第10話 レイブの心配、エルヴィアの不安

 レイブは、幼い頃から、大きな城の中をさまようのが常だった。


 いや、さまようというのは当たらないだろう。

 そこは彼が生まれ育った場所で、とても広かったけれど、どこに何があるかというのはちゃんと知っていたし、目指す場所もあったから。

 

 その日の彼も、朝からやる気がなかった。

 

 リオン家の血を引く者として、分けても本家の次男として生まれた務めを果たすべく、感合に備えた修練をしなければならないのに。

 自分がシルヴァリスと感合できるなんて、これっぽっちも思っていないのだから仕方ない。


 感合するのは、間違いなく兄のウェイドだ。


 頭がよく、武芸にも優れ、継承権のある者の中でひときわ抜きん出た存在である彼を、自分を含めて誰もが後継者と見做していた。

 

 逆にレイブはといえば、後ろから数えた方が早いどころか、ほぼ一人負けの成績で、剣術の稽古では万年一人負け。

 何をどう頑張っても向上する気配すらなく、周囲の期待もとっくに消え失せていた。

 意欲など、枯れ果てて久しい。

 

 第一、偉大な父エリックスはまだ健在だ。

 

 その武勇は広く大陸中に轟いており、挑戦の布告をしてくる命知らずな者も、長い間絶えている。

 

 お陰でリオン家の領地は平和そのもので、今さら骸装騎を受け継いで何になるという白けた気持ちもあった。


 やがて、人影もまばらな城のひっそりとした一角に着くと、レイブは奥まった部屋の重い扉を開き、中に積み上げられている古びた武具や調度品のがらくたの隙間に、隠れるように潜り込んだ。

 

 都合よく風邪でもひいてくればコソコソする必要もないのだが、あいにくレイブは病気とは無縁の頑丈な体だけは持っていた。

 そのため仮病を使っても、すぐにばれてしまう。


 やれやれと、埃っぽい空気の中で息を吐きながら、レイブは感合できなかった落伍者たちのことを考えた。

 

 彼らが家のためにやれる唯一の貢献は、子作りに精を出すことだけだ。

 それすら若い時分だけの役目らしい。

 

 城の隅で、昼間から酒を飲んで管を巻いている叔父たちを見ていると、それがいかに惨めで空虚なものか、幼いレイブにもなんとなく理解できた。

 

 種馬としてすら役に立たなくなった者は、日がな一日、何をするでもなく、ただ死を待つようにぶらぶらと過ごしている。

 

 ああはなりたくないけど、きっと自分もああなるに違いない。

 

 その暗い未来の現実をぼやけさせてくれる薄闇と、未来の自分と同類のガラクタに囲まれて、レイブがうつらうつらし始めた時だった。


「見ーつけた!!」


 やたら明るい声が耳元で炸裂し、せっかくの心地いい眠気が吹っ飛ばされた。


「やっぱりここにいましたね、レイブ様!」


「……ああ、ロォズ」


 物心ついた時からずっと側に仕えている少女は、主人のことはすべてお見通しだった。

 きっと地の果てに逃げても見つけ出すだろう。それが勤めと信じて疑わないようだ。


「もう剣のお稽古始まってますよ。早く行かないと、またお父上にこっぴどく怒られますから」


 そう言って細い腕を引っ張るロォズに抗う気力もなく、レイブは埃を払いながら仕方なく立ち上がった。


「剣の練習なんかしたって、意味ないじゃないか。

 僕が感合するわけないんだから」


「そんなこと、わかんないでしょ」


 ロォズは、根拠のない自信に満ちた顔であくまで前向きに言う。


「たとえ感合できなくても、腕っぷしを鍛えるのは悪いことじゃないです。

 レイブ様は男なんですから」


「人には向き不向きがあるんだよ」


 ぶつくさ言いながら、ロォズに手を引かれて長い廊下をとぼとぼ歩くレイブは、きっとこれから先もこんなふうに生きていくのだろうという確信をより強くしたのだった。

 誰かに引っ張られ、無理やり歩かされ、その先に何があるのかわからないまま、流されるように進んでいく。

 自分の意思に関係なく――




 

 レイブは目を覚ました。


 ぼんやりとした視界が徐々に像を結ぶと、幼いロォズによく似た童顔が、大きな目をまん丸にして、自分の顔をじっと見つめていた。

 

 数秒の間を置いて、それが知らない少女だと理解すると、レイブは飛び起きた。

 包帯だらけの自分を発見してますます慌てたところに、どこから取り出したのか、賑やかな竪琴の調べが流れてくる。


「あなたはぁぁぁぁ♪ 名誉のぉぉぉぉぉぉ♪ 火傷を負ったのですよぉぉぉぉぉ♪」


 子供の頃から成長していないような童顔とは真逆の大きな胸と、朗々とした歌声に驚く間もなく、大きな音を立てて扉が開き、今度は本物のロォズが部屋に飛び込んできた。


「あんた!

 またこんな所に勝手に入り込んで! 

 レイブ様から離れなさい、この不審者吟遊詩人!! 

 あ、レイブ様! 気がついたんですか!?」


「う、うん。たった今……」


「よかった!!

 本当に心配したんですよ! 全身に火ぶくれができてて。

 待っててくださいね、すぐ包帯替えますから。

 あんたはこっちに来るの!! 邪魔!!」


 ロォズにえり首を掴まれて引っ張って行かれる少女は、その態勢のまま器用に竪琴を弾き続けている。


「わたしはジョルダ・ミコルですぅぅぅぅ♪ お大事にぃぃぃぃぃ♪」


「あ、ありがと……」


 バタンと扉が閉まり、嵐が去った後のような静けさが戻る。

 そこでようやく、戦いの記憶が鮮明に戻ってきた。


 自分は――正確にはエルヴィアが戦いに勝ったのだ。


 全身を貫く灼熱の痛み。

 エルヴィアの魂の叫び。

 彼女に触発されたように身体の奥底から何かが溢れ出して、シルヴァリスの背に翼が生えたことも。




「……気がついたか」


 包帯を抱えたロォズと共に部屋に入って来たウェイドの声で、現実に引き戻された。


「ミヒートの甲板からシルヴァリスを動かさないと、飛翔座の回収にも行けん。

 起きられるなら、すぐにやれ」


 開口一番でそう言われるまでもなく、レイブは自分でも驚くほどしっかりした足取りでベッドから降り、着替えを済ませてミヒートに向かった。


 眠っていたのは丸一日で、外に出ると雲ひとつない空は、明るい光で満ちていた。

 

 ミヒートの上で四つん這いになっているシルヴァリスは、昨日よりさらに生々しく、石像とは思えない柔らかな質感を帯びて、静かな息遣いや鼓動まで伝わってきそうだ。

 

 周りでは例によって工人たちが忙しく動き回っていた。

 特に翼には興味津々のようで、今は背中にたたまれているそれを木槌でコンコンと叩きながら、その反響音を聴診器で聴き取り、内部の構造を探ろうと躍起になっている。

 

 見れば、吟遊詩人のジョルダも、一緒になって、「ふむふむぅぅ♪」などと歌いながらウロウロしていた。


「あの人、ジョルダってどこの人?」


 レイブが呆れて聞くと、


「ウェイド様が直々に招待したんですって。どこで見つけたのやら」


 ロォズが心底理解できないといった顔で、馬鹿にしたように説明する。


「兄さんが?」


 レイブは驚きの目を兄に向ける。

 ウェイドは憮然として、


「仕方ないだろう。吟遊詩人は往来自由が不文律だ。門前払いなどしたらリオン家の度量と沽券にかかわる」


「そうだね。

 それに今さら部外者を遠ざけても、シルヴァリスに翼が生えたことなんて、すぐに知れ渡るだろうし。

 でも……」


 そうなったら他の頭領たちはどうするだろうか。

 

 伝説の生神の力を見て、敵わないと悟り、挑戦するのをやめてくれないだろうか。

 ほのかな期待を抱いたレイブが何気なくシルヴァリスの腕に触れた瞬間。

 頭の中に、エルヴィアの猛烈な異議申し立てが響き渡った。


〈冗談じゃない!!〉


「エ、エルヴィア!? 

 な、何で君の思念が伝わってくるんだ? 

 神骸座に入ってもいないのに」


〈おまえがこの身体に触れたからじゃないのか?〉


 エルヴィアの単純明快な推察に、レイブは、


「そ、そうなの?」


 と驚くしかなかった。

 触れるだけで意思疎通ができるなんて、聞いたことがない。


〈わたしだって理由なんか知らない。

 そんなことよりレイブ、戦えないんじゃ、わたしはすることがないじゃないか!! このままここでじっとしてろというのか!? 

 そんなのは絶対に嫌だぞ!!〉


 どうやらエルヴィアにとって、レイブと思念が通じ合うことの不思議さよりも、戦いがないことへの不満の方が重大事らしい。

 

 先祖の亡骸と会話をすることなど想像の埒外であるレイブとは、根本的に感性が違うようだ。


「あ、いや、別に……。

 そうなると決まったわけじゃないから……」


 レイブも差し当たっての疑問を脇に置いて、なだめるように言う。


「どうなるかわからないって思っただけだよ。

 兄さんもまだ警戒しているし」


〈でもおまえは、心の底では、そうなることを望んでいるんだろ?

 平和になることを〉


「う、うん、まあその、争いごとは苦手だし……」


 図星を指されて口ごもるレイブ。


「と、とにかく、これからシルヴァリスの中に入るから。

 詳しい話はそれからってことで」


 言うと同時にレイブの身体が発光する。

 いきなり喋り出した二人に口をあんぐりさせていたロォズが、


「レイブ様! これ!」


 と慌てて伝声石を投げ渡し、次の瞬間、レイブの身体は消えた。


「しゃ、喋ってましたけど……。

 触っただけで……」


 たった今までレイブが立っていた空間とシルヴァリスの巨体を交互に見やりながらロォズが呟いたが、ウェイドは無言でそこを離れ、周りの工人たちにも距離を取るよう指示した。


 やがてゆっくりと立ち上がったシルヴァリスが、軽やかな足取りでミヒートの甲板から飛び降りて、城の玉座の間に向かって歩き出す。

 

 その挙動に不自然なところは全くなく、エルヴィアは人の三十倍ある巨体を、まるで生まれた時からの自分の身体のように我が物にしているようだった。

 

 そのまま玉座の間に向かい、玉座に腰を下ろす時に背中の翼が忽然と消えるのを見て、またロォズが、「消えちゃった……」と口をあんぐりさせる。


 一方のウェイドは、いちいち驚いてたまるかと言わんばかりに、「便利なものだな」と寸評しただけで、呆けているロォズの手から伝声石をむしり取った。


「レイブ、聞こえるか」


「聞こえるよ」


「俺はこれから、おまえたちが墜落させた飛翔座を回収してくる。

 おまえはシルヴァリスの損傷具合を確かめておけ」


「うん、わかった」


 さっそくミヒートに乗りこみ、墜落した飛翔座の回収に向かうウェイドを尻目に、ロォズは工人たちとともに玉座の間に入り、シルヴァリスに駆け寄ると伝声石に耳を押し当てた。

 

 途端にレイブの楽し気な、とロォズには思えてならない声が聞こえてきた。


「へえ、そうなんだ。エルヴィアの世界では、そんなことが……。あはは、それってすごく面白いね!」


 まるで、仲の良い友人と、あるいは恋人とおしゃべりをしているような、弾んだ声。

 

 ロォズの表情が、みるみる物騒なものに変わっていった。

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