第8話 二人の初陣

 取り残されたロォズたちが、空の彼方に消えていく白銀の巨体に口をあんぐりさせたのは一瞬。

 

 すぐさま後を追うべく駆け出した。


「まさか逃げたんじゃ……」


 心配そうなロォズに、ウェイドが冷たく言い放つ。


「レイブなら、あり得るかもな」


「エルヴィアとかって女のことです!!

 レイブ様が逃げるもんですか!!」


「向かったのはグルエルフィヌが来る方角だ。

 それがエルヴィアとやらの出した答えではないのか? 

 レイブではなくな」


「なんであなたはそうやって、いちいちレイブ様を蔑ろにするんですか!?」


「俺はお前ほど目が曇っていないということだ、下女」


「侍女!!」


 言い争いながら、二人はだだっ広い庭に待機していた飛翔艦に飛び乗った。


 これも古代の遺物で、今の人間には建造はおろか、修理すらままならない代物だったが、不思議と壊れずに、作られてから数万年を経て、なお自在に空を駆ける。

 もちろん操ることができるのは、リオン家の直系の者だけだった。


「ミヒート、出るぞ!!」


 ウェイドの号令とともに、とても飛べるようには見えない無骨な輪郭の物体が、大地の鎖を断ち切って宙に浮いた。


「これだけなんですか?」


 さっそくロォズが文句をつけた。


「あっちは、護衛の飛翔艦が二隻も来てるんでしょ?」


「もう一隻、シーリス家のボッシュが出る。

 昨晩のうちに命じておいた」


「またレイブ様に断りもしないで勝手なことを……」


 どっちにしても文句を言うロォズの声を聞き流して、ウェイドは対になった小ぶりの感合石に左右それぞれの手の平を置きながら、艦橋の窓から四方を見渡す。

 

 すでにシルヴァリスの影はどこにもない。


「迂闊だな、エルヴィアとやら。

 どれほど自分の腕に自信があるのか知らんが、敵がどういうものかもわからぬまま飛び出すなど、独断専行が過ぎる。

 自殺行為だぞ」


 あれほどの剣技の持ち主なら、どんな状況でも座して待つことはないだろうとは予想していた。

 それがやる気のないレイブの刺激になるかもしれないと考えたのだったが、どうやらレイブとは真逆の、かなり直情径行な人物らしい。

 

 ウェイドがエルヴィアをそう評価した、その時。


「ウェイド様、密航者です!」


 家臣の振り向くと、腕を後ろ手に捻り上げられた童顔の少女が、悪びれもせず満面の笑顔で歌い出した。


「こんにちわぁぁぁ♪ みなさまぁぁぁ♪」


 場違いすぎる能天気な歌声が、艦橋に響き渡った。






〈これは面白いな!〉


 凄まじい速度で大気を切り裂きながら飛行するシルヴァリスの中で、レイブは失神寸前になっていた。

 

 飛び立ってからものの数分で、


〈だいたいわかった〉

 

 と宣言したエルヴィアは、やりたい放題に遊び始めたのだ。

 

 急上昇に急降下、宙返り、錐揉み状態になりながら体勢を立て直すなど、乗客のことを一切考えていない曲芸飛行の連続に、とうとうレイブは音を上げた。


「わ、わかった。君が凄いのはわかったから、ちょっとまっすぐ飛んで。

 め、目が回る……。

 吐きそうだよ……」


〈だらしないな、レイブは〉


 楽しげな思念を響かせながら、それでもエルヴィアは素直に水平飛行に移った。


「僕なんて、まだ真っ直ぐ飛ぶのがやっとなのに」


 レイブはむかむかする胃を押さえながら、感嘆の声を漏らした。


「本当に君は凄いね。

 初めてなのに、こんなに自由に動かせるなんて」


〈うん。身体を使うことなら、子供の頃から大抵のことは苦もなく出来たんだ。

 この身体も、凄く反応がいい〉


 あっさりとエルヴィアは言ってのけた。

 

 すでに二人はリオン家が治める広大な土地の中ほどまで来ていた。

 まだ敵の姿は見えない。

 

 レイブとエルヴィアは、というかもっぱらエルヴィアが主体となって、視線を四方に飛ばしながら怪しげな影がないかを探っていた。

 

 しかしリオン城の上空と違い、低い雲が垂れこめる空は視界が悪い。


「それでエルヴィア。

 君はどうして戦うんだい? 

 君がここで、僕らのために戦う理由なんてないだろ? 

 なのにどうして……」


〈わたしは、自分にできることをしたいだけだ。

 それがちゃんとできていれば、わたしは死なずに……〉


 思念が途切れた。

 

 飛翔座が急旋回して、巨大な手で全身を引っ叩かれたような衝撃がレイブを襲う。

 直後。

 たった今までシルヴァリスのいた空間を灼熱の閃光が貫いた。

 

 突然の攻撃を避け得たのは、エルヴィアの戦士としての本能と少しばかりの運だ。

 レイブがそう認識するより先に、再びシルヴァリスの身体が、今度は逆に回転して、彼の思考を奪った。

 

 第二撃をかわし、ようやく雲の上からの攻撃だと理解した時には、すでにエルヴィアは全力の回避運動に入っていた。


「エ、エルヴィア!?」


〈黙っていろ! 舌をかむぞ!〉


 レイブの頭の中で、火花のように鋭い思念が弾ける。


〈今のは何だ!? 飛び道具なのか!? どこから撃ってきている!?〉


〈そうだよ〉


 レイブも声を出さずに、


〈クリストバルス家の骸装騎デアンドーレスの武器、光の矢だよ〉


〈そんな厄介なものがあるなら、先に言っておいてくれ!〉


〈言うも何も、君がいきなり飛び出して、すぐ曲芸飛行を始めちゃったんじゃないか!〉


 レイブが抗議している間にも、敵の射線は容赦なく行く手を遮り、そのたびに上下左右に方向を転じながらシルヴァリスは飛び続けた。


〈どこから!? 

 雲の上なのはわかるが、何で向こうはこっちが見えるんだ!?〉


 その疑問に、レイブは必死になって記憶を漁った。


 デアンドーレス。

 光の矢をつがえし時、空を越え、天の頂を望み、地の底にわだかまる暗黒を透かし、来し方行く末さえも見通す射手の目をもて狙うものなり。


〈つまり、凄く目がいいんだな!!〉


 超常の視力を、その一言で片づけたエルヴィアは、


〈そんなもの!!〉


 とさらに速度を上げて上昇に転じた。

 立て続けに頭上から降り注ぐ光の矢を間一髪でかわしながら、雲海に突入する。

 

 視界が完全に塞がれた乳白色の世界。

 エルヴィアは勘だけを頼りにして、右に左に不規則に軌道をずらし続ける。

 神骸座の中では、レイブがその動きを予測することも出来ず、翻弄されながら、しかしエルヴィアの戦士としての超人的な技量に驚嘆していた。

 

 シルヴァリスは、何よりもその速さを誇る骸装騎だ。

 かつて、まだ神として生きて世界に君臨していた頃には、光や、時間の流れさえも凌駕していたと謳われている。

 

 その神話級の力を直感的に理解しているのか、エルヴィアは自在にシルヴァリスの巨体を操っている。

 

 まるで本当の自分の身体のように。

 

 彼女の天性の適応力のなせる業なのか。

 それとも――


 レイブの抱いた戦慄は、遥か空の高みから、雲海を突進してくるシルヴァリスを睨むグルエルフィヌも感じていた。


「な、何だ、こいつは!? なぜ当たらん!?」


 デアンドーレスの神骸座の中で呻いたグルエルフィヌは、脂汗を流しながら瞬きすら忘れていた。

 

 デアンドーレスの射手の目を通して、彼の脳内に投影されるシルヴァリスの姿。

 

 その異常なまでの回避運動に、思い出したくない過去の記憶が呼び起こされる。


 十年前、先代のリオン家頭領、レイブの父エリックス・リオンとの一戦。

 あの時も、全く同じ状況に陥った。

 

 撃てど狙えど当たらない。

 

 それほどエリックス・リオンの操るシルヴァリスの動きは速く、人間と骸装騎の感合はかくあるべきという手本のような神がかった挙動に、感心する間もなく肉薄され、命からがら逃げ出した。

 

 デアンドーレスが無傷だったのは奇跡と言ってよかった。


 しかし、そのエリックスは死んだ。

 ウェイドはエリックスに勝るとも劣らない傑物だと聞いて警戒していたが、感合したのはリオン家の恥さらしと噂される出来損ないの弟。

 

 これでようやく、積年の恨みが晴らせるはずだった。


「なのにまさか……! これではあの時の二の舞ではないか!!」


 血走らせた目で雲海を睨みつけると、グルエルフィヌはデアンドーレスが手にしている長大な弓を引き絞ぼるべく、渾身の思念を凝らした。

 

 シルヴァリスより大きく見えるデアンドーレスの巨体が、人間そのままの滑らかな動きで、光でできた弦に指を掛ける。

 

 周囲の大気に満ちる光の粒子が一斉に集まり、圧縮され、まばゆい十本の矢となって腕と平行に並ぶ。

 同時に、デアンドーレスの双眸がカッと光り、雲の下にいるシルヴァリスの未来位置までもを見切る。

 

 この十年、無駄に過ごしてきたわけではない。

 感合の度合いを高め、若さだけが取り柄の頃とは桁違いの精度と威力を身に付けたのだ。


 今度こそ、負けはしない。


「墜ちろお!!」


 絶叫とともに、つがえた矢を放った。

 

 白熱の刃となった光の束が、進路上の雲を瞬時に蒸発させて、シルヴァリスに殺到する。

 

 飛翔座ごと、その巨体貫いた。ように見えた。のも一瞬。

 

 残像を素通りして地上に降り注いだ光の矢が、着弾と同時に引き起こした凄まじい爆発を背景にして、無傷のシルヴァリスの本体が、雲海を突き破り、デアンドーレスの目の前に躍り出た。

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