凶悪犯罪 【短編】

 この日、私は完全犯罪を成立させた。

 ホテルの一室にうつ伏せで惨めに倒れるA氏。このA氏は私の元上司だ。

 A氏が解雇されるまで、私はA氏から日常的に・パワハラ・モラハラ・セクハラの3大ハラスメントの被害にあってきた。

 A氏を端的に表すなら悪人だ。悪人とは、この人の為にある言葉と想わせるほど絶対人生の中で関わってはいけない人である。

 私は、かなり手の込んだ方法でホテルの一室に入ったA氏を殺害し、密室完全犯罪を成し遂げた。真似されると困るので詳しくは語らないが、とにかく私はこの世界から悪人を始末したのだ。


 そして今、A氏の死体が見つかったことで事件が発覚し、容疑者として私を含めホテルにいた人たちがA氏の倒れる一室に集められた。

「証拠は全て揃いました」

 どこの馬の骨とも知らぬ刑事がそう言ったとき、私の首にスッと冷たい汗が流れた。

 まさか私の密室完全犯罪を見抜いたとでも言うのか?第一に証拠なんてないから完全犯罪と言えるのであって……。

 あれこれと考えていると刑事は人差し指をピンと立てて指差し宣言した。

「犯人は貴方だ、オーナー———!」

「ホテルのオーナーが犯人!?」

 完全なる冤罪に思わず驚嘆の声を出す私。

「ええ。この密室殺人事件はホテルの設計や従業員の配置もろもろを知り尽くしているであろう、オーナーにしかできない犯罪だと私の灰色の脳みそが言っているんです」

 刑事のかなりいい加減な説明に、証拠はなんなんだよ!証拠は!と心の中で叫ぶ私。そんな私の隣でオーナーの口が開く。

「すみません刑事さん。わしがこの男を殺しました」

「じ、自白した!?」

 目玉を半分飛び出しながら驚愕する私をよそに、オーナーは続けて言う。

「コイツは、ホテルに入館してすぐ、『汗臭くてカビ臭い男子の運動部のロッカーみたいな臭いがする』と言って鼻をつまんで、消臭スプレーをお客様のいるエントランスにかけまくったんですよ。その後に、臭いから宿泊料は無料でいいよなと言って来るありさまで、嫌なら泊まらないでくださいと追い返そうとしたら、それじゃあ半額で泊まってやるよって、もうめちゃくちゃなヤツだったんですよ」

 A氏の非道徳さを身に染みて知っている私は、やりかねないと納得してしまった。

 次第にオーナーの目が赤くなり鼻をすすりながら心中を吐露しだす。

「儂は、この街で一番のホテルを作ろうとその一心で、開業から40年間以上、休まずにホテルの営業に携わってきた。そのおかげか、この街といえば、このホテルと言ってもらえるようにまでなった。いわば、このホテルは儂にとって人生の誇りそのものだ。それを入館して1秒もしない内に愚弄した輩を許すわけにはいかなかった。唯一の心残りはこのホテルで殺人を起こしてしまったことだ。本当に済まなかったホテル!」

 号泣しながら泣き崩れるオーナー。

「詳しい殺害方法とかは署で聞かせてもらいましょう」と、刑事がオーナーに手錠を掛けようとした時、

「違う、ソイツを殺したのはこの俺だ!」

 オーナーの向かいに立っていたベレー帽をかぶった青年が言った。

「コイツは俺が、マンガの締め切りが間に合わないから隣の部屋で缶詰状態にされていることをいいことに、大音量でお笑い番組を見ていたんだ」

「なるほど、つまり騒音が引き金で殺人を決意したんだな」

 冷静に刑事が言う。

「違うぜ!お笑い番組のネタで俺が笑った時に、『しょうもないネタだなあ。こんなんで笑っている奴らなんてダンゴムシ以下のクソ野郎だ』とか『全然面白くない。この芸人、どうせろくに自分の仕事の管理も出来ない低能低学歴のしょうもない奴なんだろうな』って必ず隣の部屋まで聞こえるくらい大声で悪態つくんだぞ。原稿に集中するどころじゃねぇ、漫画のアンチコメントを思い出して、創作意欲よりも殺意で俺の体はもうどうにかなっちまいそうで、それでやっちまったんだ」

「なるほど、やっちまったんだな」と、刑事は肯きながら、ベレー帽の青年に手錠を掛けようとする。

 どうやっちまったんだよ⁉と私は心の中で困惑の叫びを上げた。

「待ってください、刑事さん」

 今度は、掃除用具を持ったおばさんが割って入った。

「その人を始末したのはアタイです」

「なんか古臭い喋り方だなぁ、アンタもしかして闇社会で暗躍している何でも掃除屋か!」

「こんな刑事さんにバレるなんて、ちょいと有名になり過ぎたみたいだね」

 掃除用具を持ったおばさんが、怪しげな含み笑いをして強者感を醸し出す。

 殺し屋にまで狙われるなんてA氏は一体何をやったんだ⁉と、転がる死体に軽蔑の視線を向ける。すると、おばさんが神妙な表情で語りだす。

「コイツは、下校中の小学生たちに菓子を配り手懐けて、小学生たちの親御さんと淫らな関係を持とうとしたのよ」

「子供たちを出汁に使ってなんて卑猥なことを。被害者にこんなこと言うのはなんなんだが、なんて悪辣あくらつな野郎なんだ」と軽蔑する刑事。

「それだけじゃない、あわよくば成長した子供たちも」

「冗談だろ⁉事実ならとっくに警察に届け出が来てもおかしくない案件だぞ⁉」

「配っていた菓子に特殊な催眠薬がられていたのさ、それに気づいたPTAが私に依頼をしたってわけ」

 ピ、PTAが殺し屋に暗殺依頼をするのか⁉と、ビビる私の前に立つ刑事は視線を鋭くして言った。

「以前から暗躍しているとは聞いていたが、Prowess(勇気ある)Tattle(おしゃべり)  Association(協会)が関わっていたとは」

 何その団体!? 井戸端会議しながら暗殺依頼とかしているの⁉怖い‼と、ビビり散らかす私。

 突然、おばさんが機敏な動きで窓から外へと飛び出した。

「悪いけどアタイはこの辺で失礼させてもらうよ」

「ちょっと、待ちやがれ!」と手錠を持った刑事が窓から顔を出すが、地上5階から見える快晴の景色にはおばさんの影も形もなかった。

「畜生、あの掃除屋をしょっぴけば大手柄だったのになあ」

 悔しがりながら窓に背を向ける刑事。すると背後から野太い中年男の声が響いた。

「あーの、すいません刑事さん。その人、殺したの僕なんです」

「何、まだいたのか真犯人が!」と振り向きざまに手錠を掛けようとする刑事。

 しかし、手錠を中年男の太い手首に掛けることはできなかった。いや、正確に言うにはその手首、事態が物質として存在していなかったのだ。

「すいません。僕、幽霊なんでそう言う物理で捕まえるのとかできないんですよね」

「マジかよ、幽霊まで出てきちゃったよ⁉」口から飛び出す私の心の声。

 一室に集まった誰もが驚いた、窓から上半身だけを部屋の中に出す半透明の中年男に。

「あ、こんな体制で出てきたら驚いちゃいますよね」この場の誰もが、違うお前が普通に出てくる事態に驚いてんだよ、と思ったに違いない。「すいません、事故のせいで下半身が人に見せられるような状態じゃないんで、ホントすいません」

 そう気さくに手を合わせて謝罪する幽霊に、なぜか場が和んだ。

「で、なんでコイツを殺したんだ」

「刑事さん、コイツはホテルの浴場で小型録画機材を使って盗撮していたんです」

「う、うちのホテルで盗撮をやっていたのかコイツは!」と激昂するオーナー。

「盗撮までも……。ちなみに君は浴場にはよく」

「はい、地縛霊になってからの楽しみなんて、生前できなかった、あんなことやこんなことしかないですからね」そう言って、薄気味悪くニタニタと笑う中年男。

「塩、取ってきます!」

 血相変えてオーナーが、部屋から出て行く。すると、オーナーが開けたドアからわらわらと、老若男女様々な人々が部屋に入って来るなりA氏を取り囲んで指差した。

 私は体をのけぞらせひるんだ。「ま、まさか……」


 今思えば、このA氏殺人事件は、A氏が仕組んだ凶悪犯罪だったのではないだろうか。

 数多あまたの人々に恨まれ殺されたA氏。

 異常なことに人々は口々に自身がA氏を殺害したと名乗り出る。

 なぜか?私が想うにそれは死人に口なしだからである。

 詳しく言うと、A氏の被害者である人々が自白することで、A氏の悪行を白日の下にさらすことができるのだ。それだけなら、A氏を殺害しなくても、警察に被害届を出せばいいではないかと思うが、A氏の悪行の被害に遭った、知った人々は恐らく私と同じで、A氏を法的に裁くという考えは浮かばず、脳内で何度も殺害のシミュレーションをしてしまい、最終的に犯行に及んでしまったのではないだろうか。

 罪なき数多の人々をたった一人で、殺人犯に仕立て上げ、自分は死んで法による裁きを逃れる。

 まさに凶悪犯罪である。

 だからこそ、私はこのA氏の計画を阻止してやろうと、口を閉ざした。

 これしか、死に逃げしたA氏に報いることが出来ないのはしゃくだが、私は黙ってホテルの屋上へと向かった。

 途中、A氏の倒れる一室からホテルの玄関まで続く、アイドルコンサート並みの長蛇の列を横切る。

 この人たち全員が容疑者であることに胸を痛ませながら、階段を昇り重みのある扉を開く。以前よりも穏やかな街並みが、そこにはあった。

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