第一章 第五話

「あったまいたい!」


 今日の勤務を終えて帰宅して早々、琴音はソファーに倒れ込んだ。


「さすがに、ちょっときついね……」


 優理音まりねの顔にも疲労の色が濃い。


 理由は明白だった。ウンディーネとシルフィールを、長期間広範囲の捜索に行使しているからだ。


 情報は逐一更新されるが、脳の処理が追い付かない。それは、頭痛となって二人を苛む。


 能力者は万能ではない。能力の行使には何らかの代償がある。それは、筋力を使えば疲労するし、超過労働すれば倒れるし、頭脳労働ですら、酷使すると脳がつかれる。


 能力者は特に特殊な脳の構造や覚醒で能力を得ることが多いため、能力の酷使はそのまま能力者の体調に直結する。それは、精霊力を行使する琴音たちにとっても同じことだった。


 ただし、そういったマイナスデメリット面はあまり喧伝されることなく、見た目華やかで便利に思える能力のプラス面のみが広まり、非能力者から嫉視の対象となる、と言う傾向は強かった。


 持たざる者は持つ者をやっかみ、隙あらば引きずりおろそう、とするのは歴史の常であり、まして、持つ者はマイノリティであることも普通だ。


 理不尽だな、と琴音は思っているが、それでも、悪しきことに使うよりは良きことに使う方が、能力者としての正しい使命だと信じていた。


 つらそうな二人を見て、光莉ひかりがぬいぐるみを抱いたまま寄ってくる。


「大丈夫、なの? 琴姉ことねえ」


「ん? 今の、あたしのこと?」


「琴姉えと、優理姉まりねえ、なの」


「あ、ねえ、って、お姉さんって意味かあ! あはは、いいねそれ」


 光莉ひかりが自分たちのことを呼んだのは初めてだ。少し距離が近づいた気がする。


「ねえ、光莉ひかりちゃん、ちょっと聞いていい?」


 少し会話ができるようになってきたし、気持ちも寄ってきた、と感じた琴音は、踏み込んでみる。


「お母さん、どんな人だったのかな。光莉ひかりちゃんは、どんな暮らししてたの?」


 現場検証写真から読み取れる生活は、けして裕福で快適な環境、とは言い難かった。それはもうわかっていた。


「お母さん……昔は優しかったなの……でも、死んじゃったなの」


「あ、えっと、ごめん、やなこと聞いちゃった……」


 まだ母親が死んで一週間もたっていない。捜査に必要な情報とはいえ、少し焦りが過ぎたな、と琴音は反省する。相手はまだ子供だ。そして、そこに安易に踏み込んでしまう自分も子供だった。


「お父さん、もっと優しかったなの。でも、いなくなってからお母さん、怖かったなの」


「そっか。うん、もういいよ、思い出さなくて。ごめんね、まだ、早かったね」


 光莉ひかりが、幼いなりに聞かれたことについて必死で琴音に応えようとしているのがわかった。それが、痛々しく思える。


「さ、ご飯にしよ、ご飯! ねえ優理音まりね、ご飯!」


「もうほとんど家事のできないぐうたら亭主だね、琴音。うーん、今日は何がいいかなあ……」


 いつもの事ではあるが、琴音の家庭不適合ぶりに少し不平を言いながら、優理音まりねは台所へと向かう。


日中頭痛で思考能力が鈍っていた優理音まりねは、夜の献立を考える余裕がなかった。なんならこの一週間何を作ったかを思い出すのもおっくうだ。強い能力の行使、と言うのはこういった副作用が出ることがある。


「はんばーぐ……なの」


「え?」


 小さな声が聞こえた。優理音まりねは耳を疑う。


「今、光莉ひかりちゃん、ハンバーグって言った?」


 こくり、とうなずく。優理音まりねの問いに言葉では返してくれなかったが、それでも、食べたいものを口に出したのは初めてだった。と言うより、光莉ひかりの声を聴いたのが初めてだった。


「琴音! 光莉ひかりちゃんがハンバーグ食べたいって言ったよ!」


 初めて、光莉ひかりが自分の意思を口にしたのだ。今までは、二人の問いかけに答えたり、出したものを美味しそうに食べたりはしていたが、食べたいものを言ってきたのは初めてだった。初日のハンバーグがお気に召したようだった。


優理音まりね、お母さんみたいになってるよ」


 そう茶化しながらも、琴音もこの変化には嬉しさを感じる。自分たちの存在が、少なくとも光莉ひかりにとってプラスに働いているのだ。能力の介在はないかもしれないが、それでも、自分がこの世界に入ったことは正しかった、と思える一言だったのだ。


「よーし、じゃあハンバーグ作っちゃおうか。チーズとか大丈夫? 今日はチーズハンバーグにしてみようか?」


 光莉ひかりは頷く。心なしか、食事の時は目に輝きが戻るのだが、それ以外の時はじっとぬいぐるみを抱いて虚空を見つめていることが多い。


 それは、彼女の心に傷があることをうかがわせる。


「そういや優理音まりね光莉ひかりちゃんの身辺情報、来てないよね」


「あ、そういえば来てないな。お父さん探してるのどこのチームだっけ」


「あのいけ好かないおっさんチームだよ」


 琴音たちに聞こえるように嫌味を言ってきた捜査官がいるチームだった。


「あー。そっか。お父さん情報が入るといろいろわかりそうなんだけど、難航してるのかなあ」


 ひき肉ミンチをハンバーグの形にこねながら、光莉ひかりの方を見る。優理音まりねと目が合った光莉ひかりはぬいぐるみを置いて、とてとてと優理音まりねの足元に来た。


「あ、一緒にこねてみる? ほら、こうやって、ね」


 光莉ひかりに肉の塊を渡すと、表情を輝かせてこね始める。前より感情が顔に出るようになった気はしていた。それでも、まだ会話は成立していない。


「夫婦がそろっていたころはどっちも優しかった、か……そのあと、何が、あったんだろ……」


 その様子を見ながら、琴音は考える。


 母親の情報は断片的に入ってきていた。捜査情報共有の端末を見ると、あまり素行はよいとはいえなさそうだった。


(どこか定職についてるって感じじゃなかったんだね。交流関係は男関係がほとんど、その中に能力者もいるし、何なら、ちょっとアンダーグラウンドな男との関係もしばしば、か)


 光莉ひかりがいるので、琴音は捜査情報を黙読する。


母親、と言っても涼子はまだ若い。過去の素行はまだ判明していないものの、若くして光莉ひかりを生んだと思われ、資料では被害に遭った時点で二九歳だ。女としてもまだまだこれから、と言うところで、生前の写真を見る限り、美人というほどではないものの愛嬌のあるかわいらしさとでもいうべき雰囲気は持っていた。まだまだ夜の街で男を篭絡することはできるような印象だ。


「男、かあ」


 琴音は涼子の生前の写真を見ながらつぶやく。


 まだ一六歳で、恋もしないままこの世界に入った。自分にそう言った感情が芽生えることがあるのだろうか、と懐疑的な気持ちすら持っているので、男を篭絡して生計を立てていた、などと言われたとしてもピンとこないし、男って恋人や妻でもない男にそんなに入れ込むものなんだろうか、とも思ったりする。


(あたしにはわかんないけど、痴情のもつれは犯罪原因のベストテンには入るんだろうなあ)


 犯罪の構成要件は様々だが、金、異性、仕事、怨恨、そういったものは常にトップランカーだ。結局、人が生きるために人に関わることは、摩擦やストレスを生み出す、という事になり、それがあふれてしまったり抑制できなくなったりした時に、事件は発生する。


「やだやだ、いまはやめ」


 琴音は端末を消して、まるで姉妹のように仲良くハンバーグをこねている二人を眺める。


「こねるだけ、なんだよね。うん。あたしにもきっとできるよ」


 食えるものを食えなくする、と言う優理音まりねからの評価に、実績から納得はするものの、やはり社会一般的な女性の概念から、料理ができない、という点には琴音は若干のコンプレックスを持っていた。


「ねえ優理音まりね、あたしもこねていい?」


「え? 琴音が?」


 赤らさまに嫌な顔をする優理音まりねを振り切って、琴音は一掴みの肉をこね始める。


「一口サイズの自分で処理できる分だけにしといてよ!」


「あ、ひどいな優理音まりね!」


 ずっと同い年の姉妹だった二人にとって、光莉ひかりは、不意に現れた可愛い妹のようなものだ。この瞬間だけは、まさにそう思える時間だった。 






「うーん、いたたたた」


 琴音は早朝に身じろぎをして目を覚ます。


昨夜は食事を摂ったらすぐに寝た。能力行使の副作用ともいえる頭痛もさることながら、自らこねた一口サイズのハンバーグの味に衝撃を受け、意気消沈したのもある。もはや才能だね、と優理音まりねに言われるのは毎度のことだ。同じ肉を同じようにこねているのに、優理音まりね光莉ひかりのこねたハンバーグは普通に美味しかった。自分がこねたものは……


「世界の七不思議だよね……」


 まだまどろみに身を任せながら、ぼんやりと布団の中で時間を過ごしていると、不意に脳が覚醒するかのような感覚にとらわれる。


「ん……!」


 がばっと飛び起きる。


「来た、かも」


 脳は眠っている間に情報を整理、必要なものと不必要なものをより分け、データのクリーンアップをする、と言われている。


 能力者は能力の行使に当たって、脳の情報処理能力に負荷をかける。そのため、睡眠は重要と言われている。


 数日にわたって、全国を捜索していた情報のほぼすべては不要な情報だ。必要なものは岩城明人の情報、と言う極めてピンポイントなもの。脳の処理速度が追い付いていない、という感じはあったが、ようやくすべてがすっきりと整理された感じがした。


 その証拠に、頭痛が収まっていた。


「え? これ、近いんじゃ……ほんとにここに?」


 琴音の脳裏には、ウンディーネが集めた情報のすべてから抽出された岩城明人の潜伏場所が示されている。


 常人にはわからない感覚で、琴音自身も言葉で誰かに説明しろ、と言われると無理だった。能力者のほとんどは、自身の能力の行使は呼吸と同じ、と言う。それほどまでに、非能力者と異なる感覚を持つ。それ故に、まだ社会でわかり合えない関係である、と言えばそうなるのだが。


優理音まりねの方も終わってるんじゃないかな。情報の突合せをして、緋崎管理官に報告しないと」


 普段は朝寝坊の琴音だが、珍しく優理音まりねより早く起きだし朝のコーヒーを淹れる。


 さすがにコーヒーくらいはまともに作れるので、飲めないものは生成されないが、「やっぱりコーヒーは優理音まりねが入れた方がおいしいな」というのは琴音自身も思うところだった。



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