第16話 エルヴィアの故郷

「レイブ!! 応答しろ!! レイブ!! レイブ!!」


 必死に呼びかけるウェイドの隣では、ロォズが望遠鏡を目に押し当てて、暗雲の垂れこめる前方を凝視しているが、その顔はすでに蒼白だった。


「……見つからない! 見えません! ウェイド様、お願いです!

 もっと近づいて!!」


「無理だ! これ以上接近すれば、我々の命が吸われる!」


 ウェイドは憎々しげに歯ぎしりしながら、漆黒の山脈を睨んだ。


 深い峡谷や複雑な亀裂が幾重にも重なり、暗い空の下で、さらに濃い闇を刻んでいる。

 その中に墜落すれば、見つけることさえ不可能だ。


「レイブ様!! 返事して!! レイブ様ぁぁぁぁ……!!」


 ロォズの声は悲鳴になっている。

 他の乗組員たちも沈痛な表情を見交わしていた。

 頭領を乗せた骸装騎が失われれば、リオン家は終わりなのだ。

 頼りのウェイドも、為す術なく立ち尽くしているように見える。だが。


「通信士! 正体不明の見えない骸装騎が領内に侵入したと城に伝えろ!!」


「は、はい!」


「総員戦闘配置!!

 全方位を監視して、何か異常があれば、構わんから撃て!!」


 ウェイドの号令がかかると、死に体だった艦内はにわかに生気を取り戻した。

 絶望的な空気に支配されそうな時には、余計なことを考えさせないのが一番だ。

 

 誰に教えられるでもなく、指導者としての本能でそのことを理解していたウェイドは、望遠鏡から目を離して、泣きじゃくっているロォズの頭も思いっきり引っ叩いた。


「役立たずの下女は泣くことしか出来んのか!!

 ならここから出ていけ!! 邪魔だ!!」


 驚いて振り向いたロォズは、しかし呆気に取られたのも一瞬、すぐに袖口で涙を拭うと、


「侍女です!!」


 と怒鳴り返して、ふたたび望遠鏡でシルヴァリスの姿を探し始めた。


 その姿に一応の満足を得たウェイドだったが、感合石に手を置いて船体の火砲をせり出させた時には、不遜な表情とは裏腹の、張り裂けそうな内心を隠すのに必死だった。

 

 こんなものは一時しのぎでしかない。

 いずれ、目の前の冷酷な現実に押し潰される。

 彼自身を含めて、全員が。

 

 ウェイドは、そのこともよく理解していた。





 そして――

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 レイブがふと目覚めると、そこは闇に満たされたどこかだった。

 

 しかし何も見えないわけではなく、ちらちらと瞬く光が無数にある。

 それが夜の空だと理解して、レイブはようやく自分が生きていて、湿った草の上に倒れている現状をぼんやりと認識した。


 草の上?

 神骸座の中じゃない?


「……シルヴァリス!?」


 飛び起きたレイブは慌てて首を巡らしたが、深い闇の中でも見落としようのない、あの白銀の巨体はどこにもない。


「そんな……」


 自分が一人ぼっちで、どこにいるかもわからなことを理解した途端、とてつもない恐怖と絶望がレイブの心に押し寄せた。

 

 全身から力が抜け、がっくりと膝をつく。

 こんな所にうずくまっていても仕方ないと頭では分かっても、では何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか、皆目見当がつかないのだ。

 

 暗い中でうろうろするのは、体力を消耗するだけで逆によくないと言い訳をして、近くの大木の根元に座りこむのがやっとだった。


 シルヴァリス――エルヴィアはいったいどこへ行ってしまったのか。


 まずは自分がなぜこんな場所にいるのか、それを突き止めないことには迂闊に行動もできない。

 レイブは、自分を落ち着かせるようにもっともらしく頷くと、気を失う前の出来事を思い返すことに努めた。

 

 相手の剣が、シルヴァリスの胸を貫いたのは覚えている。

 運よく神骸座を直撃はしなかったが、激痛と衝撃で気を失ったのか?

 いや、その時はまだかろうじて意識はあった。

 失神したのはシルヴァリスが黒の山脈に墜ちはじめてから。だったと思う。


「……でも、だとしたらすぐに神骸座から排出されたはずだけど、どうして……」


 闇が薄れ、見上げる空がほのかに白み始めたのに気づくと、レイブは改めて周りの景色に視線を送った。


「……どこだ、ここは?」


 目に映るのは、朝霧の中で輪郭を取り戻しつつある木々が、鬱蒼と茂る森だ。

 ちょうどその中に、ぽっかりと開いた小さな空き地のような場所に倒れていたようだ。

 

 しかしそのことよりも、何とも言えない奇妙な違和感が、レイブの神経を逆撫でした。

 

 特に植物に詳しいわけではないが、直感的に見たことがないと思える木々なのだ。

 葉の形も、幹の様子も、どこか違う。

 それを確かめようと、背中を預けていた木の幹に恐る恐る指を這わせた時だった。


 夜明けのひんやりとした空気を震わせながら近づいてくる地響きに気づき、慌てて下生えの影に隠れたレイブの目の前を、騎馬の一団が駆け抜けていく。

 

 リオン領で乗られているものとは微妙に体つきが違う馬と、馬上の騎士たちがまとう、見たことのない甲冑の意匠が、レイブの疑念を決定的なものにした。


 シルヴァリスが墜落を始めた、あの絶望の瞬間。

 

 すぐにでもここから離脱しなければ、という一心で頭に閃いたのは、サナトニから見せられた古文書の一節。


 ――往時のシルヴァリスが翼もて、世界を越えたという伝承だった。

 

 その強い思いがエルヴィアに伝わり、共鳴し、シルヴァリスに眠っていた本来の力が目覚めたとしたら。

 ここは、もしかして――


 まるで背後から迫る何かから逃げるように疾駆する一団を見送って、そろそろと茂みの中から這い出したレイブは、彼らが来た方向に顔を向けた。

 

 その視界に、白銀の翼が翻る。

 明け染める空に尖る木々の、さらに上空。

 

 見間違うはずのないシルヴァリスが、騎士たちを追うように空を駆けていた。

 

 やがて獲物に襲い掛かる猛禽類のように、巨体をひねらせて急降下に入り視界から消えると、レイブは我知らずに駆け出していた。


「エルヴィアァァァァァ!!」


 シルヴァリスが、僕が乗っていないのに動いている。

 エルヴィアが単独でシルヴァリスを操っているということだ。

 そんなことが……。


 疑念のままに叫ぶレイブの耳に、聞いたことのない言語で、断末魔の絶叫が響いた。

 同時に斬り飛ばされた大木の幹が空高く舞い上がり、夜明けの空気は濃密な血の匂いで充満した。


 シルヴァリスの大剣にかかれば、生身の人間など一瞬で肉片になる。

 木が邪魔なら、木もろとも粉砕する。

 

 レイブがその場に駆け付けた時には、乱暴に伐採された幹の残骸お、ひしゃげた甲冑の破片が散乱しているばかりで、二十騎ほどいた騎士たちは跡形もなくなっていた。

 

 その真ん中に立ち、傲然と殺戮の跡を睥睨しているシルヴァリスの姿は、太古の生神そのままの獰猛さで辺りを払い、主であるはずのレイブも近づくのをためらうほどだ。


 もしかして、エルヴィアではなく、今度こそ本当にシルヴァリスが蘇ったのか? 


 それほどの激しい、肌を刺すような怒気に、レイブが恐れをなして立ち止った瞬間、シルヴァリスの剣が生き物のように撥ねた。

 

 レイブの口から声にならない悲鳴が漏れたのは、暴風をまき散らしながらギリギリ頭上で止まった刃に、腰が抜けた後だった。


 慌てて剣を引いたシルヴァリスが心配そうに屈みこみ、ゆっくりとした仕草で巨大な手を伸ばす。

 

 それを見てようやく安心したレイブは、震える手で大きな指先に触れた。

 途端に、頭の中に声が響く。


「ああ、エルヴィア!!」 


〈レイブ、無事か? 怪我はないか?〉


「うん。僕は平気だ。

 君も、よかった……、本当に」


 懐かしいエルヴィアの思念は、しかしつい今しがたの殺戮の興奮を引きずるようにささくれ立ち、些細なきっかけで暴れ出しそうな剣呑さがあった。

 

 レイブはできるだけ刺激しないように、しかしはっきりさせるべき事柄を見据えて話しかけた。


「エルヴィア、ここは……」


 エルヴィアの思念がざわりと揺れる。


「……ここは、君がいた世界なんだね?」


〈……うん〉


 苦しげな返事だった。

 少なくとも、故郷に戻れて嬉しいというものではない。


〈気がついたら、わたしは自分が生まれ育った城の前に立っていた。

 攻め滅ぼされ、荒らされた城の前に……〉


 その時の驚き、絶望、そして煮えたぎるような怒りが、生の感情のままレイブに伝わり、レイブは返す言葉を失った。


 おそらく残党狩りのためだろう、そこに残っていた部隊は、いきなり現れた異形の巨人に大混乱をきたした。

 

 彼らが押っ取り刀で立ち向かおうとする間もなく、シルヴァリスの一方的な殺戮と破壊が始まり、後はもう算を乱して逃げるしかなかったのだ。

 それを片っ端から追撃し、討ち果たし、さっきの騎馬隊が報復の締めくくりらしかった。


 崩御した先王の弟と、王子の間で、骨肉の王位継承戦が勃発。

 王子の側についていたエルヴィアの家は、それでも何とか内乱を回避するべく、エルヴィアの父であるところのデュオラン・トリア侯が国中を奔走していたのだ。

 その留守を狙って攻め込まれた。

 

 そういった事情が切れ切れに伝わり、レイブもようやく彼女の抱える無念の一端を理解した。


〈まさかこんな形で奴らに一矢報いることになるとは、思ってもいなかった……〉


 ようやく落ち着きを取り戻しつつあるエルヴィアは、自嘲したように笑いのさざ波を立てた。

 

 シルヴァリスを自分だけで動かせるようになったことも、今の彼女には慰めになっていないようだった。

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