わたし悪くないもん 【短編】
「ちょっと、車が来たら危ないよ」
と、少女を追って道路の左端を自転車で走るヘルメットをかぶった少女が注意をする。
「へーき、へーき。この道、車なんてほとんど来ないし。それに自転車にぶつかった車の方が悪いってお母さん言ったし—!」
そう軽口を叩いて、垣根が高い見晴らしの悪い民家が並ぶT字路に入った瞬間、乗用車が正面から現れた。
ドッガシャーン!
「きゃぁぁぁぁぁぁ‼」
ヘルメットをかぶった少女が悲鳴を上げる。
車は、T字路の脇に立っていた電柱に突っ込み、ボンネットは潰れて、フロントガラスは蜘蛛の巣状にひび割れていた。
車から離れた方に、前カゴが歪んだ自転車が倒れている。すぐ近くに横向きで倒れている少女がいた。
高温のアスファルトに押し付けられた額から血を流しながら、少女は
「わた、し…悪く……ない…もん……」
「ええええええええ————⁉」
目の前で仰向けに倒れる自身の姿に、怒号のような叫び声を上げる少女。
「これって、もしかして幽体離脱ってやつ⁉」
すぐさま足元に視線を移すと、足先から半透明に消えかかっている。
「私の人生こんなところで終わっちゃうの——‼⁇どうしよ、どうしよ!せっかく夏休みの宿題すぐに終わらせて、残りの1ヶ月、映画見に行って花火して海に行ってスイカ割してかき氷食べてお祭り行って!他にもいっぱい予定があったのに‼」
青ざめた顔で狼狽する少女。すると、
「うるさ——————い‼‼」
少女の声をかき消すような野太い初老男性の大声が上がった。
幽霊になった少女の隣に、腕組むジャージを着た、愛想のない仏頂面をした
「げっ!生徒指導の鬼塚先生!?」
「違う!私は閻魔大王だ」
陽光が禿た後頭部に反射して、後光が差す閻魔大王。
「うえ、眩しい!って、え、閻魔大王って、じ、地獄の!?」
「そうだ。ここでお前の簡易裁判をしてやろう」
「いきなり裁判って、天国に行くか地獄に行くかってやつ?」
「いいや違う、お前が現世に残るかこのままあの世に送るかどうかの裁判だ」
「えっもしかしたら、私、生き返るの⁉やった———!」
「生き返るとは言っていないぞ」
「でもでも私、今までの人生で、別に悪いことしたことないから。最近は、お母さんの言うこと聞いて、ちゃんと勉強してテストで85点以上とったし、この前だって友達の遊びに
「では、お前は今までの人生で一度も罪を犯してこなかったと言うんだな」
光る禿頭が、少女の顔を覗き込む。
「それは……」
問い詰められ怖気づいたのか、少女は目線を下に逸らし、口をつぐんだ。
「うむ、では裁判をはじめよう。まずは現場の状況確認からだ」そう言い、閻魔大王は左手を胸の前へ上げ、左へ払う。
すると、景色が色あせたセピア色に変わり、目の前の光景が動画が巻き戻るように過去の光景へと変わる。そして、少女がスマートフォンを操作しながら自転車を漕いで、T字路に差し掛かった瞬間の光景で止まった。
「このとき、お前は友達の忠告を無視して、スマートフォンを操作しながら道路の真ん中を走ったな」
「だ、だっていつも登校するときとか、この道に車が走って来るなんて滅多になかったし」
「では、お前が友達の忠告を聞いて、スマートフォンの操作を辞め、道の端を走っていたら事故は起こらなかったとは思わないか?」
「それは、そうだけど……」と少し声のトーンを下げてから眉間にしわを寄せる少女。「でも、元はと言えば、こんな道を使う車の方に問題があるんじゃないの!それにお母さんが、車と自転車の事故があったら車の方が悪いって言ってたし、だから悪いのは止まれなかった車のほうだもん!」
「分かった。お前は、自分に罪はないと心底思っているようだな。ならば裁判中は、“わたし悪くないもん”としか、言えないようにしてやろう」と、閻魔大王が言った途端。
「わたし悪くないもん!?」と、口から意図しない言葉がでて目を丸くする少女。
「裁判の続きをしよう」
そう言って、閻魔大王は事件の詳しい内容を語りながら、少女に問を投げかけ続けた。
少女にぶつかった車を運転していたのは、二人の幼い子共がいる母親で、
T字路を右折しようとした時、カーブミラーの見落としで、自転車の少女に気づくのが遅れ、驚いた拍子にアクセルを踏んでしまう。自分の意思とは
長男を失った家族が、どれほどの悲しみを追うか想像できていたか?
このまま自身が死んだ場合、少女の家族や友達がどんな思いをするのか想像できていたか?
車と自転車の事故は車に落ち度があると、お母さんが言ったという理由で、事故が起きやすい危険な自転車の運転をしていいと思うか?
問われた少女は、自分の意としていない返答をすることを恐れ、口を閉じた。
そんな少女に閻魔大王は、繰り返し何度も何度も同じ質問を問う。両の手で耳が痛むほど塞いでも聞こえ続ける問。頭の中は「なんでこんなことに…、なんでこんなことに…」という、過去の行いを悔やむ言葉で溢れていった。
長い、長い尋問の末、少女は耳を塞いでいた手をぐったりと落として、言葉を返した。
「……わたし悪くないもん」
返答する
「それでは、判決を下す」
俯いた状態でじっと足元を見る少女に、閻魔大王は言い放った。
「お前は生きかえる。良かったな、望みが叶って」
少女は眉一つ動かさず
「もう違う言葉を発することができるぞ」
閻魔大王の言葉とともに、少女の瞳が潤みだし、
「生き返ったって!私のせいで私よりも年下の男の子が死んだんでしょ。このまま生き返っても私はどうしたらいいの!」
ボロボロと涙をこぼす少女を見て、閻魔大王は目を
「先ほど、お前の受ける刑を軽くして欲しいと嘆願があった。本来ならそんな訴えは聞き入れないが、お前は普段から供養をよくしているようだから、今回は特別に
「恩赦……?」
「軽率なおこないを反省し、
閻魔大王がそういった途端、
自室の天井が視界に映る。
「夢だったの……?」そう少女が呟いた時、右目の上の
反射的に手で右の額を抑えると、肌とは違う布の感触があり、大き目のガーゼが右の額に湿布されていることに気づく。
「あの事故は、夢じゃなかったんだ——」
自覚した瞬間、少女の頭の中で事故の一部始終が断片的にフラッシュバックした。
そして最後に、シートベルトに胸を圧迫され、瞳孔が開いた目を見開き、青白い苦悶の表情で息が止まった、男の子が目に浮かぶ。
途端に、喉の奥が詰まる息苦しさと緊張で胸が張り裂けそうな痛みに襲われる。苦痛を何とかしようとベッドから這い出て、胸を抑えながらヨタヨタと自室を出る。
暗い廊下の奥にある台所の戸から明かりが漏れている。
「車に乗っていた人たちは、軽傷で済んでよかったが」
と、台所から少女の父の低い声が聞きこえ、苦しい喉と胸の痛みが落ち着いていく。
「でも、飛び出しでこんなに
嫌気のある父の声に、今度はチクリと針で刺すような胸の痛みを感じる少女。
「たかだか、数十万円じゃない。あの子が無事ならそれで良かったじゃない」
と、少女の母が軽い声で返す。
「たかだかって、この金を稼ぐのにどれだけ苦労して働くか、稼いだことのないお前には、分からないからそんなことが言えるんだ」と、苛立つ声を上げる父。「第一、保険に入っていれば賠償金はもっと安く済んだし、
「ちょっと、私が全部悪いの⁉保険なんて入らなくってもいいって言ったのは、貴方じゃなかった?だいたい、貴方の甲斐性がないからお金に困っているんでしょ!それに簡単に躾けって言うけど今のあの子は聞き分けが悪くなって、ああ言えばこう言うのよ。ろくにあの子と話さない貴方には分からないでしょうけどね!」
「うるさいなあ‼」「本当のことを言っただけでしょう‼」
二人の怒鳴り声に、少女の胸の痛みは針の痛みから更に強く引き裂かれるような痛みへと変わった。
少女はその場に居ることが耐えられず、急いで玄関ドアを開け蒸した夜の外へと逃げる。
玄関脇に横倒しで置かれたボロボロの自転車を発見し、“ここに居たくない!”という一心でペダルを必死で踏み回して、夜の道路を行くあてもなく突っ走る。
街灯のない真っ暗な道路の
「あぁぁぁ—————!うるさ——い!」
甲高い怒鳴り声を上げ、続けてあの言葉を口にする少女。
「わたし悪くないもん————‼」
その時——
『軽率なおこないを反省し、今世が二つと無いモノであるとよくよく心して生きていくのだぞ』
閻魔大王の言葉が少女の脳裏を過る。次の刹那、
自転車の前輪がガクッ!と下へ落ち、バシャン‼と派手に上がった水しぶきがアスファルトを黒く濡らした。
翌朝、フェンスの無い幅広の水路に、ボロボロの自転車と少女が静かに沈んでいた。
蓮華が咲く清らかな池を、じっと覗き込む慈悲深い者。
その後ろから
「閻魔大王様の使いで参りました。今後は勝手に閻魔大王の名を語らぬよう、お願いいたします」
「ご迷惑をかけたようで申しわけございません。閻魔大王様にお伝えしてください、深く反省しますと」
慈悲深い者は振り向き、巨漢の男に手を合わせて頭を下げる。
「閻魔大王様の名を借りても、
「あれほどの救いを差し伸べたのです。それに気づかぬ童にも問題がありましょう。そういった者たちは、わたしどもが刑に
「そうですか…」
巨漢の男が去り、再び蓮華池の底を見つめる慈悲深い者。
池の底には、
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