エピローグ

 周囲が闇に覆われた。

 再び訪れた、見渡す限りの暗黒宇宙。

 未使用のを入れていた右手側のポケットに手を入れ、まさぐったけど、何も硬いものには当たらない。

 もう一度、手前から奥まで隈なくまさぐった。

 からだ。

 左側は……。

 こっちには、ハンカチしか入れてなかった。それも、今はない。こっちも空。

 胸ポケット……にはペンしか入っていない。

 諦めきれず、右の腰ポケットをもう一度。

 やっぱり、何もない。

 指先が、やけにかさつく。寒くはないのに、細かい震えが止まらない。

 受け入れ難い事実だった。

 最後の一本だったサイリウムが燃え尽きたんだと自覚できるようになるには、しばしの時間を要した。

 いつかはくると思っていたこの時が、ついに訪れてしまった。

 もう、持っていたのは全部使い果たした。

 もう二度と、サイリウムに照らされた鮮明なライブなんて観られない。

 暗い時代。暗い宇宙。

 僕は、このグループを、メンバーたちを、照らしていたかった。細くとも、心許なくとも、それが、それだけが、僕にとっての一筋の希望の光。心の支え――。

 だった。

 それさえできれば、もう他には何も要らない。何も望まない。

 なのに。

 無心に、ひたすらサイリウムを振って、応援していたかったんだ。自分の置かれた環境。待ち受ける暗澹とした未来。何もかも、全て忘れ、頭を真っ白にして。

 だけど。

 望みはもう叶わない。

 サイリウムは燃え尽きた。

 全て、終わってしまったんだ。

 今の自分の持ち物は、果てしのない孤独だけだ。

 …………。

 おかしい。

 何かがおかしい。

 ふと気づいた。宇宙の齟齬に。

 大玉は、なぜ転がった?

 さっき思い返していたライブ。

 僕が、サイリウムの光に照らされて観た、回顧していた光景は、マイクロアースでの、OPSの解散ライブだったはずだ。

 歓声だけは、意識して、意図的に想像で補ったつもりだったけど。

 僕がマテリアリゼーションし、ステージに設置したのは、仕掛けと言うほどのものでもない、スリットの入った黒いカーテン状の幕。ただの大玉。そして、電動式の射出装置。タイマーで、垂直に立てたベニヤ板を前に突き出して大玉を転がすだけの、原始的な機械。

 だから、会場に飛び出した大玉は、観客席中央までも届かずに、途中で止まるはずだった。

 そういう演出、そういう予定だった……と記憶している。

 でも、今観たライブでは、大玉は、ステージ左の幕の中から現れ、右端まで行って、跳ね返ってまた戻っていた。

 観客席に、観客がいたからだ。そう言えば、客席は、ファンで埋め尽くされていた。ファンが、頭上の大玉を手で転がしてくれたからこそ、フロアを往復できたのだ。

 ……マイクロアースでのライブに、なぜ僕以外の観客がいたんだ?

 回想した時、観客、そして大玉の軌跡をも、僕の想像でねじ曲げてしまったのか?

 全然意識なんてしてなかったのに?

 あるいは、こうは考えられないか。

 僕が想像だと思っていた観客は、大玉を会場の左から右に転がしていたのは、実際にOPSのライブに来ていた、実在する人たちだった。

 客席を埋めつくし、超満員に膨れ上がっていた会場は、現実の光景だった。

 多元宇宙マルチバースの中の、別の宇宙で実現しているライブと、それとはまた別の宇宙で実現しているライブと、さらにそれとはまた別の……。

 どういうことだ? 僕の頭はどうかしてしまったのか?

 ……いや。落ち着いて考えよう。

 仮説が一つある。

 今、起こっているのは、こんな現象なのではないか。

 二つの宇宙が、混ざろうとしている。

 さっき見た光景は、別の宇宙――人類が滅亡せずに生き残っていた宇宙で、そこで起きた出来事が、僕の網膜に映りこんでしまった。

 あるいは、時間軸をすり合わせている最中だから、未来を思い出すなんて奇異な現象が起こったのかもしれない。

 ――そうだ!

 この時になってようやく、僕は、死の間際、スイがとった不可解な行動、片割れ同士の左右の水晶髑髏を一つに合わせたのがどんな意味を持っていたのか、やっと理解できた。やっと、その真意に気づけた。

 スイは、いたずらに、僕を永遠の孤独に置き去りにしたわけではなかったんだ。

 特殊スキルを発動させたんだ。

 あの時、土星人サタンを道連れに黄泉の国イエローホールに飛び込む直前になって、天啓を授かった、直感したんだ。自らの特殊スキルの発動方法、そして効果を。

 因子持ちアイドルの特殊スキルは、それぞれの外見の基になったオーパーツに由来する。

 水晶髑髏にまつわる伝説、言い伝えの一つは、こうだった。

 『十三個の水晶髑髏全てが集まった時、世界が滅びる』。

 これは、拡大解釈すれば、『現存する全ての水晶髑髏を一か所に集めれば、他の宇宙と結合する。他の宇宙と結合した結果、元の宇宙と同一ではなくなる』とも受け取れるのでは。

 だとすると、言い伝えは、単なる滅びの預言ではなかったのだ。

 そして、また別の言い伝えのほう、『人類の起源、生きる目的、たどることになる運命の謎が解かれ、世界は救われる』。

 こっちまで当たっていたことになる。

 スイは相反する二つの預言を、同時に、クレヤボヤンス――那由他眼と、サイコキネシス――宇宙移動を複合させた、超特大スケールの特殊スキル〈多元宇宙結合〉を使って実現してしまったんだ。

 だから、今観たライブは、マイクロアースのステージでもあったけど、地球のステージでもあったんだ。

 とすると、OPSのメンバーたちは、生前約束していたように、この結合する先の宇宙でも、どこかで出会って、グループを結成している、あるいはこれからすることになるのか。

 ……何かが見えてきた。

 目で見えない何かが。

 感覚的に見える。

 宇宙だ。

 スイが見つけて、引き寄せてくれた、結合に立ち会うのを僕に託した、たまたま土星人サタンが人類とコンタクトしなかった、バタフライ・ロストが起こっていない、人類が存続している宇宙。

 特殊スキルの発動が遅れ、タイムラグがあった後、結合する、もう一つの青い宇宙。

 僕たちみんなの、新しい故郷。

 視界の青味が増してきた。

 僕はこれから、別の宇宙と繋がる。合わさる。

 意識が薄れていくのが分かる。

 僕の意識は、魂は、この宇宙ごと、別の宇宙へとスライドしていく。

 別の宇宙も、僕のいる宇宙へと近付いてくる。

 ここまでくれば、これから何が起こるかは、おおよそ見当がつく。

 僕は、間もなく、この誰もいなくなった宇宙ではない別の宇宙と重なり、目を覚ます。意識を取り戻す。

 別宇宙にいる僕の、それまでの人生の記憶も本物だろうけど、この僕の記憶も本物だ。一人の脳に、二つの記憶が、思い出が重なるかたちになる、と予測がついた。タイムリープして、別時間の本人と重なるのと同じ現象だ。

 ……事は予測通りには進まなかった。

 異変が起こった。

 これは誰だ? 自分か? いや、違うだろ。

 なんで、僕は、別人と合わさろうとしているんだ?

 結合する宇宙の中に、僕に当たる人物がいるなら、その人、もう一人の自分と重なるはず。

 ……いや。

 自分とは全然似てないけど、この人物が、この宇宙での僕なんだ。

 多元宇宙マルチバースの中に無数に存在しているという、何かが異なる別の宇宙。

 中には、三次元で構成されていない、あるいは物理法則の異なる宇宙もあるらしいけど、この宇宙は、そんなことはなかった。

 次元は、三次元なのが実感できる。

 空間の構成は同じだ。

 でも、僕の姿が、そっくりそのままの場合もあれば、少しだけ違う――そんな宇宙もあるだろう。

 そして、今みたいに、全然似ても似つかない場合だって……。おそらく、この人は、この自分は、送ってきた人生までもが大きく違っているのではないか。

 見た目は違う、経験してきたことも違うけど、一つに、一体に重なるんなら、同一人物であり、自分自身。

 ここはそんな宇宙なんだ。受け入れるしかない。

 見慣れない目の前の人。

 感慨に耽る間もなく、体の一部は、すでにその人と結合、癒着を開始していた。

 この変な奴が、もう一つの宇宙の、これからの自分……。

 きた。

 全く異なる二つの体が、魂そのものが、一つに――。

 混ざる!

 合わさる!

 そして僕は、私は――。

 新しい自分になった。


 新しい宇宙。

 やっぱりここも、相似した宇宙であるのなら、元いた宇宙と大して代わり映えしない、生きづらいディストピアなんだろう。

 でも、何の希望もないわけではない。一条の光は見える。

 いるはずだ。この宇宙にも、あの六人が。

 あの六人が、約束していた通り、出会っていて、グループを結成していて、そして、どこかでライブをやるつもりなんだとしたら、僕は、私は――。

 メンバーのみんなのために、僕が、私ができることは一つしかない。

 それは――。


      [完]

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アイドル宇宙創世記 O_P'S Mixed Idol Arts ジャック・ジャクソン @Jack_Jaxon

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