第13話 最初の1キロ
午後7時58分。
旧市街のメインストリートは、提灯の赤が風に揺れていた。屋台の湯気、子どもの笑い、遠くの太鼓。通りの脇、低い通気口が点々と口を開ける。そこが、都市の最初の1キロだ。
「配置完了。見える人は各通気口に2名ずつ、半円で」
益田咲良がハンドマイクで短く告げる。オレンジベストが合図し、
九重世人は紙地図の最終版を広げ、提灯の影に即席の作業台を作った。「換気塔A〜G、風向は北東から南南西。粉の帯はA、C、Fの順に出る。可視化ユニットは全口、通電」
仮設オペ車両の中、川端杏がノートPCを前に深呼吸した。
「中央同期、一括再配布の準備。滑らか化の下でも、差分は光る」
志摩一未が小さく頷く。「今日の約束は止めないで止めさせる。祭りは流す、儀式は詰まらせる」
「了解」
伊吹藍がニヤリと笑い、フードトラックの紙帽子を被った。「屋台手伝いに偽装、動線の詰まりを掃除。走るのは守るため、ね」
午後8時11分。
掲示板のライブ配信が始まった。《#風の祭 #本当の1分 #見せます》
画面の主は顔を映さず、通気口のアップだけを流す。チャット欄がざわつく。
志摩がイヤモニに低く落とす。「矢代の典型。顔を映さず、手元だけ。視線は“入口”の外側へ誘導」
「じゃあ、入口の正面に戻す」
咲良は通路の真ん中へ出て、マイクを上げた。「——入口は顔です。見ています」
通り沿いのベストたちが、それぞれの口で小さく復唱する。「見ています」
子どもたちが面白がって叫ぶ。「かおー!」
午後8時19分。
風がわずかに向きを変え、換気塔Cの足元にうっすら黄色が出た。九重が即座に指示。「C、風道21センチ、2段折れ。内側の逆止弁“2本目”が動く」
可視化ランプが一瞬だけ点いて消える。
「仕込み入った」杏はショートカットに指を乗せる。「同期、準備」
「まだ待て」志摩が言う。「向こうは±1分以内で滑らか化に潜る。差分が59秒を超えた瞬間に叩く」
午後8時21分。
換気塔C。格子の影で、白いテープの親指は現れない。代わりに、フードを深く被った若い影が三角ビットを掲げ、スマホにかざす。
伊吹が屋台からお玉を持って飛び出し、軽口で塞ぐ。「兄ちゃん、汁こぼれる。こっち側は“映え悪い”、あっちで撮ると提灯映り最高」
若い影は不満顔で移動。模倣の芽摘み、成功。
ランプは点かない。差分は**+00:42**で止まっている。
午後8時24分。
換気塔Aの前で、提灯が一斉に揺れた。風の谷ができる。
九重が声を上げる。「Aに寄れ! 風が吸い込む!」
オレンジベストが半円を一歩前へ詰め、咲良が
その時、可視化ランプが連続点滅した。
「来た!」杏が息を詰める。
「行く」志摩。
杏はローカル停止→同期再接続→再配布を連打。
ランプは赤から無を挟んで緑へ。見えない1分は、そこで途切れた。
群衆から自然な拍手が起きる。何が起きたか説明できなくても、空気が整う音は人の身体が知っている。
午後8時27分。
配信画面が一瞬乱れ、《場所を移動します》とテロップ。
「逃げたな」志摩が呟く。
「追うけど捕まえにはいかない」咲良が応じる。「視線で詰まらせる」
伊吹は屋台にお玉を返し、走り出す。「俺は流れを磨く」
午後8時31分。
換気塔Fの影。男がいた。灰色の帽子。古い帆布。
黒田巌は、掲示の前で立ち止まり、白いテープの親指をビットから離した。
咲良が静かに頭を下げる。
「……顔を、見せに来た」
黒田の声は小さい。「“1分”でなく、“1言”で」
「ありがとうございます」
黒田はポケットから一枚の紙を出し、油性ペンで一文字を書いた。
《顔》
それを掲示の横に貼ると、ほんの少し口元が緩んだ。「俺は今日、触らない」
午後8時35分。
その瞬間、通りのはずれから低いブザー。九重が地図を叩く。「裏路地の地上点検口、2か所同時!」
可視化ランプがパタパタと点く。
「敵は“多点同時”に移った。分散して“±1分以内”に押し込む気だ」杏。
「なら、こっちも一括だ」志摩が短く言う。「中央から全入口、再配布!」
「3、2、1……今!」
杏の指が確実にスイッチを叩き、都市を縫う時刻の糸が一斉に整列する。
通りの可視化ランプが波のように緑へ。
提灯の赤と緑が交わり、光の呼吸が生まれる。
午後8時37分。
裏路地に走った伊吹が、角で二手に割れた影を見る。片方は右外側が薄い古い靴、もう片方は均一摩耗のスニーカー。
伊吹は迷わずスニーカーを追う。
「本物は、触らないって言った」
肩で押さえ、路面に軽く転ばせる。「兄ちゃん、映える壁はあっち」
囮は悲鳴を上げ、三角ビットを落とした。
伊吹は拾い上げ、見せる。「これは穴を増やす道具。——走るのは、守るため」
遠くで、別の足音が屋根伝いに消える。本命は高みへ逃げた。
午後8時40分。
屋根の上。風が強い。
矢代はフードを深くかぶり、スマホの前で囁く。「これが本当の1分——」
その背後で、提灯の列が微かに揺れる。緑の点滅が彼の足元の換気口を照らした。
志摩の声が、薄い空気を通って届く。「見えてるよ」
矢代は顔を歪め、スマホを下に向ける。画面には光り続ける緑と
チャット欄がざわつく。《何も起きない》《緑って何》《顔?》
矢代が焦って手を伸ばしたとき、横から灰色の帽子が現れた。
黒田だ。
「顔を、手を洗ってから触れ」
マイクでもスピーカーでもない、古い声。
矢代の指が止まる。
その一拍を、志摩は逃さない。「——今」
杏が最終再配布。
緑が一斉に静まる。
都市の拍動が、深く、ゆっくりに戻る。
午後8時43分。
屋根の端で、矢代が逃げに転じる。
伊吹が下から非常梯子を駆け上がる。
「降りろ。走るのは守るためだ。壊すためじゃない」
矢代は躊躇し、しかし足を滑らせた。
伊吹が手首を掴む。
矢代のフードが外れ、まだ若い顔が露わになる。
「見られるの、怖いか?」
伊吹は言い、ゆっくりと引き上げる。
「——見られれば、整うんだよ」
午後8時47分。
地上では、咲良がマイクを下ろし、息をついた。
可視化ランプは消えたまま。
掲示の前で、子どもが小さな付箋を貼る。《ありがとう》
九重は地図に最後の弧を描き、全点緑に丸をつけた。「終わった」
志摩は空を見上げ、深く息を吸う。「都市は、顔を上げた」
午後8時52分。
オペ車両の中で、杏がログを保存する。“見えない1分”は、すべて“見える証拠”に変わった。
スクリーンに〈リンク・ロード〉の投稿が次々に上がる。
《入口は顔。今夜もきれい》
《“1分より1言”で止まった》
《緑が波みたいだった》
杏は画面を見つめ、静かに頷いた。
「見えると、止まる。それが今夜の答え」
午後9時01分。
連行される矢代の横で、黒田が帽子の庇を少しだけ上げた。
志摩が近づく。「今夜の言葉は、きいた」
黒田は短く笑った。「入口は顔だ。それだけだ」
「それだけが、強い」
咲良が掲示の端を押さえ、風を受け止める。
伊吹が遠くから手を振る。「給食の余り、まだあるかな」
笑いが、夜風に混じって広がった。
午後9時10分。
提灯の海の中で、緑は穏やかに消えた。
都市は、深く息を吸った。
最初の1キロが、静かに、確かに、元のリズムに戻っていく。
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