第12話 朝の門
午前5時52分。
学校給食センターの門は、まだ眠そうな金属音で開いた。東の空に薄いオレンジ。構内の案内板には搬入動線の矢印が2本、交差している。昨日までは、それで事足りた。
「今日からは一方通行。人の流れ優先に切り替え」
伊吹藍は、カラーコーンを肩にかついで走った。フォークリフトの運転手たちに“おはよう”を配りながら、手際よく矢印を貼り替える。
志摩一未の声がイヤホンに落ちた。
『入口は3つ。西門、北門、臨時の搬入口。詰まりを作ると粉が居座る。循環させろ』
「了解。俺、今日も走るのは守るため」
『知ってる。だから息切らすな』
午前6時11分。
制御室。川端杏は、可視化ランプを増設した小さな同期盤の前に立った。ランプの左に“滑らか化”、右に“差分”。
「今日は表示は滑らか、裏で光る」
隣でセンター長が緊張ぎみに頷く。「給食、止められないんです」
「止めません。止めさせます」
杏は自分に言い聞かせるように呟き、時刻参照のログを開いた。外部同期は正常。差分はゼロ。
咲良からメッセージ。《“見える人”3名配置、
カードには大きく《入口は顔》、裏に短い説明。「手を洗ってから触る」。絵は子どもが描いた笑顔。
午前6時29分。
北門のアスファルトに、帯状の粉がうっすら現れ始めた。黄色というより、朝の光に淡く浮くミルキーな線。
九重世人がしゃがみこみ、定規で幅を測る。「21センチ……風道の広がりだ」
「どっちから来てる?」伊吹がコーンを置きながら問う。
「上流は臨時搬入口。排気ファンの角度で粉が帯になる。入口の入口は、そっち」
「了解。先回り」
午前6時41分。
臨時搬入口の格子。白いチョークで小さく《△0》が残っていた。誰かが昨夜置いた“触るな”。
その上に
咲良が立っていた。オレンジベストの“見える人”2名が半円を作る。
「おはようございます。入口は顔です」
通りがかったトラック運転手が、思わず背筋を伸ばした。「顔、ね。なるほどな」
子ども連れの母親が掲示を指差す。子どもが小さく「かお!」と復唱した。
空気の粒が変わる瞬間を、咲良は好きだ。視線が集まるだけで、入口は少し整う。
午前6時55分。
センター奥の監視端末に、短い通知が灯った。《減圧 微揺れ》
同時に、臨時搬入口の可視化ランプが一瞬だけ点く。
杏は息を吸った。「仕込まれた」
志摩が即座に合図。「伊吹、北門から臨時に回って“詰まり”を消せ」
「了解。台車、右抜けで!」
伊吹はフォークリフトに手で合図し、搬入列を蛇行から直線に変える。ルートを変えただけで、人の渋滞は嘘みたいに消えた。
ランプは沈む。差分ログが**+00:59で止まった。
「あと1秒でも伸ばされたら“許容振れ”の外。向こうの“礼儀”はきっちり1分以内**」
杏の声は落ち着いていた。
『再配布、準備』志摩。
午前7時04分。
臨時搬入口の格子の影で、白いテープの親指が現れなかった。
代わりに、キャップを深くかぶった若い影がスマホを構え、三角ビットの袋を掲げて自撮りを試みる。
咲良が、半歩前に出た。「ここは顔です。撮影は別の壁でお願いします」
若い影は戸惑い、カメラを下ろす。「べ、別に回さないし……」
オレンジベストの片方が笑顔で場所を指す。「映える壁はこちらです」
影は素直に移動した。模倣の芽は、拍子抜けするほど簡単に行き先を変える。
午前7時12分。
九重が新しい帯状分布にチョークで細い線を足す。「風が2度、曲がってる。中で逆止弁が“触られてる”感触」
「どの弁?」
「手前から2本目」
志摩が制御室の杏に繋ぐ。
『2本目、封緘痕は?』
「貼り直し。角が丸い“旧”」
『時刻差分は+00:58。……いくぞ』
「同期再配布、行きます」
杏は手順通りにスイッチを並べ、息を合わせてローカル停止→同期再接続→再配布。
ランプが赤→無→緑と移り、滑らか化の下で見えない1分が凪いだ。
センター長が胸を撫で下ろす。「間に合った……」
「間に合わせに来たんです」
午前7時23分。
北門の列が一瞬よれ、台車が斜めに滑った。衝突の予感。
「待て待て待て!」
伊吹が走る。台車の左前輪を足の甲で止め、反対側を手で押し返す。
フォークリフトの運転手が目を丸くする。「兄ちゃん、危ない!」
「事故より説明が危ない。時間が止まる」
伊吹は笑って台車を正し、運転手の肩を2回叩いた。「人の流れ優先。フォークは『止まって・見て・進め』」
「了解、兄ちゃん!」
列が整う。詰まりが消える。粉は地面から離れ、風に薄まる。
午前7時32分。
可視化ランプは点かない。
杏はログの空白を見て、ようやく自分の肩の力が抜けていることに気づく。「今朝は作らせなかった」
『まだ“朝”だ。もう一山ある』志摩。
「分かってます。一括再配布の準備は常に」
そのとき、センターの外から子どもの声が聞こえた。
「かおー!」
掲示の前で、園児が手を振っている。オレンジベストが小さく会釈し、保育士が「顔に触るときは手を洗おう」と歌うみたいに言った。
咲良は思わず笑う。「1分より1言が効く朝ですね」
午前7時46分。
志摩の端末が震えた。掲示板に新規書き込み。
《朝は見張られてる。夜に“本番”》
矢代の匂い。
志摩は画面を閉じ、静かに言った。「朝は守った。夜は迎え撃つ」
午前7時58分。
九重が粉の帯を最後に写真に収め、チョークで小さく《△0》を足す。「ここは終わった。次の風道へ」
伊吹は息を整え、構内の矢印を指差した。「人の流れ、このまま常設でいい?」
センター長は少し驚き、すぐ頷いた。「いい。今日からそれで」
志摩が短く言う。「段取りが街を変える」
午前8時03分。
制御室。杏は小さく拳をつくり、誰にも見えない位置で軽く合わせるふりをした。
「緑が続くの、綺麗だな」
可視化ランプは沈黙。滑らか化は働き、下の差分は0。
咲良から写真が上がる。
杏は画面を胸に近づけ、深く息を吸った。
都市の呼吸が、ひと段深くなる音がした。
午前8時19分。
最後のトラックが抜け、構内は朝の静けさを取り戻した。
伊吹はカラーコーンを回収しながら、志摩に言う。「なあ志摩、俺のランドリー店員、昨日より似合ってたよな」
『似合わない』
「ひでぇ」
咲良が笑い、九重が地図を丸め、杏が同期盤のランプを指で軽く叩いた。
緑が、ずっと緑でいる朝。
短い静寂のあと、同じ時間に腹が鳴った音が3つ。
伊吹が肩をすくめる。「給食、俺も食っていい?」
「働いた人は、食べてから次へ」
志摩は時計を見た。「11時から本部、夜に備える。——朝は守った」
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