顔で首を傾けたけれど、すぐにそれもどうでもよくなったらしい。長めに伸ばした黒髪をかき上げながら、別に、と返した。

 「セックスに金払ってるんだよ、ヤスタカは。話なんてしない。」

 嘘だ、と、円花ははっきり思った。嘘。絶対に、嘘。この男は、井上くんとなにか話したのだ。ここまで円花の問いに全て、水の流れみたいにあっさりと答えてきたこの男が、嘘をつくくらいの話をしているのだ。そしてその結果、井上くんはキサラギに全てを持っていかれた。

 嘘よ、嘘。

 そう駄々をこねるみたいに言いかけて、円花は口をつぐんだ。そんなことをするのは、あまりにも情けなさすぎると。

 キサラギは、なにも考えていないみたいな端麗さで、じっと円花を見ていた。その視線に耐えられなくなって、円花は彼に背を向けた。

 「またどうぞ。」

 キサラギが、歌うように言う。円花はその言葉を聞き、辛うじて頷き、そのまま観音通りの出口に向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る