第六章 総合アイドル芸術 三

 こんなところでぶつ切りになるのは納得いかない。耐えられない。

 息を吸うのも忘れて、むさぼるように、次のサイリウムに手を伸ばす。

 ……点いた。

 光に照らされて、ステージにメンバーが再登場した。その姿を目にしただけで、息苦しさから解放された。

 次の瞬間、目に飛びこんできたのは、手を床につこうとして空振りし、不自然に体をねじれさせたコロン。

 ――に手を差し延べたメンバーがいた。鉄子さんだ。

 定位置前のマイクスタンドをすり抜けて前に出た鉄子さんは、とっさに身を屈め、コロンの手首を掴んで、力任せに引き上げた。それで、床に激突しそうになっていたコロンの身体は、危うく難を逃れ、バランスをとり直せた。

 間一髪だった。

 コロンの転倒を、鉄子さんが神の手で救った。

 少しの間、呆けてしまっていたコロンだけど、目線で礼を述べながら、すぐにそばの定位置へ向けて滑っていき、担当するコーラスを始めた。

 ……ちょっと待て。

 差し出したのは、コロンの手首を全力で握り締めたのは、右手だったぞ。

 鉄子さんは、右手の掌に、ライフルで撃ち抜かれたみたいな穴を開けられているんだ。自分の特殊スキル、ヒーリングを使うこともできない中、どこまで傷が癒えているのか。

 コーラスのみならともかく、そんな容態でダンスを行うなんて、狂気の沙汰。普通のライブなら、確実に、ドクターストップがかかっているケース。

 それでも鉄子さんは、痛みをおして、強行出場していた。

 そんな右手で。穴の開いてる、怪我してるほうの右手で……。

 だいじょうぶなのか? 僕の見間違いで、逆の手ではなかったとしたら、痛くないはずはない。尋常でない激痛を味わったはず。

 大殊勲の鉄子さんは、何食わぬ顔でコーラスを続行している。何食わぬ顔――ほがらかな笑顔で。

 プロだ。鉄子さんはプロのアイドルだ……。


 何もできない自分だけど、メンバーと、ステージを盛り上げたいという思いの共有はできる。それだけで、存在意義が感じられる。

 だから、僕は、サイリウムを。

 振る。

 振る。

 振り続ける。

 OPSのライブが続く限り。僕は振るのをやめない。

 これが、僕の生き甲斐だ。生き様だ。生き恥さらして、何が悪い? 悪いことなんて一つもない。いいことしかない。みんな、笑顔を返してくれる。

 応援し続ける。し続けよう。

 ライブは、セットリスト通り、滞りなく進行していく。

 次の〈降神曲・三番〉は、アイドルソング。

 歌謡曲とEDMの中間種。

 サビもあればドロップもある。

 Bメロには、チーズのソロパートが入る。

 チーズの担当パートは、ダッシュ。

 だけど、リハ中は、正式名称よりも、通りのいい別名で呼ばれるほうが多かった。

 スイが名づけた、その変則走法の別名は、〈チーズ走り〉。

 チーズの走り方に、型なんてない。

 本人曰く、『一生懸命かつ優雅に』。

 チーズ走りは、バレエ仕込みでもなく、幅跳び選手の助走とも違う。

 普通のスキップより歩幅は広め。上方に軽快に跳び上がりながら進んでいく、独特な走り方。

 やたらと嬉しそうな表情が、曲者だった。

 本人が意識していなさそうなのも、厄介な点だった。

 はじける笑顔が、単なるステージ先端までの往復を、極上のエンターテイメントに変貌させていた。

 観客の心を吸い込む魔法だった。

 騙されても怒れない、アイドルしか使うことを許されない詐術だった。


 Bメロが終わり、曲はインター――間奏へ。

 ここはコミカルに、チーズ走りで三歩進んで二歩下がる、というムーブが入っていた。

 スイが、リハでチーズの物真似をしたところだ。その場でチーズの動きに合わせて跳びはね、足踏みだけしたのだ。

 微妙に似ているのがおかしくて、一同大笑いさせられた。

 博士ドクターは、

「それ、本番でも入れちゃっていいですよ」

 と勧めていたが、当のスイは、

「え、これをやるのはさすがに……」

 と、チーズへの遠慮もあるのか、乗り気ではない様子だった。

 ……やっちゃった。スイ、やっちゃったよ。

 スイはその場で、チーズのムーブに合わせ、自身も数度、高く跳ねた。満面の笑みまでトレースしている。

 掟破りのチーズ走り!

 そしてなんと、ムーブは横のキティラーまで感染し、チーズ走りに加わってしまった! その場で高く跳ね上がる!


 キティラーのアドリブは、それでも想定内だった。

 笑わされるたげでは済まないアドリブをやった、やらかしたメンバーがいた。

 2コーラス目のAメロとBメロも終わり、曲はドロップに入る。この曲のドロップは短い尺なので、誰のムーブも入らない。

 はずだった。

 ここで、シュートを仕掛けてきた奴がいた。とんでもないアドリブが差しこまれたのだ。

 不意に、メンバーの一人が、右手で眉の上にひさしを作り、きょろきょろし出した。敬礼にも似たポーズで。

 リハでは一度も見せていなかったムーブ。アドリブだ。

 探している。何かを。

 探してくれている。誰かを。

 ……そして。

 見つけてくれた。

『やっと見つかった!』

 チーズは破顔しただけだったけど、僕には、チーズのそんな声が聴こえてきた。

 駆ける。チーズが駆ける。全力疾走だ。張り出し舞台最先端に、僕のいる方向に、チーズがチーズ走りでない全力疾走で近づいてくる。目が合った。

 土星域へのテレポーテーション以降、すっかりご無沙汰だった、チーズのほんとの、心からの、満開の笑み。

 チーズが笑顔を取り戻してくれた。

 もうそれだけで、何も言うことはない、それ以上何も望めない。

 なのに。

 チーズは、それ以上のものを上乗せしてくれた。

 こんなの反則だ。

 こんなムーブをいきなりアドリブでやられたら。

 サイリウムを握る僕の手が汗ばむ。体温が上昇し、鼓動が早くなって、心臓を躍らせる。

 短いドロップが終わるぎりぎりのところで、チーズは、地図のマントを巻きつけた手を、手旗のように振った。

 万感。

 僕の顔が今どうなっているかは、頬に手を触れなくても分かる。

 まさか、チーズに、あのチーズに泣かされる日がくるなんて……。

 ――マイクロアースでのサイリウムの発光時間は短い。

 もっと振っていたかったけど、そこで光ははかなくしぼみ、望みむなしく闇へと消えた。

 光は去った。

 希望の光はどこにもない。

 宇宙には、再び僕一人しかいなくなった。


 耐えられない。ステージがないと呼吸もできない気がした。

 今の自分は確実に、中毒患者、いや、餓死寸前の遭難者だ。飢えている。ライブに飢えている。OPSのライブパフォーマンスを、心の糧にしているんだ。心の底から求めているんだ。

 残りの本数が少なくなってきているのには気づいたけど、捻るのは止められなかった。

 サイリウムの発光と同期して、また光に彩られたステージが眼前に浮かび上がってきた。

 ――あり得ない光景が待っていた。

 禁断の、禁忌の……。

 OPSでは絶対やってはいけないことになっている、全く同じ振り付け、ムーブ。

 そんなのやってしまっては、普通のアイドルグループだ、というそれを、ダンスパート四人、せっちん、チーズ、コロン、鉄子さんが、横並びで始めてしまった。

 正面を向いて、棒立ちで、四人揃って、肘を曲げたり、掌を前に出したり、裏返したり。

 手の動きはぴたりと揃っている。メンバーがしているのは、軽めの、誰にでも簡単に真似できそうなムーブだった。

 OPSは、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)の思想を捨ててしまったのか。

 一回目のあのライブを観た人がもし僕の他にいたとしたら、誰もがそんな疑問を抱いたはず。東洋と西洋。スポーツ競技と宗教儀式。ルーツの全く異なる、今までは交わることなんて決してなかったものたち。混ぜ合わせることなどてきないはずのそれらの要素を混ぜ合わせてみせるのが、このグループの宿命であり存在理由なのではなかったのかと。

 しかし、化けの皮を剥ぎ取ったOPSの真の姿、本領が発揮されるのは、ここからだった。

 〈降神曲・六番〉。

 この曲は、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)とは何なのか、という問いと今一度向き合い、さらに踏みこんだ内容になっている。

 バージョンアップのためなら、ダンスを隣のメンバーとぴったり、完全に揃えるのも厭わない。――曲終わりまでやっていてはMIA(ミックスド・アイドル・アーツ)ではなくなるので、あくまで一時的に、ではあるけど。

 降神曲・〇番などが、空間を使ったMIA(ミックスド・アイドル・アーツ)なのに対し、この降神曲・六番では、時間を使ったMIA(ミックスド・アイドル・アーツ)をやろうとしているのだ。

 ――均一的なムーブは、細胞分裂でコピーを作る、原始生物のメタファー。

 でも、ここはまだ進化の始まり。大樹の、世界樹の根だ。

 ぴたりと揃ったムーブが、イントロの間中続いたと思ったら、Aパート開始直後から、ダンスのムーブは波を打って変化していく。

 ボーカルの二人から数歩、ステージ前面に出た四人。

 四人とも同じ、左手を上げたポーズから――。

 鉄子さんは、手に載せていたスティックを握り締め、リボンをはらりと床へと垂らす。

 そうしておいてから、ふわりと翻らせ、腰より低い位置で螺旋を描いて、低空をを泳がせる。

 ――海洋の中に、プランクトンから派生した何者かが現れた。

 コロンは、左手の手首を裏返し、甲を上にして指を反らせる。

 そうして、別のムーブ、別種の生物へと進化していき、誰に合わせるでもなく、優雅に海中を泳ぐ。

 チーズは、左手だけで持っていたマントを両手に持ち替え。頭上に広げた。

 ――チーズのマントは、エイのひれだ。マントを掲げたまま、左右の側舞台へと、自由に大海を駆けめぐる。

 せっちんは、腕をクロスさせ、手の甲でボールを挟んで……動かない。

 他の三人につられて動くなんてしない。

 動けないのだ。

 ――今のせっちんは、サンゴだから。

 ダンスパートのメンバーは、なおも、様々な姿へと進化していく。

 四人は、同種の生物から枝分かれしていくように、別々のムーブへと移り変わっていく。

 徐々にモーフィングしながら。

 あるいは、突然変異を起こして一気に、大胆に。

 博士ドクタープロデューサーが、この曲で、ダンスを使って、恐れ多くも、神に見せようとしているのは、〈進化の系統樹〉だった。

『神にできることなら、アイドルでもできる』

 進化の系統樹を、神に見せつける。

 博士ドクタープロデューサーが今やっているのは、アンドロイドだからこそできる、神への冒涜。アンドロイドが神に喧嘩を売った瞬間を、僕は今、目撃しているのかもしれなかった。

 生命の進化、四人のダンスは、別々の方向に広がるだけではなかった。

 時に、メンバーは。

 せっちんとチーズが、床を踏むリズムを合わせ、同調させ。

 コロンと鉄子さんが、上半身の動きを寸分違わずリンクさせ。

 別種の生物なのに、稀に、環境に適応するためにそっくりな形態になってしまう、という生命の神秘を、ダンスで再現してみせた。

 そして、ダンスのモチーフとなる舞台は、ついに、地上から空へ。

 チーズのマントは、もはや体の一部のように思えた。僕がマテリアリゼーションしたという気がしなかった。生まれた時から持っていたのでは、と思えるほど自在に操る。

 さっきはエイの体だった、揺らめかせていたマントは、今度は、羽ばたく鳥の羽になった。

 次は、何に見立てられるのか?

 それは、神もまだ知らない。

 観客の、神の視線は、今、このステージに、OPSのライブに、パフォーマンスに釘付けになっているはずだ。若干腹を立てているのかもしれないけど。それこそプロデューサーの思う壺だ。

 ステージ上の宇宙では、枝分かれし適応できた種だけが、淘汰されずに生き残る。

 四人のダンス担当メンバーは、小型の哺乳類になり、猿人になり、人間になった。

 そこで、進化は終わらない。人間になったその後も、進化の系譜はまだ伸びる。

 ステージ右手で、鉄子さんが、バトンと左腕で、角張った、メリハリのついた固いムーブをすれば。

 対面、左側にいるせっちんは、逆に、載せたボールを左腕から右腕へと転がす、滑らかで丸みのあるムーブを見せる。

 間を割って現れたコロンは、右手でせっちんの滑らかなムーブを、左手で鉄子さんの固いムーブを受け継ぐ。

 ――生物の進化の系統樹に、ここで、人間と機械を融合したアンドロイドが誕生した。


 締めだ。ついに。

 最後は、変則的なアウトロが待っていた。

 それまではステージ全域にばらけていたメンバーたちが、センターポジション、メインボーカルの元へと吸い寄せられるように集まってくる。

 これまでは激しく踊り、あるいは滑らかに舞っていたメンバーは、スイとキティラーを挟んで定位置に横一列に並ぶと、一転、身じろぎ一つせずに静止し、彫像と化す。

 降神曲・〇番の冒頭では、静止姿勢ながら、メンバー六人全員で同じ姿勢をとる場面があった。

 そこに、戻っていた。

 ステージ上に、前回のライブ開始時の景色が再現されていた。

 今度は、その時とは表裏逆に、百八十度裏返って、今のメンバーは、後ろ向きではなく正面を向いている。

 鏡写しだ。

 この演出は、永劫回帰、輪廻の思想を表現しているらしい。

 東洋哲学と西洋音楽の融合。

 MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)――〈総合アイドル芸術〉の本懐だった。

 スイは、両手を垂らした不動の姿勢。キティラーも、特にポーズを作らず、両手で何かを掴むような――でもこれは歌っている時、いつもこうしている――格好でたたずむ。

 左右のライトが落とされた。センターライトだけが、上方から六人を照らす。

 水晶の髑髏、心臓部の四角い金属が、スポットライトをはね返している。

 白くきらめくスモークを従えたスイとキティラーが、アカペラでハモりながら、ラスト一小節を高らかに歌い上げる。

 放たれた最後の一声は、マイクに乗って、遠く、遠くへ広がり、溶けていく。

 残響が、空気に揉まれ、序々に小さくなっていく。

 音が消えた。

 同時に、ここまでなんとか持ちこたえてきたサイリウムの光も、静かに寿命を迎えた。

 ステージをまばゆく照らしていたスポットライトが不意に消え、会場は一面の闇に包まれた。


 後悔はしない。

 我慢なんてできないのだから。

 耐えきれず、別のやつの柄を掴んだ。そして、またサイリウムを灯す。

 けど……。

 浮かび上がってくる映像は、セピアやモノクロに退色していて、しかも、途切れ途切れになってしまう。網膜に強固に焼き付けたはずの映像は、早くもその周囲が黒ずみ始めていた。

 それでも、僕は集中し、あの時のことを、懸命に、でき得る限り明瞭に思い出そうと務める。

 浮かび上がりかけては掻き消えてしまう、極楽のステージ風景。

 手元のサイリウムは、頼りなさげに明滅を繰り返すのみで……。

 消えないでくれ。僕には光が必要なんだ。

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