第4話  メキシコのB.Q( 

8月19日  

 「夕べまでの私どうかしていたわ。子供みたいで・・・嫌な性格なのよね。どうしてあんなに感情的になっていたのか、自分でもわからない。もう大丈夫よ・・・

今日はあなたどうするの?私はまた小野さんが案内してくれることになっているけど・・・」

昨夜はぐっすりと眠れたらしいヨシが起きると同時に、いくらか自嘲的な口調で話し始めた。

 今朝、私は目覚めた時から考え続け自分の気持ちを確かめ、今日は彼女に付き合ってもいいかなと思い始めていた。

アメリカでまたラウルとは一緒にいられるのだから、今のうちに彼女の感情の下降を食い止め、少しでも上向きに持っていきたかった。

そうしたら、彼女の方から反省的なことを口にして、

「あなたどうするの?」と聞いてきたのだ。

「あなたと一緒に行くわ。そうね、もう今日は20年ぶりに逢った!という泣きたいほどの感激や、めろめろの気持ちは落ち着いたの。だからいいのよ」

「彼はどうするの?」「友達に会いに行くと言ってた」

「それじゃあ、かわいそうでしょ。一緒に来たら?小野さんは大丈夫よ」

「そう?ラウルに聞いてみる・・・ねえ、あなたラウルのことどう思っているの? 虫が好かないとか、嫌いとか、感じてるとこあるんじゃない?」

「ううん、そんなことない」彼女はそう答えたがうつむいたままだ。ラウルと私は、彼女の単に子供っぽい気まぐれな感情に振り回されているだけなのだろうか。

 エレベーターに乗り私は彼女と一階に降りた。ドアが開いていつもの椅子にラウルの姿がない。私たちが早すぎたのか、それとも、明日はわからないと昨日言ったことを思い出して、もしや彼は姿を見せないのではと、心配になった。

が、彼は間もなく変わらぬ表情で現れた。

 今日の朝食はロビーの奥にあるバフェスタイルに決めていた。

 入り口で待っていると、ウエイトレスが近づいてきた。黒と白の配色、上半身はきりりとした細身なのに、スカートはフワッと膨らんだ垢抜けた素敵なユニホーム、というよりこれはドレスだ。これほどロマンチックなデザインのドレスのウエートレスを日本では見たことがない。

「すてき!」思わず出た私の言葉に「何が?」とラウル。

「ウエートレス見て」

「どこが?」ウエートレスを見たラウルが私に問いかけた。顔を見るとウエートレスの顔はなんとそばかすだらけで、美しい顔とは言えない。「彼女のドレスよ」

「ああ、ドレスね」全然興味なさそうなちぐはぐな会話。男性にドレスの話は無理なんだ。つまらない。

 コーナーからコーナーへ、壁に沿ったテーブルの上に、沢山の料理やフルーツが大皿に盛られ並んでいる。

私はフルーツをたっぷりと皿に取ってテーブルに戻ると、コーヒーを注文した。

「このコーヒー熱いわよ」すでにコーヒーを飲んでいた彼女が言う。ほんとだ。ここのコーヒーは17階のレストランのコーヒーと同じくらい熱くて美味しい。

「昨日、小野さんとこでも熱いお茶を飲んだわ」彼女がまた言った。

何故角のあのレストランのコーヒーはあんなにぬるいのか。もしかしたらメキシコシティの沸騰点が低いせいなのか。と話していたのだが、そんなことはないらしい。

 ラウルは大皿をいっぱいにして戻ってきたが、皿が空になると、またおかわりに立って行った。そんなに食べるから太る。

「Raul ,you eat too much ・・・I say you need diet 」

「Why ? it’s ok breakfast 」彼はまるで気にする様子はない。

「そういいのよ、ラウルは太ってなんかいない、私はこのくらいの人が好きよ」

と、ヨシが言った。あれあれ、どうしたことだ。今朝の食卓は初めていいムードになってきた。

 「ラウル、今日、私たちはヨシの友達がどこかに連れて行ってくれるらしいけど、so would you like come with us ? 」(私たちと一緒に来る?)

「Yes sure ,but how does your friend say ? 」(彼女の友達は大丈夫?)

「He is OK, of course 」と言った彼女の声は明るい。

 小野さんから連絡があるからと言って、彼女だけ部屋に帰った。ラウルと私はロビーで待つことにして、テーブルを前に座った。

 私は食後の一服を吸いたい、すごく吸いたい。けどラウルは嫌かもしれない。バッグの中に手を入れるがタバコを取り出せない。やめようか、吸っちゃおう、箱を掴んだ時、

「こんにちは」頭上で声がした。見上げると伊藤さんが立っている。

「僕は今日発つんです。あまり時間がないけど、買い物をしたいと思って・・・」

伊藤さんは私の隣に腰を下ろした。そして向かいのラウルに気が付き、

「彼、どういう人なんですか?」私に訊いてきた。

「う~ん、そうね 20年前から知っている人。20年ぶりに逢ったの」

「ここの人ですか?」「いいえ、L・A に住んでる。メキシコ系アメリカ人よ」

「へ~なに?何年ぶりですって?20年?そりゃあすごいなー」

ラウルが彼は何といってるという顔で私を見ている。

「He said , it’s terrific ! 凄いですねって」うんうんとラウルが頷く。

「どこで会ったんですか?最初」「日本です」

「しかし、20年ぶりとはね、驚いちゃうなー、僕だったらとっくに忘れてますよ、えらいなー、しかしえらいなー」大きな声で伊藤さんは言った。

「メキシコは何度目ですか?」伊東さんの質問はまだ続く。

「初めてです。海外は初めて、友達はヨーロッパとかにも行ってますが」

「そうなんですか、あなたは初めてには見えないなー、逆に見えるなー」私はうれしくなってしまった。えらいなーは少し違うんじゃないかなと思うが。

 伊東さんのショッピングのために、ラウルはマーケットへの地図を描いて、時間をかけて値切るといいよとアドバイスをした。まもなく伊東さんのガールフレンドが現れ、「こんにちわ」と言って、彼らは行ってしまった。

 小野さんからの連絡はこないのか、彼女は下にまだ降りてこない。

 私は今、ラウルに話さねば、しかしうまく話せるか、私の英語でうまく言えるか不安だが、言ってみることにした。

「Raul please listen to me I have to say that ,I m sorry 彼女、外国は初めてではないのに私を頼ってて、私、困ってる。あなたにも迷惑かけそうだし,一人で考え、一人で行動するのに慣れていないのね。わがままだと気づいていないし、子供みたいでしょ。私は少なくとも彼女より自立しているつもりだし、色々な経験もしたし・・・」

ラウルの目を見つめpoor bocablary を駆使して、やっとこれだけをしゃべった。

「Oh, Yuko you don’t have to say you are sorry to me , I know she just like a child 」

(謝らなくていいんだよ。彼女はちょっと子供っぽいだけだ)

ラウルの緑がかったグレーの瞳は優しく私を見つめている。そして、

「No don’t to say experience , you are sophisticated 」

ソフィスケイテッドて言ったの? この言葉、ほめてくれてるの?

ラウルの低音は、私の脳の中に心地よく響いた。

 「12時に迎えに来てくれるんですって!」ヨシの明るい声がした。

まだ1時間はある。ホテルの前のすてきな公園に行こう。三人で広い通りを渡って公園へ向かった。

 沢山の緑に囲まれた公園、豪華な噴水は華麗に水を噴き上げ、立派な彫刻の獅子が寝そべった像の上に数人の子供たちが登って遊んでいる。大人の姿がない。

何個か並んでいるベンチの一つに長ーい人の影が、よく見ると、あっちにもこっちにもどのベンチにも人が横たわっている。どれも浮浪者たちに占領されていた。

「あのおじさん達と写真撮ったら面白いかもね」私ははしゃぎ、彼女はゲラゲラと笑っている。今日の彼女はまったく屈託がないように見え、ラウルと写真に収まったりもした。

 もうすぐ12時、ホテルの前でショーウインドウを眺めながら小野さんを待っていると、まもなく小型の車で小野さんが現れた。

「Mucho gust」(初めまして)という意味のことをスペイン語で言ってラウルは小野さんと握手をしていた。そして小野さんはすでに後部席に座っている私を振り返って、

「日本の方ですか?」と訊いたので、

「そうです。彼女の友達です。よろしく」と早口で答えたが、

私は何故か恐縮しどう思われるか気になった。

「ああ、な~んだご夫婦かと思った。いや、失礼」言いながら、小野さんはスペイン語と英語で書いてある名刺を渡してくれた。

助手席にヨシが座りラウルが私の隣に乗り込むと、クルマは動き出した。

 私は早く彼に言いたくて、ラウルの耳に口をつけて小声で言った。

「He said ,he thought about us , a man and wife 」「Almost we are 」

(そうじゃないか)と平然として言うラウルを私はどうしてそう言えるの、と悔しくて面白くない。

 

 20分ほどで小野さん宅に到着した。中年の女性に案内されて、私たちは赤いソファと大きな丸いテーブルがある部屋に通された。ここのおばあちゃんが一緒に行くので待つということだ。

 さっきの女性が果物を盛った皿を持って来てテーブルに置いた。私はさっそくいただこうと、一つ手に取り口に入れる。瓜のようだが味はプリンスメロンで色は柿色の果物だ。食べかけの一片がころころと床に転がってしまった。ラウルが行儀悪いぞと、軽くにらんでいる。

「ここで出す果物は生きているんですよ」小野さんのさりげない一言。セニョール小野はユーモアのある人で助かった。 

「お待たせ」おばあちゃんが現れた。気さくなお年寄りで飛び入りのラウルを気にする様子もないのでホッとする。

 女三人は後ろのシートに、ラウルが助手席に乗るとクルマはソチミルコ湖に向かって出発した。

 排気ガスが充満する街の中、ひどい匂いの空気の中をとっくにスクラップになっていそうな車が大量に走っている。

小野さんの運転は見かけによらず、東京のタクシーだってかなわないのではないかと思うくらい見事に乱暴だ。

 1時間のドライブでソチミルコ湖に到着した。週末は賑わうそうだが、今日は観光客の姿はあまり見えず、私たちだけが目立っているような気がした。

 派手な色の幌の船が、乗る人もなく湖面にずらりと並んで客待ちをしており、露店が立ち並び土産物を売っている。普通の観光地の風景だが、日本と違うのは子供が大勢働いている。子供たちが私の行くてを後ずさりしながら歩調を合わせて歩くのだが、その手には拡げた紙を両手で持っていて、盛んに何やらしゃべりまくっている。彼らは食堂の客引きで、メニューを持っているのだった。

 

 観光地に行ったとき一番困るのはトイレが問題ではないだろうか。外国では尚更だ。

私は彼女とトイレらしきところを探して、入ろうとしたが鍵がかかっていてドアが開かない。観光地なのにひどいところだ。見ていたらしいメキシコ人の男が、トイレなら向こうにもあると手振りで教えてくれた。行ってみると確かにトイレらしい建物があった。

入り口に8・9才の男の子がいて、指を2本立てて「Dos pesos dos pesos 」と言っている。2ペソ渡すとティッシュを二枚くれた。男の子は勝手に商売しているんじゃないかなと思うが、不潔で水の流れが悪いとんでもないトイレだった。


 7時には空港に向かうので、5時半までにホテルに帰りたい、とラウルは言う。

大丈夫、5時半までにホテルに送り届けますよ。小野さんは請け合ってくれた。

 クルマは動き出した。どこに行くのか、どこに連れて行ってくれるのか、私は知らないまま乗っていることにする。

 小野さんは忙しい。神風並みの運転をしながら、それほど流暢には聞こえないスペイン語でラウルとしゃべっている。私たちと話すときは日本語に切り替わる。

ラウルはヨシと私に英語で話し、英語のまま小野さんに話し、

「No habro Engles 」と言われて「Sorry ! 」と謝ったので、皆で笑った。大笑いだった。狭い車内の中を、なんと三か国語が飛び交っていた。

 

 巨大な倉庫のような建物の駐車場にクルマは停車した。大勢の人がいる。何があるのだろうか。かなりの規模に見えるマーケットだ。

沢山の花屋が並んでいる。店先の花を見て私は驚いた。一つの花のサイズが大きい。菊の花も、グラジオラスもどう見ても私の知っている大きさではない。

とにかくデカいのだ。ゆでたトウモロコシを買っている人を見たら、トウモロコシの粒が日本のそれの二倍の大きさをしていた。

手のひら大でとげのある緑色のサボテン、せんべいのようなのを、トランプカードみたいに広げて手に掲げ持ち、売り声をあげている。食用なのかしら。

真っ黒に見えるバナナが小山のように積んであるが、食用として売って

いるのだとすると、なんか恐いな。膝上から切り取った牛の足、氷の中に埋め込まれている魚等々。マーケットの中は喧騒と奇妙なにおいが渦を巻いていた。

 誰も何も買わないうちに、マーケットを通り抜けてしまったのか、外に出てしまった。雨が降っていた。

 「ヨシの友達、面白いところに連れてきてくれた。ここは初めてだ」ラウルが独り言みたいに言っている。彼が退屈していないようなので私もうれしい。雨は激しく降っていて、私たちは駐車している車まで、一目散に走った。

 「買いたいものがあって、昨日行ったマーケットにまた行こうと思うのよ。すっごく安いんだから」走り出した車の中で得意そうに彼女が言う。

多分、昨日の同じマーケットだ。「私たちも昨日行ったわ」思わず私が言ってしまった。とたん、得意げだった彼女の表情が、無言のまま一瞬で能面をかぶったように無表情に変わった。

 

 小野さんのおばあちゃんは「No tengo dinero ! 」(お金ないのよ)と値切るのが上手だ。私は革のベルトが欲しいと思い、何軒か値段を聞いてみたが、まったく同じベルトが300円から1000円の開きがあるのには驚いてしまう。

狭い通路を歩いていると「ノーたかいよ、ノーたかいよ」日本人と知ってあちこちから声がかかる。「やすいよ」と言いなさいよ。私はおせっかいにも教えてあげたが、明日はまた「ノーたかいよ」に戻っているだろうと想像できる。

 駐車場に皆で戻り、小野さんが車の向きを変えているとき、ラウルはもうすぐ行ってしまう、早く訊かねばと私は焦ってヨシに小声で訊いた。

「もう一度訊くけど、サンディエゴとディズニー断っていいのね」彼女の表情はとたんに険しくなり「いいのよ!」きつい口調で言い放つと、プイッとそっぽを向いてしまった。屈託ないと見えたのは、表面だけだったらしい。

 車はホテルサンフランシスコの反対側に停車した。ラウルは小野さんに手を差し出し握手をすると、ちらりと私を見てから車を降り、すたすたと歩み去っていく。私は目で彼を追いかけた。建物に入る直前、思い出したように振り返りこちらに向かって片手を挙げてそして建物の中に消えた。

「あっさり、行っちゃったわね」ヨシが言った。

そんな言い方ないんじゃないの。私は憎たらしい思いで、しばらく彼女を見つめていたが、彼女はそんな私に気づきもしない。

 小野さんが運転する車は、女三人を乗せてしばらく走り今朝の小野さん宅に到着した。

 深紅のソファに私たちが落ち着くと、小野さんがウイスキーの水割りを作ってくれた。おばあちゃんが運んできたメキシコ料理、匂いがきつくて私は遠慮したかったが、ヨシが美味しいと言って食べているので、我慢して私も仕方なく食べる。水割りはとても美味しくて、私はお代わりまでしてしまった。

 小野さんはウィスキーのロックを飲みながら、面白くておかしい話を次々と話してくれたが、中には信じられないような話しもあって、どこまでが本当なのかわからなくなってくる。

 私は初めて行った場所の初めて会った人たちのおもてなしに、すっかり寛いでしまっていた。

 夕食は食堂でバーベキューのごちそうだった。肉や野菜がたっぷり用意されていて、鉄板の上で焼いて食べるのだが、つけだれが焼き肉用ではなく、めんみのだしだれなので味は薄い感じがした。ナスやきのこは日本のとは硬さや味が違うが、何か別のおいしさがあり、何と言っても牛肉が一番おいしくて、白菜の漬物とご飯は格別のおいしさだった。最後はラーメンを焼きそばにして鉄板焼きは終了した。

 熱々のお茶が出された。

「メキシコでこんなに熱くて美味しいお茶始めていただきます」

「そうでしょ?メキシコ人はみんな猫舌なんですよ」小野さんの返事である。

はぐらかされたような、でも本当かもしれない。


 時刻は10時半になっていた。小野さんと息子のマコちゃんに送ってもらって私たちはホテルアラメダに帰り着いた。

 マコちゃんは私の息子と同じ13歳だというが、しっかりとした少年で、肉を焼くのは彼の役目だったが自分が食べる暇もなくしっかりと、肉焼きの役目を果たしてくれた。

日本語を話すのは恥ずかしいとかでほとんど喋らず、終始ニコニコとしてみんなの話をただ聞いていたが、私をトイレに案内して「どうぞ、こちらです」言った日本語のアクセントは完璧だった。

 「Gracias ,Hasta luego 」(ありがとう、またいつか)車のわきに直立不動で立っているマコちゃんに 私は礼を言った。彼はやっぱり何も言わず、ニヤリと笑ったのだった。


 私はベッドに横になった。眠くない。またダメなのかしら、神経が興奮状態のままだ。メキシコで過ごした短い日々、ラウルのことを考え始めると止まらない。

メキシコで私は眠れない人になってしまった。そういえば、不眠の原因に気圧が無関係ではないと今日聞いたばかりだ。

眠くなるのを待とう。リビングに行って、煙草に火をつけてぼんやりしていたら、涙がじわっと湧いてきた。ここでは、私は泣く人になってしまった。メキシコシティの気圧は人の感情にも作用するのかしら。

 明日はいよいよアメリカだー!  

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