第六章 総合アイドル芸術 四

 精いっぱい、全身全霊を込めて、念じる。まだ夢を見ていたい、と。

 ……祈りは通じた。少しずつではあるけど、眼前が明るくなっていく。

 見えた。見えてきた。光だ。ステージが光を放っている。いや、輝いているのはアイドルだ。OPSのメンバーたちだ。

 また、会えた。

 メンバー六人は、全員で同じ直立の姿勢になって、観客席を向いて立っている。

 ライブは、永劫回帰、輪廻を表現した宇宙哲学的な曲で、有終の美を迎え……てはいなかった。

 続きは、まだあった。ライブは、まだ終わってはいなかったのだ。

 全員、不動の姿勢を崩さない。

 崩さないまま――。

 次の曲は、アカペラで終わった直前の曲とは逆に、キティラーがソロでさえずる、ゴスペルチックなアカペラによる前サビから始まった。意表を突く出だし。

 新たな趣向は、これだけでは終わらなかった。この〈降神曲・四番〉で、プロデューサーの博士ドクターが仕掛けたのは、とんでもない企みだった。

 続くAメロは、ひたすらオーソドックスな構成だ。

 古き良き、定番の卒業ソング。

 神が季節感を感じるとは思えないけど、やるほうのメンバーには、今年卒業式を迎える――はずだった――当事者もいるんだから、曲のテーマとしては、取り上げる蓋然性もあった。

 ピアノメインの、しんみりしたスローなメロディに、ハーモニーのない、主旋律だけのボーカルが乗る。

 六人は、合唱部みたいに全員横一列に並んで歌唱する。このグループではかえって珍しい。何の工夫もなく、趣向も凝らさず、横に並んで歌っているだけなのに、OPSがやると新鮮に映る。

 いわゆる普通の、ただの合唱曲。

 でも、卒業ソングは、やっぱりこういう曲でないと。

 ――それが、人間の考え方。

 アンドロイドに、そんな常識は通用しない。この曲は、AGIの怖さを人間どもにまざまざと思い知らせてくれた。

 1コーラス目のサビ、最後のリフレイン。その二巡目。

 ここは同じフレーズを、同じ歌い方で繰り返す。

 誰もがそう思うはず。


 曲調が一転した。

 唐突に、崖を転がり落ちるかのような、エッジ効きまくりのカッティングギターが掻き鳴らされる。主旋律を奏でていたピアノはどこかに追いやられ、その座にギターが就く。曲は極端なアップテンポへと転調した。

 でも、毛色の全く異なる二つの曲を、曲間をなくしてセットリストに組んだっていうふうには聴こえなかった。

 前半と後半、二者は全然違う。違うんだけど、前後の音楽には、関連する要素もあった。

 それは、歌詞。物語は連続しているし、共通して出てくるフレーズもある。

 曲調は、一気に、急激に、突然変異を起こして、極端なアップテンポになったけど、メインボーカルの二人は、転調前と転調後の繋ぎ目で、全く同じ歌詞をリフレインしている。だから、別の曲ではなく、たしかに二つは繋がっていた。一体化していた。

 MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)では、ボーカル、歌詞は軽視されがちだったけど、この大一番、OPS解散ライブの掉尾を飾るラストの曲で、繋ぐ要素として大いに生かされることになった。降神曲・四番は、ボーカルがあったればこそ、ばらばらにならず、一つの曲として成り立っていた。

 そして、豹変したのはメロディだけではなかった。

 連携して、ステージ脇でも変化が起こった。

 ステージの左右両側、側舞台の奥には、黒い幕が掛かっている。その左側のほうの幕の奥から、観客席に向け、突如として茶色い球体が飛び出てきたのだ。

 ――技術的には、なんのことはない。幕の布の切れ目、縦に入ったスリットを抜け、バックステージから客席へと、エアポンプで膨らませた大玉を、タイマー制御で押し出しただけだ。

 出てきたのは、二階席があればそこからでも手を伸ばせば届くのではと思えるほどの、特大サイズの大玉。ビニールの表面は、せっちんのボールと同様、木星らしき星をモデルにしてカラーリングを施してある。

 巨大な木星のボールが飛び出てくるや否や。

 ステージ上で何かが爆発した! ――ように見えた。

 はじけたのは、せっちんの体だった。

 せっちんのテンションが、大変なことになった。

 あのせっちんが、性格の暗さでは一同の中で僕とタメを張るせっちんが、大爆発し、これ以上ないハイテンションで、跳び上がり、盛り上がり、お下げ髪を振り乱してはしゃぎまくっている。

 ステージの床をバンバン叩きながら、顔はもう笑っているのか泣いているのかよく分からない。泣いているとしても、嬉しすぎて、感極まってなんだろうけど。

 ――そう。あの日、博士ドクタープロデューサーから直々に、今回のライブのエースに指名されていたのは、コスタリカの石球だった。

 せっちんが、丸いものが大好きという変わった性癖なのは、もうメンバー間には周知の事実だった。

 短期間でボールの扱いに習熟できたのも、その性癖ゆえだ。

 それは、博士ドクターも知っていた。

 せっちんのテンションの上がり方が、ボールの――球体の直経というか体積に比例するのを見抜いていたのは、さすがOPS総合プロデューサーと誉めるべきか、AGIでなくても想像はつく、と落ち着いて受け止めるべきか。

 今の神に必要なのは、生きる喜び。

 感情の昂ぶり。

 ステージ上で、嬉々とした感情をさらけ出しているアイドルの姿を見せる。楽しむ姿を見せて、楽しませるというのが、今回のライブにおける必勝法になると、博士ドクターは踏んだ。その大役に、一番意外性がある、と目星をつけられたメンバーが、せっちんだったのだ。

 そこで、せっちんにだけ内緒で仕かけられたのが、このサプライズだった。

 リハでは、『ここは、自前のボールで適当に、アドリブで』という程度の指示だった。

 せっちんのテンションも、まあそれなりだった。

 そして本番。

 ……いくら球体フェチでも、ここまでテンションが上がるとは!

 観客席の右端まで達した大玉は、幕にぶつかり跳ね返って、また僕のいる中央へと戻ってきていた。

 それを、せっちんはステージぎりぎりから――いや、もう、段差があったら転落している勢いで、必死で追いかけている。

 その表情はというと――。

 いよいよ笑いが止まらなくなっている。破顔で跳びはねたり、腕をぐるんぐるん回したりしながら、客席を左から右へと流れていく木星の大玉を、ステージの端沿いに追いかけている。

 ギャップがありすぎる。このギャップも、エンタメに繋がってはいる……はず。

 だけど。それにしたって。いくらなんでも。

 ここまで羽目を外されると、収拾がつかなくなってしまうぞ。

 危機感は、スイも抱いたようだった。はしゃぎすぎて止まらなくなったせっちんを諫めるべく、スタンドからマイクを外したスイが、それを手に持ち歌いながら、舞台上を追いかける。

 止めるはずが……。

 後ろから抱き付いても、抱き付いても、腕を外され、逃げられ、逆に抱き付かれる始末。

 すったもんだの末――。

 ミイラ取りがミイラにされた!

 スイもせっちんに巻き込まれ、一緒に、手足をあたふたさせるわけの分からないダンスにつき合わされ、ええじゃないか状態のハイテンションにさせられてしまった!

 定位置に残っていたメンバーにも、魔手は伸びる。

 せっちんに肩を組まれたチーズは、簡単に陥落。

 スイに無理やり手を引かれて、鉄子さんも、否応なく巻きこまれ。

 豹変したメンバーに囲まれたキティラーまでもが、朱に染まり、手足をあたふたさせるだけの、型なんてお構いなしの乱れたダンスを始めてしまった!

 そして――。

 最後の砦、気品溢れるお穣様、礼儀正しきOPSの良心、最も分別がつくであろうコロンビアの黄金スペースシャトルまでもが、せっちんとスイに両方から組まれた腕を振りほどけずに、いつの間にか、テンションアゲアゲで踊り出す始末。

 収集がつかないまま、曲はサビへ。

 なんだ、この曲?

 しんみりとした、定番の卒業ソングだったはずだぞ。少なくとも、1コーラス目の最後あたりまでは。

 キティラーとスイだけは、踊りながらもマイクを手放していないのは、さすがメインボーカル組。なんだけど。

 せっちんが、あのせっちんが、ここまでぶっ壊れてしまうとは。

 さらに、メンバー全員が全員、その厄災の渦に呑みこまれてしまうなんて。

 ここまでの科学変化は、AGI搭載の博士ドクターでも、読みきれなかったのではないか。

 神も、視覚、聴覚――どういう感覚で受け取っているのかは想像もできないけど、さぞ驚き、ぶったまげていることだろう。

 せっちんは、博士ドクターから指名された、今回のライブにおけるエースとしての役目、重責を、果たしすぎるほど果たし……果たしすぎだ。

 まだ踊り止まないで、はしゃぎ続けている。ついには音源の尺が足りなくなったので、サウンドスピーカーに搭載されたAIが気を利かせて、急遽、ドロップのところだけリピートする混乱ぶりだ。

 それでもなお、せっちんの横暴は続く。

 終いには――。

 スイが則頭部に被っている髑髏にまで手を伸ばした!

 意味なく、なんかおもしろそうだという理由だけで、剥ぎ取ろうとしている。陰キャの女王は、ぶっ壊れると、こんなことまでやらかすのか。

 せっちん! こんなとこで覆面剥ぎデスマッチをやらかしてどうする。

 駄目なんだって。それを取ったら、特殊スキルが使えなくなってしまうんだって。

 勢いに押され、スイがあわや命とも言える水晶髑髏の仮面を剥ぎ取られそうになったところで――。

 間一髪、全力疾走で、スイと揉み合い膝立ちになっていたせっちん目がけ、チーズが転がりこむようにしてカットに入った。跳んだ! 低空タックルだ!

 チーズはそのまませっちんともつれながら、ステージ上を転がる。

 ふう。危なかった。間に合った。スイの髑髏が剥ぎ取られるのは阻止できた。

 ――ステージを観ながら、ふと考えた。

 ダンスとは何か。

 どこからどこまでがダンスなのか。どこからがそうでないもの、贋物、紛い物なのか。

 アドリブもダンスのうちに含めていいと言うのなら、せっちんの大はしゃぎ……では済まない、型なんて無視したはじけっぷり、手足をあたふたさせるだけのわけの分からない踊りとも言えない踊りも、ダンス。

 スイへの仮面剥ぎのムーブも、またダンス。

 じゃあ、チーズの低空タックルは? あれは技だろ。違うのか?

 もう、観た人が、それぞれ好きに、自由に決めればいい。そうするしかない。僕にはもう、その境界線がぼやけ、かすんで見えなくなってしまった。

 MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)は、ここにきて、格闘技の技、果てはプロレスの反則技までダンスとして取り込んでしまった……のか?

 なんでもありだ。巨大なブラックホールだ。この実体を持たない思想は、全ての動きのあるものを取り込み、織り交ぜ、さらに巨大な何ものかへと、際限なく、宇宙規模で成長を続けていく――。

 いち早く起き上がったせっちんの暴挙は止まらない。

 今度は、チーズをマントで簀巻きにしようとしている!

 今のせっちんは、我を忘れた制御不能の暴走機関車だ。誰の手にも負えない。誰も止められない。

 ここから、どうやってまとめるんだ?

 この狂騒の時間を終わらせる方法なんて、一体全体、存在するのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る