ほんの少し怖い奇妙なお話 2025年夏休み短編企画
明知宏治
救い子 【短編】
首都圏から離れた田園風景が広がるベッドタウン。そこにある大型ショッピングモール。
休日の昼ともありフードコートには多くの人で賑わっていた。
「お久しぶりです」
軽い口ぶりで30代の男が声をかけてきた。
「時間通り。感謝します」と私はフードコートのカウンター席から立ち、軽く30代の男に会釈した。
声をかけてきた相手は、10年以上付き合いのある取引先だった。
長身で、整った顔立ち、清潔感のある服装と頭髪、丸眼鏡の内の穏やかなたれ目。
優し気な印象を与える男。そんな男は、大きな買い物袋を肩にぶら下げていた。
「こちらが、納品物です」
男が買い物袋を差し出す。私は、買い物袋の納品物に被さった薄い布を僅かにめくる。
饅頭のように丸い頭に薄く生えた毛、小動物ほどの手が見えた。
「血色がいい。これは良い
私は買い物袋を受け取り、鞄から厚みのある茶封筒を男に渡す。
「それではまた。できたら連絡してください」
いつものように取引を終えて別れようとした時、男が隣に寄って来た。
「少しお話しできませんか」
男の小声に私は前を向いたまま頷いた。
数年前にも同じようなことがあった。
「最近、種付けした女、便所で生むのが得意なんで助かっているんですよ。いやー前回みたいに双子が生まれないかなあ、生まれたらマジで脳汁どばどばですよwwwwww……」
取引の回数が年5回を超え、産婆の
一般人が稼ぐ生涯年収を稼いだころの相談ともあって、足を洗う趣旨かと身構えたがそれは杞憂だった。
「こんな自分がつくづくクズだと思いますwwwww。どうしようもないクズだwwww。でも俺なんかに引っかかる女も悪いんですよ。安い金で孕まされて、最後は薬漬けにしてバイバイなってwwwww。ああ、本当にクズだ」
とナイーブな感情を男は吐露したが、私が「辞めたいのか?」と聞けば、男は首を横に振り話を変える。
「考えたんです。どうしてこんなクズがのうのうと普通の奴らと混じって大学行ってサークルやってんのかって」遠くを見つめて男は続ける。「必要とされているからじゃないかって、俺が作ったモノが苦しんでいる助けを求めている子供たちに必要とされている。だからこんなクズでも普通の奴らと一緒に笑っていられるんじゃないかって……」
そう自己解釈して一通り言い終えると男は「じゃあまた。よろしくお願いします……」と帰って行った。
今回は、それとは少し趣旨が違っていた。
なんでも、赤子以上の年齢の子共も取引できるかという質問だった。
私が、狭い
ここ2、3年は男のメンタルが安定しているのか表情が明るい。
「パパ!」と女児の声が背後から響き、隣を歩いていた男が朗らかな表情で振りむき、4~5歳の女児の方へと歩む。
娘の後ろから母親らしい女がやって来て、こちらに軽く会釈する。
「ではこれで」そう言って男は肩を下げて娘と手をつなぎ、娘の母親とともにショッピングモールの人混みの中に紛れ去っていった。
首都圏へと帰る道中の車内でデフォルトの着信音が鳴る。
内容は、赤子の受取先からキャンセルが入ったとのことだ。
キャンセル料は貰っているので、必要なくなった赤子は処分することになる。
日が傾き始めた頃、田園風景に囲まれたバイパス道に沿って建つ、ひと際目立つ大型パチンコ店の閑散とした広い駐車場の隅に車を止める。
後部座席に置いた買い物袋の中の赤子は、薬で眠らせているので全く起きない。
起こす薬が入った注射器と殺す薬が入った注射器。仕事の時は、常にこの2つ小型の注射器を鞄に入れている。
キャンセルが入ったとき、たびたび新人の頃にあった同僚の迷惑行為を思い出す。
赤子に情が湧いた同僚が処分を頻繁に頼んでくることがあった。しかも休日に電話で泣きついてくることもあった。まったく迷惑この上ない思い出である。同僚がやりたくない仕事を押し付けられる、これほど人にイラつきを起こさせることはないだろう。
さっさと片付けてしまおう。そう思い、助手席に置いていた茶色の鞄から注射器を取り出し、手際よく赤子のムッチリとした小さな腕に細い針を打ち込む。
朱色に光る日が流れる雲に隠れ、辺りが仄暗くなる。
親指の腹で注射器の押し子を押す数秒間。長い一瞬を体感する。
脳裏に走馬灯のような情景が浮かぶ。
幼い頃に訪れた教会。そこで見た聖母と赤子の像。温かみのある白い石膏でできた赤子の像に心を奪われたこと。
そして次に見えるのは成人してこの仕事を始めた時に貰った説明用紙に書かれていた文字。
—— 救い子 ——
この仕事で取り扱う赤子に付けられる名前、救い子。
臓器ドナーの代替として豚に人間の臓器を作るという技術が一般化した今の時代。
昔よりも安価で臓器を移植できるが、一部の金持たちは自身や子供に畜生の内臓を入れることに抵抗があるようで、昔ながらの人間のドナーを探す。
そんな需要を満たすために私の仕事がある。
「この子も救い子になれたはずだった……」
小声が口から漏れ出す。
もう、数えきれないほど繰り返してきた業務ではあったが、今日は妙に感情的になっている。
「ただ作業的に処理する案件だ」
暗示をかける様に呟き、注射器のゴムスケットが薬液を押し切る瞬間をじっと見つめる。
注射針を赤子の腕から抜き取り、長い一瞬が終わった。
この子は、赤子を売る父の元生まれ、父の生業の為に金と交換されて、不要になったため私に殺され生涯を終える。それがこの子の運命だったのだ。
『神は、その人が乗り越えられる試練しか与えない』
励ましの言葉なのだろうが、私はこの一文を人の最後の瞬間に想起する。この子にとってこれは、乗り越えられなかった運命であったと自己解釈するために。
ひと仕事終え後部座席のドアを開けたとき、陽光が射した。
視界が白飛びし、思わず背を向ける。
すると、2つの小さな瞳と視線が合った。
その時、雷に打たれたような衝撃が私の全身に走った。
一歩に二歩後ずさりし、我に返って鞄の中身を確認する。注射器を取り間違えていた。20年以上勤めていて初めて起きたミスに背筋が冷える。
思わず口元を手で押さえ、目を瞑る。
嫌な記憶を思い出すからこんな初歩的なミスを犯す。そう自分に呆れ、動揺を抑える。
目を開き、残った注射器に手を伸ばしたとき、不意にあの一文が脳裏を過った。
『神は、その人が乗り越えられる試練しか与えない』
この偶然の出来事は、ただのミスだったのか?
もしかしたら、赤子は命を奪われるという試練を乗り越えたのではないか?
確かめようもない問いの答えを求め、私は大きな買い物袋の中を覗く。赤子が微笑んでいる。教会の石膏でできた赤子のように。
大概の赤子のように泣きわめけば、私は躊躇することなく残った注射器を手に取っていただろう。
だが、この赤子はただこちらを見つめ微笑んだ。
私は揺らいだ。この赤子を手に掛けるか否かと。
本来あってはならない選択肢に私は戸惑い、赤子に背を向けた。
すると、雲の隙間から幾重もの陽光の柱が大型パチンコ店を囲んだ田園に降りそそぐ、神々しい光景が飛び込んできた。
この時、私は悟った。
私は、この赤子に手出しをすることは出来ないだろう。なぜなら、この赤子に神聖なものを感じたからだ。
教会へいってもこんな体験はしたことが無かった。だが、今この瞬間、バイパス道沿いに建つ大型パチンコ店のだだっ広い駐車場の隅で、私は神を感じた。
私は、これまでの生業で無数の命を処分したことを罪とは考えていない。何故なら、その命は複雑な人間社会の判断によって不要となったからだ。
ではなぜ、あの車内で不要となった命を処分しなかったのか。それは簡単な話で、人間社会を構成する一人である私が必要だと判断したからだ。
さて、神聖さを現したこの赤子が、この人間社会でいったい何を救う“救い子”となるのだろうか………。
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