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笙子の後姿を、唇を噛み締めて拳を握りしめながら見送った後、円花はしばらくその場に突っ立っていた。自分のやりたいことは分かっていたけれど、そこに正統性がないことだって分かっていた。さらに言えば、怖くもあったのだ。子どもの頃から存在を知ってはいても、見てみぬふりをしてきた観音通りに足を踏み入れることが。
……どうしよう。
思い悩んだ円花の背中を強く押したのは、笙子への意地と、強い劣等感だった。私は笙子みたいに大人じゃないし、なにもかも上手くやれもしないけれど、でも、本気で井上くんが好きなんだ。
好き、という言葉が免罪符にならないことくらいは、円花にだって理解できている。けれど、全く理解できていないふりをした。
好きなんだもん。心配なんだもん。
頭の中で何度も繰り返しながら、スクールバッグを肩にかけ、勢いよく教室を飛び出す。この勢いが失われたら、どこにも行けない気がした。だから、半分走るみたいな歩調で廊下をすり抜け、靴を履きかえ、校庭を横切り、ずんずん進んで観音通り、と呼ばれる駅の近くの通りの前までやってくる。夜になると、この通りの街灯の下には、派手な格好をした娼婦や、時には男娼がずらりと並んで男の袖を引く。けれど、真夏の太陽が照りつけるこの時間には、さすがに娼婦たちの姿は見られなかった。
どうしよう。
円花は観音通りに足を踏み入れることもできなくて、近くのコンビニに取りあえず退避した。夜まで待つ? でも、そのときまでこの勢いが維持できる自信は全くなかった。今だってもう、水をかけられたみたいに消えかかってきているのに。
涼しいコンビニのトイレの鏡を見てると、まるっきり子どもみたいな自分の顔があった。全然好きじゃない顔だ。その顔を睨むみたいに見ながら、日焼け止めを丹念に塗り込んで気合を入れ直し、水分補給用の麦茶を購入した円花は、しばらく通りを見張ってみることにした。
夜にならないと、娼婦たちは現れない。ということは井上くんもやってこない。
ちゃんと分かってはいた。さらに言えば、自分にはひとりで夜の観音通りを彷徨うだけの勇気がないことも分かっていた。だから、自分を納得させるためには、今のこの、大して人も通らない細い通りを、うろうろするくらいの方法しかなかったのだ。
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