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 男が示す、そこの裏、とは、単に路地を一本入った人通りのない細道のことらしかった。そんなところで? と、円花は更にたじろいだ。男は、そんな円花を、面白がっているみたいな目で見ていた。

 「処女でしょ、あんた。俺、上手いよ? プロだし。」

 痛い思いはさせないけど、と、男が笑う。円花はぎゅっと、制服のスカートを握りしめ、一歩後ずさった。

 「……しない。」

 そう、なんとか口にしてから、仕返し、みたいな気持ちがわいてきて、あなた、おんなとできるの、と付け加える、それを聞いた男は、面白そうに笑みを深めた。

 「商売だからね。それにあんた、まだおんなでもないでしょ。」

 まだおんなでもない。

 その言いようは、円花の胸に突き刺さった。男と寝たことがないからおんなじゃない。そんな単純な理屈ではないと分かっていた。もっと、深い所で、処女膜の有無なんて関係なく、まだ円花はおんなじゃない。それは、大人じゃない、と、ほとんど同じ意味で。

 「……商売じゃなかったら、男がいいの。」

 井上くんの整った横顔を思い浮かべながら、力なく円花が問いかけると、男は黒いレース地で覆われた華奢な印象の肩をすくめた。

 「さあ。もう、分かんない。」

 また、随分と寂しい台詞。

 「井上くんは? 井上くんは、彼女いて、ずっと。それでも、本当は男がいいの?」

 「知らない。たまたま俺が男なだけじゃないの。」

 今度は、随分と傲慢な台詞が、煙草の煙と一緒に吐き出される。たまたま俺が男なだけ。たまたま、本気で好きになった相手が。円花は、さっき目にしたばかりの思いつめた井上くんの眼差しを思い出して、泣きたい気分になった。

 分かってる。自分のことを好きになってもらえるなんて思ってない。でも、それでも、目の前にこんなふうに、絶対に無理、な理由を広げられるとやっぱり辛かった。

 「なんで、井上くんはあなたのこと好きなの?」

 「知らない。そんなのヤスタカにしか分かんないでしょ。」

 「なんで……。」

 「知らない。」

 確かに、目の前の男はうつくしい。けれど、常に円花を小馬鹿にしているし、ちょっとした口調は刺々しいし、気だるげに煙草ばかり吸っているし、そんなにいい人間には見えなかった。それでも、井上くんには、円花には見えないこの男のなにかが見えているのだろうか。なにか、性別さえも関係ないと思えるくらいのなにかが。

 

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