第5話 わたしはエルヴィア
遥か数億年、あるいは数千万年前の太古。
まだ人類が
シルヴァリスは、その中でもひときわ残忍で強大な存在だったらしい。
竪琴師が歌い継ぐ物語によれば、同類の神々を次々に撃ち破り、虐げ、憎悪と畏怖の対象たる絶対の覇王として君臨していたという。
やがて悠久の時が過ぎ、生神の多くが小さく、弱くなり、超常の力も失われていった黄昏の時代。
それでもなお、かつての力と身体を保っていた者は、さらに億千万に及ぶ昼と夜を支配し、群雄割拠の戦乱を繰り返していた。
その当時、シルヴァリスの根城になっていたのが現在のリオン城だった。
かつては見渡す限りに巨大な尖塔が立ち並び、雲すら貫いて遥か虚空に達していたと伝えられている。
今では城郭をひとつ残すのみだが、現在の矮小な人間の尺度では、それすらとてつもなく巨大な建造物だった。
その一角に、空飛ぶ飛翔座を着陸させたレイブは、ゆっくりとシルヴァリスの巨体を城郭の中へと歩ませた。
幸いなことに、空を飛んでいる間も、謎の声の主が取り乱して悲鳴を伝えてくることはなかった。
しかし、シルヴァリスの中に、誰かがいる、という感覚は消えていない。
不安、そして恐怖。
湧き上がる負の感情を必死に抑えつけ、恐慌に陥らないように耐えてている。
まるで自分のことのように、その切迫した精神状態がレイブにも伝わってきた。
「強いんだね、君は」
レイブは城郭の巨大な回廊に足を踏み入れながら、自分に言い聞かせるように優しく語りかけた。
「きっと君に、とんでもなく大変なことが起こっているんだろうね。
僕だったら、とっくに我を忘れて大騒ぎしてるよ」
〈……別に、強くなんかない〉
「ああ、喋ってくれた!」
久々に頭の中で直接響いた思念の声に、レイブは思わず歓声を上げた。
同時に、頭上の感合石が呼応するように輝きを増す。
「よかった。大丈夫かい?」
〈大丈夫じゃない。
全然大丈夫じゃないぞ〉
嵐のような思考の波風が、レイブの脳を揺さぶる。
〈相変わらず何が何だかわからない。
おまけに空まで飛ぶし。
おまえたちは普通に空を飛べるのか?
わたしがいたところでは、鳥と一部の動物だけだったぞ〉
「飛んだのは、僕たちが乗って来た飛翔座というものだよ」
レイブはガンガンする頭を押さえながら、丁寧に説明する。
「大昔にシルヴァリスが作ったもので、飛翔座自体に空を飛ぶ超常の力が備わっているんだ。
僕たち人間が飛べるわけじゃないんだよ。
もっとも、在りし日の完全なシルヴァリスは、自分で飛べたそうだけど。
背中に大きな翼があったらしい」
〈シルヴァリス……〉
その呟きには、明らかな苛立ちが含まれていた。
感合石の光が、感情に合わせて不規則に揺れ始める。
〈おまえは……、この身体のことをそう呼んでいるな。
それが、この身体の名前なのか?〉
「うん、そうだけど……」
レイブはおずおずと問い返す。
「何か気に障った?」
〈わたしはシルヴァリスという名前じゃない。
わたしはエルヴィア。
エルヴィア・ビーヌ・デュオラン・トリアだ〉
「エ、エルヴィア?」
〈そうだ。
わたしの名を呼んでくれ。
シルヴァリスではなく。
でないと、自分がどこの誰かもわからなくなりそうなんだ〉
「そ、そうか……」
切羽詰まった、悲痛な自己紹介に、レイブは改めてこの声の主の窮状を思いやった。
このエルヴィアという人物は、どこかからやってきたのだ。
しかも精神、あるいは魂だけが。
そして、あろうことかシルヴァリスに取り憑いてしまった。
どうしてそんな理不尽なことが起こったのか、レイブには皆目見当もつかなかったが、その心細さと恐怖だけは、我がことのように痛いほどわかった。
「わかったよ。
エルヴィア。エルヴィア・ビーヌ・デュ……、デュオ、デュア……、えっと……」
〈デュオラン・トリア〉
「そう。デュオラン・トリア。
とにかく君はシルヴァリスじゃない。
エルヴィアだ」
レイブは彼女の存在を肯定するように、力を込めてその名を呼んだ。
その声に答えるように、感合石は不安定な明滅をやめ、穏やかで温かな波動が彼の中に流れ込んでくる。
〈ところで、ここはどこだ?
やけに広いようだが〉
シルヴァリスの巨体は、それに見合った巨大な広間の中を歩いていた。
小さな町くらいならすっぽり収まりそうな床面積は、普通の人間が四方の壁に沿って歩くだけでも、かなりの時間と体力を消耗しそうなほど広大だ。
そして、人の三十倍以上背丈のあるシルヴァリスの、さらに三十倍ほどの高みに天井があり、それを支える柱は、上の方が霞んで見えないほどだ。
照明の類がひとつもないのに、まるで空気そのものが発光しているように空間全体が明るく、床や柱に施された、今の技術では再現不可能な精緻な文様や彫刻をのっぺりと見せていた。
「ここは玉座の間だよ。
シルヴァリスが、あ、いや、この骸装騎が普段鎮座している場所なんだ」
レイブは解説しながら、神骸座の中から周囲を見回した。
足の前後動で起こる風に巻き込まれないように、離れたところを駆け足でついて来る家臣たちの先頭には、一緒に帰って来たロォズもいた。
お仕着せの長いスカートを端折り、太腿どころか下着までむき出しで走っている。
誰よりも早く自分を迎えるためだとわかっていたが、レイブはエルヴィアへの状況説明を優先した。
「いいかい、エルヴィア。落ち着いて聞いてくれ」
〈うん、努力する〉
「この骸装騎は生きているわけじゃないんだ。
とっくの昔に死んだ僕らの祖先の亡骸を、操縦士が自分の生命力を注ぎ込むことによって動かしているんだよ。
でも決して生き返ったわけじゃないから、血も通ってないし呼吸もしていない。
君は自分が息をしてないって驚いてたろ?」
〈う、うん〉
エルヴィアの返事は、緊張と不安に満ちていた。
「操縦士である僕が降りたら、シルヴァリスは石に戻る」
〈い、石だって!?
ちょ、ちょっと待ってくれ。
この身体が石になったら、わたしはどうなるんだ!?〉
「わからないよ。
君がどうしてここにいるかもわからないんだから」
レイブが正直に告げると同時に、頭上で感合石が激しく明滅してシルヴァリスの歩行がぎくしゃくと乱れた。
周りの家臣たちもぎょっとして立ち止り、つながったままの伝声石からロォズの悲鳴が迸った。
「お、落ち着いて、エルヴィア!
君がどうにかなるって決まったわけじゃないから!」
〈……もう少し、人を安心させるような言い方はできないのか?
嘘でもいいから〉
「ご、ごめんよ」
レイブは申し訳なく思いながらも、誠実に言葉を継いだ。
「でも、こういうことはきちんと伝えた方がいいと思って」
〈ううう……、なんてことだ。
心臓を貫かれて死んだと思ったら、わけのわからない灰白色の海の中にいて。
次に目覚めたらこれだ。
いったいわたしは、どうなってしまったんだ?〉
エルヴィアが途方にくれた時には、すでにシルヴァリスは広間の一番奥まった場所にある、玉座の前に到着しようとしていた。。
城のような玉座の前には、それに比べるとやたら無粋で貧層に見える木製の櫓があ組まれており、人が乗り降りできるようになっている。
すでに心配顔のロォズが最上段で待ち構えていた。
「残念だけど、僕はこの中にずっといるわけにはいかないんだ。
さっき言ったように生命力を注ぎ込んでいるから、僕自身の命がどんどん吸いとられているんだよ。
この中に居続けたら、やがて干からびて死んでしまう。
実はもう、そろそろ限界で……」
〈わかった〉
エルヴィアの思考が、レイブの言い訳がましい言葉を遮った。
〈あれこれ考えたって、答えなんて出やしないみだいだし。
どうせ一度死んだ身だ。
ここでどうにかなったとして、それが何だっていうんだ?
逆に、今度こそちゃんと死ねるかもしれないじゃないか〉
「え……?」
レイブは驚いて、問い返した。
「い、いいの?」
〈いいぞ、レイブ・リオン。
わたしのことは気にしないで、おまえの思うようにしてくれ〉
それは、レイブが身を持って知った、あの鮮烈な太刀筋のように、迷いのない潔い決断だった。
逆に彼の中に、ある種の罪悪感が湧き上がってくるほどの。
なんといっても、エルヴィアは命の恩人なのだ。
あの時エルヴィアが現れなければ、今ここで生命力を吸い尽くされる心配をする前に、敵にやられていた。
〈勘違いするな。あれは別に、おまえを助けようとしたわけじゃない。自分の身を守っただけだ〉
レイブの迷いを敏感に感じ取ったエルヴィアが、逆に元気づけるように言った。
「う、うん。その、ありがとう。
エルヴィア・ビーヌ・デュオラン・トリア」
レイブも意を決したように返事をしながら、頭上の感合石にそっと手の平を当てた。
ひと肌よりも熱いそのぬくもりは、おそらくこれがシルヴァリスの体温だと思わせるほど生々しく、そうすることでエルヴィアの思念がより明瞭に、近くに感じられる気がした。
〈フフ。わたしの長い名を、一度で覚えてくれただけで良しとするよ〉
快活な笑い声がレイブの頭の中にこだまする。
〈トリア家、デュオランの娘のエルヴィアという意味なんだ〉
「うん、わかった、きっとまた話せるよ。デュオランの娘の……、え?
君は女……!?」
そこでレイブの身体が光に包まれ、二人の交感はプツリと切れた。
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