第15話 黒の山脈

「レイブ様!!

 本気で越えようとしちゃ駄目ですよ!!

 行ける所まで、様子見だけでいいんですから!!

 無理だと思ったら、すぐ引き返してくださいね!!」


 ロォズの悲鳴のような声が、飛翔艦ミヒートの艦橋を振るわせた。


「こんな戦、負けたっていいんです!! 

 相手が要求してる戦利品はウェイド様なんだし、降参して差し出しても別にどうってこと……、あいた! 

 何でぶつんですか……て、ちょっと、伝声石返して下さい!!

 まだ話は終わって……」


「いいか、レイブ。

 行けるところまで行け。

 越えられると思ったら、越えてみせろ。

 無理なようなら、すぐに引き返せ。

 もしシルヴァリスが山中に墜落したら、二度と回収はできないからな。

 命ある者がその山脈に入れないことを忘れるな!」


 ウェイドが厳しい視線を送る先には、黒の山脈の異容が広がっていた。

 その絶対的な恐ろしさは、この世界に生まれ育った者たちの共通認識であり、物見高いジョルダでさえ、今日はミヒートに乗ろうとしなかったほどだ。


 リオン領の外れ、イザエール領との境をなす山脈。

 

 決して明けることのない永遠の夜のような空を背景に、視界の隅から隅までを横切り、あたりから生命の痕跡を一切締め出している。

 

 眼下の荒野は、すでに草木すらまばらになりつつある。

 その命を拒絶する暗い岩肌を前にすると、片膝立ちで甲板に控えているシルヴァリスの巨体さえも、心細げに見えてくる。


 実際、シルヴァリスの中で山脈を見ているレイブは、心細いどころではなかった。

 

 無理だとわかった時には、もう手遅れだろう。

 エルヴィアが、戦士としてどれほど優れていようと関係ない。

 操縦士の生命力が絶たれれば、シルヴァリスは石に戻り、墜落するだけなのだから。


〈あれが、黒の山脈か……〉


 レイブの怖れをよそに、エルヴィアは眼前の異様な景色に見入っていた。

 その心情がざわつき、不規則な波となってレイブの不安を煽る。

 頭上の感合石の光も、呼応するように不安定に明滅している。


「ど、どう?」


 恐る恐る問いかけたレイブに、エルヴィアは、


〈……似ている〉


 と返し、ひときわ高い山の頂に目を凝らした。


 遥かな山頂は常闇の中、さらに厚い雲に隠れ、その全貌を見定めることができない。

 それでも、近づくことがはばかられる異様な山であることは、十分以上に感じられた。


「君のいた世界にも、同じような山があると言ったよね?

 本当に似てるの?」


〈うん……〉


 エルヴィアの思念が揺れる。


〈これとそっくりの、生き物が近づくと死ぬと言われている山があったんだ。

 山脈じゃなかったけど、各地に点在していた。

 これは単なる偶然か?〉


 別の世界で死んだエルヴィアが、こちらの世界のシルヴァリスに憑依して、どちらにも似たような、生命を拒絶する特殊な山が聳えている。

 

 それを偶然の一言で片づけるほど、レイブも脳天気ではなかったが――


〈行こう! レイブ!〉


「や、やっぱりそうなるか」


 レイブは暗澹たる気持ちで、最後の抵抗を試みた。


「その、もう一度聞くけど、ここから見るだけじゃ駄目かい?

 これでもずいぶん接近してるんだけど……」


〈もっと近くに寄れば、何か発見できるかもしれないじゃないか!〉


 エルヴィアの思念が閃くと同時に、シルヴァリスの背中に翼が展開した。


〈わたしは知りたいんだ。

 どうしてわたしがこんなことになっているのか。

 手がかりになるなら、少々の危険は厭わない!!〉


「少々じゃないから!! 命懸けだから!!」


 レイブが叫んだ時には、すでにシルヴァリスはミヒートの甲板から力強く飛び立っていた。

 

 翼を一打ちするたびに爆発的に速度を上げる白銀の巨体は、死の荒野となっている地上を遥かに見下ろしながら、峻厳な岩肌に一直線に突き進んでいく。


 呆気に取られているロォズと、またしても突貫したエルヴィアに頼もしさと怒りを同時に湧き上がらせたウェイドは、しかしどんどん小さくなるシルヴァリスに目を凝らすしかなかった。


「レイブ! 聞こえるか?」


「あ、うん、聞こえるよ」


「まずはどこまで近づけるかを探れ! 

 そんなに勢いをつけるなと、その馬鹿に伝えろ!」


「わ、わかった。エルヴィア!」


 レイブの呼びかけと同時に、シルヴァリスの翼が大きくうねり、地面と水平だった身体を垂直にすると、止まる代わりに急上昇を始めた。


 稼いだ速度をそのまま上昇力に変換して、一気に山脈の上空に昇りつめるつもりだ。

 その勇壮な動きに、ロォズが素直に驚く。


「シルヴァリスって、あんな風に飛べるんだ……」


「ふん、全くやる気のない役立たずと、猪突猛進しか知らない馬鹿の組み合わせが、思いの外上手くいっているのだろうよ」


 すでにシルヴァリスも闇に紛れ、位置を見定めるのが困難になっている。


「どうだレイブ。異常はあるか?」


「まだ何も。

 普通に飛べているし、エルヴィアも特に何も言っていない」


「なら、もう少し接近してみろ」


「うん。やってみる」


 そう言った途端、真上に向けていたシルヴァリスの頭が傾き、再び山脈を目指した。

 しかし、近づくほど闇は濃くなり、上下左右の感覚すら失われ、どこを飛んでいるのかわからなくなるような錯覚を起こす。


 そんな現象の中に陥っている二人が、どちらからともなくいったん引き返そうと思った、その瞬間。


 いきなり、それは来た。


 脱力感。

 などという生易しいものではない。


 すべての細胞から活力が、さらには脳から意識が、見えざる巨大な手によって、力尽くで引っこ抜かれるような感覚に襲われて、目の前が真っ暗になった。


〈レイブ!! しっかりしろ!!〉


 危険を察知したエルヴィアが一瞬早くシルヴァリスを反転させていなければ、そのまま失神して、墜落していただろう。


 翼を羽ばたかせ、巨体をひねったシルヴァリスが山脈から距離を取ると、起こった時と同様、唐突にレイブの身体は常態に戻った。


〈すまない!

 調子に乗って近づきすぎてしまったみたいだ。

 大丈夫か!?〉


「な、何とか……」


 レイブは息も絶え絶えになって、脂汗をぬぐった。


「い、今のが命を吸いとられるってことなのか……。

 あのあたりが死の境界線……」


 頂を隠す闇の雲が、その禍々しさでレイブの言葉を肯定するように渦を巻いた。


 一説には、太古の昔、生神たちが徐々に力を減じていったのは、この山脈に生命力を吸いとられたからだ、とも言われている。


 そんな恐ろしい場所を、父は本当に越えられたのだろうか。

 

 猛々しくも凛々しい生前の父を思い出しながら、レイブは考え込んだ。

 

 シルヴァリスで山脈を越えたからこそ、イザエール家がリオン家に対して戦いの布告をすることはなかったのは事実だ。

 

 しかしそれは、父エリックスが不世出の傑物だったからで、凡庸なレイブに山脈越えの攻勢は無理だろうと、アレニアは判断したのだ。

 

 だからこそ、それを覆すために、越えて見せろとウェイドも言うわけなのだが――


〈おまえの兄だって、おまえに死なれては困るだろう。

 それに戦術として当たり前のことを言っているだけだ。

 思いがけないところから攻撃するのは、戦の常道だぞ〉


「僕だってそれくらいはわかるよ。でも……」


 思考に割って入ってくるエルヴィアの思念は、まるでもう一人の自分に諭されているようで、レイブは一瞬だけムキになった。


「でも……、いや、それより、どう?

 やっぱり君の故郷にある山と同じに見える?」


〈⋯⋯これだけ暗いと、よくわからないな〉


 エルヴィアの思念が失望に揺れる。


〈近づけば、何かわかると思ったんだけど……〉


 どうするか。

 もう少し高度を取ってから、角度を変えてもう一度試してみるか。

 このままミヒートに引き返すか。


 兄に判断を仰ごうと、レイブは伝声石に声を乗せようとした。その時。

 

 旋回を続けていたシルヴァリスの翼が翻り、大気を打つ。

 巨体が跳ね上がり、遷移する。

 

 同時に、レイブにもわかるほどの殺気が、たった今までシルヴァリスがいた空間を斬り裂いた。


「な……!?」


〈攻撃だ!! 喋るな!!〉


〈どこから……〉


 レイブは慌てて口を閉じ、言われる前に目も閉じた。


〈一体誰が!?〉


〈わからない……、全く見えなかった!〉


 さらに加速していたシルヴァリスが、いきなり体勢を崩してわざと失速。

 石が落ちるような落下で二撃目をかわしたとレイブが理解したのは、錐揉み状態に陥ったシルヴァリスの翼が、ふたたび大気を捉えた後だった。


〈こいつ、明らかにわたしと同じ速度で飛んでるぞ! 

 それに見えない! 

 そんな奴がいるのか!?〉


 レイブにも心当たりはなかった。

 少なくともリオン領の近隣にそんな骸装騎はいないはずだ。


〈相手の武器は!? 飛び道具!?〉


〈いや、たぶん斬撃だ!〉


〈剣?〉


 それなら何とかなる、と考えたところで相手が見えないことを思い出す。

 頼りになるのは敵の気配だけで、いかにエルヴィアでもそれで逃げきれるとは思えない。


〈逃げる!?〉


 レイブの弱気な思考を察知したエルヴィアは、心外とばかりに大剣を構えた。


〈馬鹿を言うな!

 次は受ける!! そして斬る!!〉


 シルヴァリスが羽ばたくのをやめて、静かな滑空に入る。

 

 敵を誘っているのだ。

 見えないなら、隙を作り、おびき寄せるしかない。

 

 エルヴィアの狙いを理解した途端にレイブは震え出した。

 

 勝つか負けるかの二者択一が、他ならぬ自分の力による時の、駄目だったらどうしようという根源的な不安が身体をすくませている。


 諦めてしまえば恐怖を感じなくなるのに、エルヴィアの燃えるような闘志が許してくれない。

 何かをする前から諦めることで自分を守ってきたレイブにとって、それは過酷すぎる試練だった。


〈戦うのはわたしだ、レイブ!

 おまえは余計なことを考えずに、ただわたしに力を与えてくれればいい!!

 信じろ!!〉


「う、うん……」


 レイブの心許ない返事に、伝声石の声が重なった。


「レイブ! どうした!? 応答しろ!!」


「て、敵が……!!」


 叫ぼうとした瞬間。

 

 シルヴァリスの身体が反転。

 振り向きざまに払った大剣が空を切る。

 その切っ先が、わずかに何かにかすめた硬い手応えと火花に、レイブも見えない敵の存在を明確に認識した。

 

 気配が遠ざかったのか、エルヴィアは再びシルヴァリスを滑空させる。

 

 その間に、レイブは早口でウェイドに状況を伝えた。

 驚くウェイドの声が兜に返ってくるが、答えるより先に再びシルヴァリスの剣が唸りを上げた。

 

 今度は空振り。

 直後。

 熱した鉄棒で殴られたような衝撃が背中に走る。

 

 激痛がレイブの息を止め、斬られたことを悟った。

 のけぞった身体が、反射的にシルヴァリスの動きを硬直させる。

 レイブは歯を食いしばって、身体の強張りをほぐそうとする。

 

 その一瞬の無防備に。


 よけきれない。


 エルヴィアがそう思った時には、見えない切っ先がシルヴァリスの胸に突き刺さっていた。

 

 死んだ時に受けた致命傷と同じ箇所。

 違うのは、あの時感じた焼けるような痛みが、今はレイブを襲っているということ。


「あ、が……っ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 彼の声にならない絶叫と苦痛が、エルヴィアの思考を真っ白に染め上げ、爆発させた。


〈貴様ぁぁ!! よくも!!

 待ってろ、レイブ! 今すぐ……!!〉


 シルヴァリスの手が、突き刺さったままの見えない刃を掴むと同時に、電光の速さで大剣を振り下ろす。

 

 確かな手応えと同時に、斬られた腕と、その主が、空間から滲み出るように出現した。


〈こ、こいつ……!?〉


 エルヴィアの驚愕は、視界を占領する漆黒の骸装騎そのものではなく、身体とは正反対の真っ白な顔が、まるで生きているように浮かべている残忍な笑みに向けられた。


 太古の生神が本来持っていたであろう、破壊と殺戮の喜びを湛えた、禍々しい美貌。

 

 怖れを知らないはずのエルヴィアの心が、本能的に怯む。

 

 直後、シルヴァリスから急激に力が失われた。


〈しまった……!!〉


 エルヴィアが気づいた時にはすでに遅く、死の境界線を越えたシルヴァリスの巨体は、山脈に向かって墜ち始めていた。

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