第5話  ロサンゼルスの夜

8月20日  

 8時20分集合。私たちは朝食抜きでロビーに行った。ジェットツアーの田中さんがかなり遅れて現れた。皆のチェックアウトに手間取ったらしい。高校生が外で買って持ち込んだコーラの空き瓶を、部屋の冷蔵庫のコーラを飲んだと思われ、料金を取られそうになった言うのだ。高校生の部屋には冷蔵庫があったのか。私たちの部屋には“ホームバー”と書いてある箱があったが、鍵がかかっていて開かなかったのに。

 結局、バスに乗った時は9時を過ぎていた。

どうにか出発して飛行場に向かった時、運転手のアントニオがガソリンを入れ忘れた!と言う。

「駄目だねーアントニオ」「しょうがないねーアントニオ」「日本だったらそんなドジ許されないぞ」皆が口々に言い立てたが、日本語を理解しないアントニオは、ニコニコ顔でハンドルを握っている。

「ここで怒ってはいけません。悠々と笑っていられる人がメキシコに合ってる人ですよ」

田中さんがすかさず言い、皆が一斉に笑った。結果、バスはガス欠にならず、ノンストップで空港に到着した。

「ゲートを絶対に間違えないように、皆さん一塊になっていってください。アメリカに到着しましたら・・・」事細かな説明と注意を受けて、私たちはかたまって通路を歩いてゲート5(cinco) にて搭乗時間を待った。

 ロスアンゼルス行きの飛行機は来た時と同じ “727” しかし今は昼間だ。隣にはラウルではなくヨシが座っている。

窓の下には赤っぽい土だけの世界が延々と続いている。

Adios Mexico City ! 私は昼のメキシコに別れを告げた。

 

 4日前に、真っ青な空を見ただけで素通りしたロスアンゼルスの空港に無事着陸した。機上で食事は済ませたし、世話をしてくれたのは近藤正臣そっくりのハンサムなスチュワードで、ヨシも私も大満足だった。

カリフォルニアの空は今日も抜けるようなブルーだ。

 入国ゲートで私は英語の返事を用意して審査官の前に立った。

「コンニチハ、イクニチタイザイデスカ?」えっ!日本語?理解するのに数秒かかり「4日です」慌てて私は日本語で答えた。

 皆ではぐれぬよう鎖みたいにつながって外に出た。アメリカでのジェットツアーの出迎え人は、背の高い30歳ぐらいの女性だった。白いパンタロン姿ではきはきと話し、顔はニキビが目立つが、有能そうに見える人だ。

 私の顔や腕に照りつけるカリフォルニアの太陽は強烈。だが、日本とは違う乾いた風が心地よい。

美しい木々の緑に見とれていたら、私の目の前を鮮やかな深紅色が横切った。なんと?

それはニューモデルのフェアレディZ 。ワッ!!日本車だ!

 私たちが乗ったアメリカ車のマイクロバスは、低い天井、後ろにもドアがある快適なクッションと冷房がよく効いた素晴らしい乗り心地で、ホテルまでの1時間は楽しいドライブだった。

 すぐに入ったフリーウエイは片側が5車線もあって、車は流れるようにスムースに動いている。日本車が多いので皆でびっくり。ダットサン、シビック、プレリュード、etc。

 

 私たちが4日滞在する、ユニバーサルホテルは丘の中ほどに立っていた。

 エントランスを入ると、右側にアクセサリー、Tシャツ、化粧品等が並んだ売店。

左側にはフロントのカウンター、隣にすてきなドレスをディスプレイしているブティック、その前を通って行くと、ジェットツアーの事務所があって、左側は広いロビーになっていた。人の姿はあまり見えず、座り心地がよさそうなソファや椅子が間隔を開けてゆったりと置いてある。

 ロビーの一角にパンタロンの女性を囲んで皆が腰を下ろした。彼女はアメリカで注意すること、例えばドアがノックされたら、チェーンをかけて開けること、タクシーの乗り方、チップについて等々、私たちに話し終えると、近辺の地図と部屋のキーを配った。

 

 私たちの部屋は276号室。ロビーから廊下に出て乗ったエレベーターは、天井にちりばめた小さな明かりだけ、とても暗く壁は黒い光る石で、止まったままかと思うほど静かで金庫の中にいるみたいな感じで、ホテルアラメダの揺れるエレベーターとは大違いだった。

 キーでドアを開けて部屋に入る。目に飛び込んできたのはイエロー、イエロー、イエロー。セミダブルのベッドが二つ、カーテン、壁、すべて明るい黄色の花模様で、まるでお花畑のような部屋。バスルームも同じ花畑。いかにもアメリカらしい、カラフルな部屋に私たち大満足。

箪笥の上には小型のテレビが乗っていて、窓際に小さなテーブルと椅子のセットが置いてある。

 トランクの服を全部箪笥に移した。一息ついて時計を見ると4時30分だ。テレビをつけて彼女とおしゃべり。今日、ラウルとの約束は 、

“Victoria Station ” (レストラン)で午後6時という約束になっている。

 飛行場からのバスの中で、オプショナルツアーのプリントが配られ説明があったのだが、ヨシはそれについて何も言っていないが、どうするつもりなのだろう。

「ディズニーのオプション申し込みするの?」私から訊いてみた。

「うーん、帰り時間が決められているから~時間が制限されるわよねー・・・」彼女はこれだけ言って黙り込んっでしまった。つまり申し込みはしないという事なのか。

「私はオプションで行く!あなたは彼と行きなさいよ。私はオプションで行くからいい!」あれほどメキシコで強く言っていたのは何だったんだろう。

気が変わった?それとも忘れたのか、忘れたふりをしたいのか、どれでもいいけど私はしつこく訊かなかった。私にとっても最初の予定どうりの方がいいのだから。

 この276号室はホテルのどのあたりにあるのか、窓から見える駐車場はがら空きで、車が入ってくる様子がない。この部屋に来るのにエレベーターで2階を押すと、下に動いた。フロントが3階にあって、この部屋はエントランスと反対側に位置するのだろうか。

静かですてきな部屋に満足して、二人でいろいろなポーズで写真の撮りっこをする。しばらくして私は時計に目をやった。彼女も時計を見て顔を上げたところだ。時差があるのを思い出した。

「ねえ、ねえ、ここアメリカだから、メキシコよりまだ1時間あとじゃない?」

「あ、そうよね、まだ4時前なんだ」

なんか随分と得した気分になった。

 私はシャワーを浴びて、ラウルが好きそうな黒と白の細かい模様のワンピースを選んだ。アラメダホテルのロビーで、

「At six , at Victoria Station」確かにラウルはそう言った。彼は来てくれるだろうか。

 化粧を終えて外を見るとまだ太陽は高いところにある。

「何か軽く食べようか、今日はまだ一食食べただけだから」私とヨシはロビーを通り、階段を下りて “カフェ ユニバーサル” を見つけた。

 半端な時間のせいかカフェは空いていた。入口寄りの柱のそばの席に私たちは座った。渡された英語のメニューを見る、うん、大体わかる。私はブーベンなんとかサンドイッチ、彼女はツナサンドとそれぞれにコーヒーも、と待っていた黒人のウエイターにオーダーした。彼はオーダーを復唱し、ツナサンドはチュナサンドと聞こえた。

 大皿に厚さ5センチはありそうなサンドイッチが2個、ピクルス、さっぱり味のサラダ、すごいボリュームだ。軽く食べるつもりが多すぎる。サンドイッチ一個をやっと食べ終えた。アメリカンコーヒーはお代わり自由だが、味が薄くて物足りない。ああ、濃いコーヒーが飲みたい。

 Victoria Station まで歩いて何分かかるのか、地図を見て大体の見当をつけて、5時30分に私たちはホテルを出た。太陽は真昼のまぶしさで、夕方とは思えない高さにある。

 

 シェラトンユニバーサルホテルの玄関前から曲がりくねった道をのんびり下りていくと、直線道路にぶつかった。この道もかなり勾配のある坂である。私は何も迷わず左に曲がり坂を下り始めた。この時何故かわからないのだが、私は坂を下りようと決めていて、ヨシは黙ってついてきていた。

もう夕方のはずなのに、空気は澱み、ものすごい熱気で、風はそよりとも吹いてくれない。200mも下ると T 字路にぶつかった。

「どっち?」彼女が訊く。「右だと思うけど・・・」私はヴィクトリアステーションはこの辺りで、もうすぐ見つかるとまだ信じていた。信号が青になるのを待って、通りを渡りずーっと首を伸ばして先の方まで見るが、それらしい看板も建物も見当たらない。ようやく私はおかしいと思い始めた。

「誰かに訊こうよ」彼女が言う。しかし、訊こうにもビュンビュン走っている車は多いが、人がいない。人影を探してぐるりとあたりを見回す。ビルの駐車場に入っていく車があり、私はそっちに向かって走った。丁度車から降りたばかりの女の人を捕まえた。

「Excuse me but could you tell me where Victoria Station is ? 」その人が「うん?」と私を見たので、通じないのかなと思ったらVictoria Station と小さく呟いて、彼女が指をさしたのは、私たちが下ってきた丘の上だ。丘の上とはどういうこと?

坂の途中には無かったわねー、とヨシと顔を見合わせて、来たのとは反対側の歩道を登り始める。

 汗が額を濡らし、胸や背中をダラーっと流れて気持ちが悪い。時間はすでに6時10分前遅刻は確実だ。気が焦る。どうなっているんだろう。ヴィクトリアステーションはいったいどこにあるの? 地図を見た時、ちょっと見ただけで分かったつもりだったのがいけなかった。

汗をふきふき坂を上がっていくと、花束を手に持ち、走っている車に呼びかけている花売りの少年に出会った。少年にさっきと同じ質問をする。

「Victoria Station ? there ’s top of the hill 」少年もやっぱり坂の上を指さした。

えっ!トップだって?そうかやっとわかった。地図にはヴィクトリアステーションとチャイナレストラン等が地図の下方に書いてあったが、道路を向いたユニバーサルホテルの角度をよく見ずに、それらを下方と決めてしまった私の早とちりだ。

 坂の上、丘のトップと分かったからには急がねばと、私たちは黙々と頂上目指して歩く。右手にシェラトンユニバーサルを見ながら、更に上へと昇っていく。顔がほてって暑い。脇を車がビュンビュン私たちを追い越していく。フーフー言いながら歩いているのは私たちだけ。バッカみたいと思うが仕方がない。

「ごめん、ごめんなさい。まったく私が悪い。早とちりしたばっかりに」

私はヨシに謝った。

「いいから、いいから。しょうがないじゃない」赤い顔で彼女は苦笑している。

坂をついに登り切った。たくさんの人たちが向こうに見える。ユニバーサルスタジオの入り口らしい。左を見た。あった!ヴィクトリアステーションがあった!

 大きな建物だ。木の階段を数段上がると大きなドアがあった。ドアを押して私たちは中に入った。たちまちサーっと気持ちのいい冷気に包まれた。

そこは天井が高いホールになっていた。左側にカウンター、沢山の椅子やテーブルそれらは人々で埋まり、壁の時計が6時15分を指しているのが見える。

ホールの奥は、一段高くなって、衝立で仕切られたボックス席がずーっと続いているようだ。

 私たちは立ったまま、ホールの中を見回した。ラウルがもしいれば私たちを見つけるはずだ。しかし、立ち上がってくる人もなく、テーブル席に空席はなさそうなので、ドアを押して生ぬるい気温の外に再び出てしまった。

「Yuko ! 」背後で声がした。振り返るとラウルがドアを出てくるところだった。

「遅いからドアを出たり入ったりしていたよ」

「ごめんなさい、道を間違えてしまったの」

3人で涼しいホールの中に引き返す。

丁度席を立つ人たちがいて、私たちは座ることができた。

「冷た~いビールが飲みたい。ものすごくのどが渇いたわ」

言っている私の声がラウルにまた会えたうれしさで、なんか甘えてる。

 上がやや広がった細長いグラスに入ったビールは、冷たくておいしくて、私は一気に飲んでしまい、ラウルが自分のグラスから私のグラスにビールを継ぎ足してくれた。それからウエートレスを呼んでレストランの予約をした。

 全身が心地よく冷えたころ、私たちはロングスカートに白いエプロンのウエートレスに案内されて、食事中の人々のテーブルを間を通り抜け、レストランの奥へと歩き、途中から列車内のインテリアに変わった中を、さらに奥へと進んで、列車の最後尾と思われる席についた。

目の前の壁にこの列車の現役だったころのパネルが二枚飾ってある。窓から顔を出してみると地面がかなり下方に見えた。

 メニューを見て”本日取れたての魚”に三人で決めた。

 木製のまな板(トレー?)の上に四角い茶色のパンが乗っていて、そのパンには驚いたことにナイフが突き刺さっている。

大きな皿の上に名前の知らない魚の半身のバター焼き。切れ目にバターを挟んだ皮付きのジャガイモ一個。両方ともかなり大きめだ。さっきサンドイッチ食べてしまったのは失敗だったかも。

 私は魚を半分に切って、ラウルに「どうぞ」と言ってみた。

「そのままそこに置いておいて」と言う。ジャガイモの皮まで食べていたのに、結局魚は私の皿に乗ったままだった。彼の好きな魚ではなかったのか。それともこういうのアメリカでは悪いマナーなのか。それとも恥ずかしかっただけなのか。訊いてみようか、と思ったが、こういう時困るのが、微妙なニュアンスをどう表現すればいいのか私は知らなかったので結局訊けずじまいだった。


 サラダはサラダバーに取りに行った。新鮮でパリパリの生野菜、果物、種類や量もたっぷりで、ドレッシングは3種類選べるようになっていた。

 私の皿には魚が残り、私より小食の彼女も食べ残した。だけどとても満足そうに食べていたし、メキシコのヒステリックムードは影を潜めているように見える。

 「今日はこれから、どうする?何がしたい?」ラウルが訊いた。

「夜のロサンゼルスには何があるの?」

「映画はどう?シネラマだよ、シネラマ知ってる?今、面白いのをやってる」

「いいわね、good idea 」彼女もラウルの提案に賛成で、今夜はシネラマを観ることになった。 

「Yuko 明日はどうする?予定は?」

「ディズニーランドに行きたい。明後日でもいいけど」

「明後日は日曜だから混むだろう・・・じゃ、明日、ディズニーランドに行こう。その前にサンディエゴだね」

ラウルはそう言って、私にだけわかる素早いウィンクをしてくれた。

彼はヨシの今日の表情から、メキシコでのトラブルを忘れることにして、予定を予定どうり実行してくれようとしている。

 私たちはレストランを出て、ラウルが車をおいた駐車場に向かった。電飾で飾り立てピカピカ光るケーブルカーで80mほど坂を下る。自動で動くケーブルカーは急な勾配の坂を私たちを乗せて粛々と下っていく。眼下には見渡す限り縦横に、ロサンゼルスのまたたく光の壮大な夜景が広がって見えていた。

 ラウル自慢の車は駐車場で私を待っていた。

新車だよと聞いていたが、何とそれは日本車のトヨタスープラ。

暮れつつある薄紫色の大気の中に、ブルーグレーのメタリックボディはすばらしく優雅に見えた。

「212よ。あなたのラッキーナンバーにしたら?」

さっそくプレートを見た彼女が言った。

 私が助手席に、後部座席に彼女が乗り込むと、スプラは滑るように走り出した。 

「この映画はねー、すごく面白いと評判だよ。私の息子は6回も観たそうだ」

広い駐車場に車を乗り入れながらラウルが言った。

 かなり向こうに見える円筒形の劇場に向かって、三人で歩き出した時、黒い影のようなものが急速に私たちに近づいて来た。

背丈のある瘦せた黒人男性だ。暗がりから不意に現れたとしか思えない。男はラウルに歩調を合わせ並んで歩きながら背を屈め何かを言っている。

「どうか、一杯のコーヒー代を恵んでください」英語だがそう聞こえた。

これは、私が好きなアメリカの漫画「ブロンディ」に出てくる西洋乞食じゃないのか?

本物に遭遇してしまったのか。セリフまで同じだ。顔は暗闇に溶け込んでよく見えないが、黒っぽいズボンにチェックの上着を着ているのがうっすらと分かる。おそらく上着の肘には、肘あての布があるに違いないと想像できるほど、漫画の絵にそっくりなのだ。

ラウルがポケットを探りいくらかの小銭を男に与えた。

そばに寄ってきて、お金を無心するホームレスは、日本では聞いたことがない。

気味が悪い。私は明るい建物に向かって小走りになっていた。

 

 チケットを買って私たちは映画館の中に入った。えんじ色のフカフカの絨毯が敷き詰められたホールに、映画がもう始まったのか人の姿はない。サウンドが漏れて聞こえてくる。ドアを開けて中に滑り込んだ。いきなり、大音響とともに巨大スクリーンに蠢く巨大な人間らしい姿が目に飛び込んできた。

 背を屈め通路を進んで、真ん中あたりに三つ並んだ空席を見つけて座った。

 「あ、これ知ってるー、知ってるー」興奮して私は思ったより大きな声で言ったらしい。「シー!」ラウルに言われ、首をすくめる。

タイトル「The Raidars 」ハリソン・フォード主演。

共演する男勝りのチャーミングな女優の名を私は知らない。彼女の役はお酒に強く、気も強く、主人公と行動を共にして、そして恋に落ちる。ハリソン・フォードはまさにスーパーヒーロー、フツーでは考えられないほどタフで超人的な活躍をするのだ。

「アメリカ人って、こういうヒーロー、好きだよねー」

私が言うと、ラウルはゲラゲラと笑いながら、握っていた私の手を更に強くにぎり締めてきた。

 スクリーンに映る映像に過ぎないというのに、ここの観客の反応は凄まじい。ヒーローの活躍に、ピーピーと口笛を吹き鳴らして、拍手を惜しまず、足を踏み鳴らしての声援である。日本の観客はもっと静かだったと思う。私は正月に新宿でシネラマではなかったが同じ映画を息子と観たのだ。

周りがエキサイトすると、こういうアドベンチャームービーはより面白く感じるものだ。二回目だが更に面白かった。

 

 アメリカ一日目が終わろうとしていた。車に乗り込み走り出してから、ヨシがワインを買いたいと言い出した。

「スーパーマーケットか酒屋を探そう」とラウルが言って、あちこち車を走らせたが、彼の記憶にある酒屋が見つからず、やっとマーケットを見つけた。

 ワインの銘柄をラウルに選んでもらって、彼女はチョコレートやポテトチップスを買った。

深夜に近いロサンゼルスのスーパーマーケットは何かスリリングで、彼女と二人だけだったら体験は難しかっただろう。

 スプラはユニヴァーサルホテルの玄関前に滑るように横付けになった。

私は車のドアに手をかけラウルを見る。彼は私を見つめて チュッ!唇をすぼめた。私もチュッ!唇をとがらせる返事をして、車を降りた。

「Thank you ,good night ! 」「At nine at here tomorrow 」言い残して、ラウルのスプラは闇の中に走り去った。

 

 

                       




8月21日  ディズニーランド

 昨夜はぐっすりとよく眠った。今朝の目覚めは爽やかで頭もすっきりとしている。

 9時近くにホテル内のジェットツアーの事務所に行き、到着日に食べそこなった食事の返金7ドルを受け取った。

 ヨシとフロントの方へ行って外を透かし見るが、ラウルのスプラはまだ来ていないようだ。売店に入って、化粧品やアクセサリーを見ながら玄関に注意を向けていた。外は強い風が吹いているらしく、木の枝が大きく揺れている。

 ブルーグレーのメタルボディの姿が見えた。私は外に出て車に駆け寄った。

「Good morning ! 」ラウルに挨拶をして、車の前と後ろに私とヨシは乗り込む。

「Be careful Yuko ! 」「Yes I’ m ok 」ほんのちょっとした事だけど、私は嬉しい。

日本の男性はこういう気遣いをしてくれる人はあまりいない。

 スプラはすぐに走り出した。昨日私たちがフウフウ言いながら登った曲がりくねった坂を下り、少し走ったと思ったら、フリーウエイに入っていた。

空はちぎれ曇に幾重にも覆われ、所々青い空がぽっかりと見えている。

不安定な空。天気予報はどうなんだろう。

「今日はね、サンディエゴまでドライブして、3時ごろにはディズニーランドに行けるよ」ハンドルを握り、正面を向いたままラウルが言った。

 大粒の雨がぽつぽつとウインドウに当たり始めた。ラウルがワイパーのボタンを押す。見上げる空は今、グレーだけだ。しかし、本降りにはならない予感がしていたら、雨はやがて止んだ。

 右手の方に新宿副都心に見るような高層ビルの群が見えてきた。それ以外に高層ビルはほとんどなく、延々とフリーウエイが続いている。

フリーウエイは混雑する様子もなく、色々な車種のクルマが、どの車も一定の間隔を置いて点在し、ベルトに乗ったおもちゃの車かと見まごうばかりのスムーズさで流れるように動いている。

ヨーロッパ製のかっこいいクルマ、アメリカ製はデカイのが多い。

これらに交じって、日本車の小さいのが沢山目に付く。

道路が広いせいか、シビックなどは日本で見るより小さくてかわいい。

ナンバープレートは州によって色が違うらしく、ブルーのプレートに

オレンジ色の数字、上にはカリフォルニアと書いてあるのが、当然だが一番多い。黒のプレートに白い文字、それはニューヨークだった。

右の頭上には、地名を書いたボードが次々と現れ、

私はそれが面白くて片っ端から次々と読み上げ、後ろに遠ざかると忘れていた。

 運転しているラウルを私はじっと見つめる。ラウルは気づいて、グリーンのレンズの奥からパシッとウインクを送ってくる。

私もパシッと慣れないお返しをする。彼の手が伸びてきて、膝の上の私の手をつかんだ。彼はそのまま片手運転をしている。私は彼の肉厚の手の感触を確かめたり、スカートの上から膝に押し付け、軽い陶酔を感じたりしていた。

 ラウルがカセットテープをセットした。彼の手元を見ると、縦、横

小さなボタンのようなものがぎっしりと並んでいる。

「なんか、すごいね」

「息子がこういうの好きでね。知らぬ間に取り付けてしまったんだよ」

16歳になるラウルの息子は時々遊びに来て、ガールフレンドに電話ばかりしているのだそうだ。

どんな男の子なんだろう。彼に似ているのかしら。

 流れ始めた音楽は、ロマンチックなラテンボーカルだ。

「Do you remember these songs ? 」

「Yes I remember them very well 」やがてテープは男と女のデュエットになった。ミステリアス、それでいてロマンチック。

これ好きだなー “ Nosotros ” (私たち)そう思った時、

「I like this song 」ラウルが言った。やっぱり!

だけど、この歌は、愛しながらも別れる恋人たちのセリフが詩になってるんじゃなかったかしら。切なくて悲しい歌だ。

テープの片面が終わったところで、ラウルはラジオに切り替えた。

ラテンばかりでは、ヨシが退屈してはいけないと思った。そして、

ラウルはテープを抜き取り、ケースに収めると、

「For you I made it ,Yuko 」と私に差し出した。

「Thank you so much ,Raul 」イーディー・ゴーメの歌声、私はすっかり好きになっていた。

 「ラウル、今思い出したけど私たち日本でキャデラックに乗ったことがあったわね。あなたが、友達から借りてきたのだった」

「Yes, that funny ! 日本でキャデラックに、カリフォルニアでトヨタに

乗ってるー ! ウフッ ウフッ ! 」ハンドルを握ったままラウルは心から楽しそうに笑う。

「あのキャデラックは何色だったかしら? そー、黒と白のツートンだった」

私は今、20年の時を経て、再び彼とドライブをしている。一昨年までは想像すらしていなかったことだ。


 2時間半のドライブで、私たちはサンディエゴに到着した。

 細くて長ーいアーチ形の芸術的なデザインの橋を私たちのスプラは渡る。

橋の頂点から見下ろす入り江は、本当に絵のように美しい。

静止しているいくつかの軍艦。小さく見える白い帆のヨットたち。

白く泡立つ長い帯を後ろに従えて、ゆるやかに動いている客船。

スプラが橋を渡り角度を変えるにしたがって、額縁のない空と海の絵はゆっくりと変化していった。

橋の終わりに料金所があった。半日ドライブをして初めて交通料金を支払った。

 サンディエゴの街は綺麗に整い、道路は整備され、空気は清涼で 、

“ For Rent ” のこじんまりとしたアパートメントを見たりすると、一か月でいいから住んでみたいと思い「わたし、ここがいい!見て!見て!」

「いや~ さっきのアパートのベランダがすてきだったよ。わたし、あっちがいい!」

彼女と私、しばらくの間、本気でその気になっていた。

 急に空腹を感じた。そういえば、朝食を食べていなかった。

「何がいい?ここはメキシカンレストランが多いよ」ラウルが言う。「ピッツアはどう?」あ、それいいね~とピザに決めた。

ピザの店はすぐに見つかり、ラウルはスープラを駐車場に停めた。

 明るい店の中、木肌をそのまま生かした大きな四角いテーブルに同じ材質の椅子、ゆったりとして落ち着けそうな雰囲気の店だ。

三人ともピザを注文した。それにコーラとコーヒー。

 「Where is wash room ?」ラウルはテーブルのわきに立ったまま注文を終え、サングラスをテーブルに置いて、トイレに消えた。

チャンス!すでにヨシはタバコを手にしていた。

「私にもちょうだい」1本貰って火をつける。

隠れてタバコ吸うのは嫌だけど、嫌がる人の前で吸うのはもっといやだ。

「かわいそうね」彼女はニヤニヤして言う。

ドアを気にしながら吸っていると、

「現れたら、ここに置けばいいわ」

すでに火を消した彼女が灰皿を指さした。

 ピザとコーラ、コーヒーが運ばれてきた。

「ウワーッ!これでミディアム」思わず声を発したほど大きいピザは、

厚さが日本のピザの3倍はありそうだ。

食べてみると味も申し分なく美味しい。二杯のコーヒーと二切半のピザで満腹になりそう。

「デザートは、アイスクリーム?」「ハイハイ」ラウルは私たちのためにアイスクリームを取りに席を立って行った。

 「旅の素晴らしさはさ、何と言っても人が作ってくれたものを、何日も食べられることね。一家の主婦が毎日の家族の食事を作らなくっていいって、楽でいいわ」ヨシの言い方には実感がある。

「私だってそうよ。日本から遠く離れてサンディエゴのレストランでピザを頬張る、これはだれにも縛られない、私自身だわ」

「It ’s so wonderful ! ! 」手に持ったピザを高く掲げて、私と彼女は上機嫌で叫ぶ。

アイスクリームを両手に持って戻ってきたラウルが、私たちの勢いに驚いたのか、

「エッ!なあに?」という表情でわたしを見た。

彼女と私の雄叫び?何を叫んでいたのかを、ラウルに伝えるとラウルは

「うん、うん、そうそう」と頷いたが、男にこの心理はわかるはずがないわ。

 チョコレートアイスは大きなカップに入っていた。

「食べきれないのは残しなさい」とラウルは言うが、食べ物を残さない主義の私には大きすぎるカップがうらめしい。

「アメリカの食べ物って、どれも日本の2倍はあるね」

アメリカ2日目の私の感想である。だから、アメリカ人の太り方のスケールが違うんだ。

日本ではお目にかかれない、超重量級の男や女が多いのに驚く。

 満腹した私たちは店を出て、再びスプラに乗った。レストランの入口のところにいる二人の男が、スプラを見ながら何かしゃべっている。

「この車、フェラーリに似てるんだよ」

ラウルが得意そうに言った。

 さあ、これからディズニーランドだ! 名残惜しいがサンディエゴを後にする。

「Raul ,would you take me here again ,in twenty years will you ?」

(20年後に、またわたしをここに連れてきてくれる?)

「If you want Yuko , sure I will 」(もちろん、Yukoが望めばね」

ちょっと言ってみただけだけど、真面目な答えが返ってきた。

「ラウル、この辺りもう少し見てみたいな。いいかしら?」

「OK Yuko」ラウルは運転しながら、周囲に目を配り、丘の上の洒落た住宅地を目線で示しながら、

「あれはどう?高級住宅地の見学というのは」

「ウワー、すてき!let go ! 」

ラウルはハンドルを右に切り、なだらかな坂を昇っていく。

 一軒一軒、形も大きさも違う家がゆったりと間隔を保ち並んでいる。

すでに人が住んでいそうな家。“For Sale ” の札を出している家。

“Open House ” の家の前でラウルは車を停めた。

私は映画でしか見たことがない、本当のアメリカンハウスに期待しながら入っていった。

 どんな内装になるのか、粗い壁がむき出しの広いリビングルーム

に続いてキッチン、階段を5.6段上がった中二階に、二つのベッドルーム、廊下を挟んでバスルーム、その奥に小部屋。寝室は8畳ぐらいで意外と狭い。

「こじんまりとして、わりと日本人向きにできてるわ」ヨシが言った。

廊下を戻りかけて、三人がぶつかりそうになり、せまい廊下も日本家屋みたいだ。一階から、5.6段の階段を降りるとガレージになっていた。

そこは広くて、車2台以上入りそうだ。

 ラウルが外壁を拳で確かめるように叩いて、

「この壁はあまり良くない」等と言っている。彼のそんな動作を見るのは楽しい。私たちが一緒に住むはずは永久にないだろうけど。


 「この辺りに、5.6年会っていない弟が住んでいるはずなんだ」

くねくねした坂道を下り終わって、ロサンゼルスに戻るフリーウエイに乗った時、ラウルが話し始めた。

「あ、そうだ、もう一人30年会っていない弟もいる」

聞いていた私は啞然としてしまった。

さっきも、住宅地に向かう途中で、

「この辺りに母親が住んでいたはずだが」と言ったのだ。

アメリカ人って、そんなにさっぱりしているのだろうか。もっとも二人の弟たちは、それぞれ、両親が離婚後に生まれたらしいのだが。

それにしてもL.A からそんなに遠くはないのに、母親にあまり会わないとか、この辺りに住んでいたと思うがと聞こえたが、訪ねたりしないのだろうか。日本人の私には理解しにくい。

 見覚えのある所はすでに通り過ぎた気がした。

あと、1時間ほどでディズニーに到着するらしい。

“今や、ナッツベリーファームはディズニーランドより楽しい”こんな看板に出会った。遊園地だとすると面白い名前だ。

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夏の日の 1982 @neko_ai

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