第9話 勝利、そして……

「な、何なのだ、あの速さは!?

 デアンドーレスが捉えた未来位置さえ振り切るとは……!

 エリックス以上だとでもいうのか!!」


 悲鳴のような叫びに、兜の中の伝声石が怒鳴り返してきた。


「グ、グルエルフィヌ様!!

 シルヴァリスです!!」


「見ればわかる!!」


 グルエルフィヌは焦燥に駆られながら、右と左、離れて浮かぶ飛翔艦に素早く視線を送り、シルヴァリスとの距離を測る。


「そちらからも、ジノビリスとボリスを出せ!!

 背後から攻撃しろ!!

 私が奴を引きつける!!」


「は、ただちに!」


 光の矢が立て続けに撃ち出され、それを避けるためにシルヴァリスがわずかに軌道を変える。

 

 そのささやかな牽制で稼いだ時間を利用して、グルエルフィヌは即座に急降下、デアンドーレスを大地目がけて加速させた。

 

 速さで勝負をしても、シルヴァリスに勝てるわけがない。

 だが、シルヴァリスに飛び道具はない。

 武器は剣だけだ。

 

 勝機があるとすればそこだ。


 作戦のためとはいえ、逃げるという行為に十年前の惨めさが蘇り、胃液がせり上がってくる。


「あの時とは違う!!」


 自分に言い聞かせ、グルエルフィヌは背後を振り返った。

 馬鹿正直に追って来るシルヴァリスのさらに後方、クリストバルス家に仕えるゼネティア家とフルレーン家の骸装騎が飛翔艦から飛び立ったのを見ると、そのまま雲の中に突入した。


〈く、雲の中に入っちゃったよ!? どうするの!?〉


 壮絶な回避運動で息も絶え絶えのレイブが、揺れる脳みそでなんとか思考を紡いだ。

 こうなると、いちいち言葉にしなくても伝わるのはありがたい。


〈後ろからも援軍が来たな。

 どうやら挟み込むつもりらしい〉


 エルヴィアの思念に、思わず振り向くレイブだったが、


〈頼む。目を動かさないでくれ。

 おまえがキョロキョロすると、わたしの視線までぶれるんだ〉


〈ご、ごめんよ〉


 とはいえ、視界の端に敵影が見えれば、どうしてもそれを目で追ってしまう。

 そこで、レイブは思い切って目蓋を閉じてみた。


 一瞬の遅滞もなく、頭の中にエルヴィアが見ている映像が映し出された。


〈うわ、こんなにはっきり……〉


 驚いたのもつかの間、エルヴィアはデアンドーレスを追って雲に突入、すぐに視程がゼロになる。

 目を閉じているのに見えているという異常な感覚に、夢を見ている時にも眼球は動くという話を思い出したレイブは、それだけはしないようにと目蓋に力を込める。

 

 ここは空の上。

 何かあったら、無事ではすまない。


〈ありがとう。これで集中できる〉


 エルヴィアの思念は、命懸けの戦いのさなかだというのに、やけに明瞭で落ち着いていた。

 

 視線もレイブのようにあっちこっち彷徨ったりしない。

 常に一点を見ているのに、視界全体をくまなく把握しているようだ。

 

 こんなに視野が広いなんて。


 自分との、戦士としての決定的な違いに呆然とするレイブだが、驚いている暇はなかった。

 

 再びエルヴィアが回避行動に入り、レイブの身体は上下左右に激しく翻弄される。

 今度は後方からの攻撃だ。

 

 グルエルフィヌ家に仕える者たちの骸装騎も、太古から続くデアンドーレスの眷属で、同様の武器と射手の目の持ち主だった。

 

 エルヴィアは小刻みに軌道を変えながらかわしていたが、そこに前方から、デアンドーレスの放った矢が襲いかかる。

 

 三方向からの十字砲火で、さすがにエルヴィアも完全にはかわしきれずに、レイブの右腕に灼熱の激痛が走った。


「くっ……!!」


 続いて足。わき腹。

 かすった矢が、容赦なくシルヴァリスの装甲を焼き、その痛覚がレイブの全身を焼いていく。

 さらに飛翔座にも被弾して、シルヴァリスは否応なく停止した。


〈レイブ!!〉


「だ、大丈夫……。まだ、いける……」


 レイブは歯を食いしばって、全身の痛みに耐えながら、


「エルヴィア……、君は平気?」


〈わたし自身は痛くない。

 おまえが苦痛を感じていということが伝わってくるだけだ〉


「な、ならよかった。でも、早いところけりをつけないと……ね」


〈レイブ!?〉


 レイブの意識が急速に遠のき、感合石は覚束なげに揺らめき出した。

 生命力の供給が限界に近づいているのだ。


〈だ、だめだ!

 上手く飛べない……、浮いているのがやっとだ!〉


 空中戦で動きを止めることは死を意味する。

 その当たり前の理屈通り、三方からの狙いすました矢が次々と突き刺さり、シルヴァリスの身体を、飛翔座を紅蓮の炎で包んでいく。


〈レイブ! しっかりしてくれ! 

 レイブ、おまえはさっきわたしに、なぜ闘うのかと聞いたな!?〉


「……え? あ、うん」


 朦朧とする意識の中で、レイブはエルヴィアの問いかけを聞いた。


〈わたしは確かに一度死んだんだ。

 あの時、わたしの胸を貫いた剣の痛みと熱さを、わたしは決して忘れない!〉


「……エルヴィア?」


〈あの時、もっとちゃんと戦えていたら、わたしはまだ生きていた!! 

 ここでまた戦いもせずに、何もできずに敵に倒されるなどごめんだ!!

 二度も無様に死んでたまるか!!〉


 咆哮のようなエルヴィアの思念が、痛みの荒波に呑まれそうなレイブの意識をつなぎ止める楔になった。


〈わたしは戦士なんだ!!

 わたしは戦う!! 

 わたしに力をくれ!!

 レイブ!!

 

 わたしを生かしてくれ!!〉


 その瞬間、全ての矢がシルヴァリスのいる一点に収束して、まばゆい光芒が膨れ上がった。

 

 視界を白一色に焼きつくす火の玉が厚い雲を吹き払い、デアンドーレスを露わにする。

 

 その中で、グルエルフィヌは勝利を確信して唇をめくり上がらせていた。

 

 射手の目を使うまでもない。

 そこにシルヴァリスの姿がないのは一目でわかった。

 主を失った飛翔座が虚しく墜ちていくだけだ。

 焼き尽くされたか、木端微塵に吹き飛ばされたか。

 どちらにせよ、終わりだ。

 

 グルエルフィヌの太い首がのけぞり、哄笑が神骸座に響いた。


「見たか、エリックス! 

 貴様の倅と、シルヴァリスを討ち取ったぞ! 

 栄華を極めたリオン家もこれで終わりだ!! は―ははははは……」


「グルエルフィヌ様!! 上です!!」


 突如として警告を発する伝声石に、グルエルフィヌの顔が大口を開けたまま凍りつく。


 直上に、飛翔座を失ったはずのシルヴァリスが浮いていた。

 その背中に、白銀の光を放つ巨大な翼を傲然と拡げて。

 

 それは、遥か昔、神として世界に君臨していた、生神の威容そのものだった。


 グルエルフィヌはあまりの衝撃に声を失い、一瞬の虚脱状態がデアンドーレスの動きを止める。

 

 それで十分だった。

 

 シルヴァリスの翼が翻り、輝きながら大気を打つ。

 爆風が生まれ、巨体が垂直に急降下。

 手にした大剣が、雷光のように閃く。

 それがデアンドーレスの自慢の、射手の目が捉えた最後の光景だった。

 

 光の矢をつがえる間もなく、一閃した剣が頭頂から股間まで、胴を真っ二つに断ち割る。

 

 それでも勢いは止まらず、飛翔座ごと両断すると、シルヴァリスは落ちていくデアンドーレスに目もくれず急上昇。

 二体の護衛に向かう。

 

 どちらも慌てて矢を放とうとするが、翼を得たシルヴァリスの速さは、先刻までの比ではなかった。

 

 まず一体、すれ違いざま横薙ぎに斬り捨て、そこで翼を一打ち。

 物理法則を無視したように、強引に方向転換して超加速。

 

 最後の敵がようやく放った矢は、颶風と化して飛ぶシルヴァリスの残像すらかすめず、二の矢を放とうとした時には、すでに大剣の刃がその身体に食い込み、中の操縦者もろとも両断されていた。

 

 瞬く間というのもはばかられる神速の早業で、三体の骸装騎が討たれた。

 後方の飛翔艦が大慌てで逃げていく。

 

 それを目で追うシルヴァリスだったが、しかし追撃はしなかった。

 いや、できなかった。

 シルヴァリスの巨体が、翼を羽ばたかせることなくゆっくり降下し始めていた。


〈レイブ! レイブ! 返事をしてくれ!!〉


 エルヴィアの呼びかけは、ひたすら眠い時に聞こえる声のように、朦朧としたレイブの頭の中で虚ろに響いていた。

 操縦士が失神すると、強制的に神骸座から排出されてしまう。

 そうなれば骸装騎は元の石に戻り、大地の鎖に引かれて落下するだけだ。


〈レイブ!! しっかりしろ!! レイブ!!〉


 遥か彼方から自分を呼ぶ声に漠然とした危険を感じて、レイブは生命力を振り絞ろうとしたが、その身体は不意に淡い光に包まれ、神骸座から消えた。


 意識を失ったレイブが、上空で石化し始めたシルヴァリスの乳房の間に現れる。

 そのまま真っ逆さまに落下して――

 



 すぐ下で待ち構えていた、ロォズの細腕に抱き止められた。

 続いて、完全に石像に戻ったシルヴァリスが、ミヒートの広大な甲板に倒れこむ。

 

 艦橋ではウェイドが必死の操艦で、転覆しかけた艦体のバランスを取っていた。

 

 ミヒートがようやく追いつき、間一髪で間に合ったのだ。

 雲を吹き飛ばすあの爆発がなければ、発見できなかったかもしれない。

 

 しかし、実際に目の前に現れたシルヴァリスは、ウェイドの想像を絶していた。

 

 かつての、生神としての姿を取り戻した骸装騎など、サナトニに尋ねるまでもなく、今の時代には存在しないはずの奇跡だ。

 偉大な父でさえ、そんなことはできなかった。

 まして、あのレイブが。


 ウェイドは、背中から巨大な翼を生やしたシルヴァリスと、ロォズに抱えられているレイブを見やり、果たして自分の推測は正しかったのかと思い返さざるを得なかった。


「……やはり、あのエルヴィアという女によるものか?」


 誰にともなく呟くウェイドに、やけにしんみりとしたバラードが答えた。


「遥か古の風に舞う神々はぁぁぁぁぁ♪

 その翼もて数多の空を渡りぃぃぃぃぃ♪ 

 遮る雲とてないままにぃぃぃぃぃ♪

 いつか飛ぶことに倦みて大地にまどろむううううぅぅ♪」


 忌々しげに振り返り、当たり前のような顔をして竪琴を弾いているジョルダを睨みつけるウェイドだったが、怒鳴りつける前に、下の区画につながる伝声管が大声を張り上げた。


「ウェイド様!! 早くお城へ戻って!! レイブ様が酷い火傷なんです!!」


「レイブは生きているのか?」


「生きてます!! 

 縁起でもないこと言ってないで、艦をお城に向けて下さい!!」


 いつも以上の無礼な言い方に、しかしウェイドは黙って感合石に手を置いた。

 

 やがて、ミヒートはゆっくりと回頭を始め、竪琴の調べに乗りながら、最大戦速でリオンの城に向かったのだった。

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