第六章 総合アイドル芸術 二

 暗闇には、孤独にはもう一秒も耐えられない。

 間髪置かずに、消えたのを投げ捨て、新たにポケットから取り出した次のサイリウムをひねって点灯させてしまった。残りは五本しかないのに。せめて、もうちょっと余韻を楽しんでからにすべきだった。後悔したけど、遅かった。止められなかった。

 途切れた続きから、ライブが再開される。

 セットリスト二曲目は、ダンサブルなEDM曲。

 イントロが始まった直後のことだった。

 プロデューサーからは、身体だけのムーブは入れなくてもいいと指示が出ていたけど。

 定位置を抜け、背後からセンターに摺り足でやって来た鉄子さんは、キティラーの羽の生えてない右肩に、バトンを持ったままの左手を乗せ、そこを軸に、左脚を立てたまま――。

 前方宙返り一閃!

 下半身だけ、先に回転していた。後から、えび反りになって残っていた上半身が、ディレイしてその後を追うかたち。少しの時間、体を背中側に二つ折りに折り曲げた体勢を維持して、鉄子さんは、立ったまま前方宙返りを決めた。メインボーカルの間をすり抜けて、颯爽と二人の前に出る。

 本人にとっては、朝飯前の軽いアドリブだったんだろう。でも、常人から見ると、やっぱり、新体操選手の身体の軟らかさは異常。

 着ているウェディングドレスは、往年のホワイトベリーの浴衣を髣髴とさせるスタイル。幾度か、特殊スキルの使用の補助として切り取って使用したせいで、すっかり短く、裾がハイカットになってしまっている。

 だからこそ、衣装が動作を阻害することはなく、前方宙返りなんかの脚を広げるムーブも問題ない。

 露出度的にも問題ない。かぼちゃパンツが強い味方だ。


 狭義には、部分的にムーブを一致させるのが、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)。

 博士ドクターに確認しても、そう教えられるだろう。

 では、一致させようとしてさせられないのは、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)に当てはまるのか。そう呼んでいいのか、いけないのか。

 そんな問いを曲にしてしまったのが、この〈降神曲・二番〉だった。

 曲が始まって早々、チーズとコロンが手を繋ぎ――というか、チーズが、片足立ちのコロンを引っ張って、張り出し舞台まで出る。

 始まったのは、ステップの競演。

 コロンは、フィギュアスケート仕込みのステップを駆使し、左に右に、右に左に、細かくステップを刻んでいく。

 その左で、チーズが我流のタップダンス風の足捌きでコピーを試みるも、普通にその場でスキップするだけになってしまう。

 コロン先生がいくら教えても、生徒のチーズは真似できない。

 なんとか笑顔でごまかすチーズだけど、そういつまでも押し通せるものでもなかった。

 ついに先生においてきぼりにされ、相手にされなくなってしまうチーズ。

 ところが。

 ドロップも最後の一小節に差しかかったところで、それまでさっぱり普通のスキップしかできていなかったチーズが――。

 いきなりコロン先生とリンクした完璧なステップを踏んだ!

 なんだ、チーズ。ほんとはできんじゃん。

 ――と、そこで唐突に、ステージに漆黒の幕が下りた。

 あ……。

 手元のサイリウムは、消えていた。


 気づくと、掌の内側には、手探りで掴んだ次のサイリウムがあった。もう我慢なんてできない。自制心なんてはたらかない。

 右手に持ったサイリウムの根元を、左手でひねる。

 明かりはすぐに点いた。

 サイリウムの光に照らされて、浮かび上がるステージ。映し出されるOPSのメンバー。

 ライブは三曲目、〈降神曲・〇番〉に突入した。

 イントロから、階段を光の速さで駆け上がるように鳴り響くシンセ。

 スイは今回、ボーカルに専念するけど、イントロのエア弓矢だけは、引き続き担当した。降神曲・〇番は、やっぱりこれ――平家物語〈扇の的〉――がないと始まらない。

 そのイントロが終わると、ダンスパート総出でのソロムーブのフラッシュを経て、曲はAメロへ。

 スイのボーカルが入ったからだろう、既存曲とは思えない新鮮さがあった。

 そして、1コーラス目のBメロも終わろうという時。

 メンバーが一人、単独で張り出し舞台に躍り出ていく。

 開始直前、メンバー何人かに尋ねられ、怪我の具合は少し良くなった、と本人は言い張っていたけど、ほんとのところは怪しいものだった。

 スイとキティラー、さらにコーラスに加わっていたチーズ以下三人も、いっせいに声を切った。

 もうサイリウムを落としそうになるなんてミスはしない。しないけど、持つ手が震える。指先が痺れる。血の気が引いているのが、自分でも分かった。

 右足一本で滑っていくコロン。

 滑りながら膝を左右に揺らし、タイミングを計っている。顔は……笑顔だ。整った顔立ちはそのままに、目尻だけ、とろけたように下がる、魅惑的な笑顔。この期に及んでこの人は、なんでこんなに自然に、優雅に笑えるんだ?

 ――問題は、先送りにされていた。

 博士ドクターは、指示なんて出していなかった。跳ぶ本人に一任されていた。

 右か。左か。ジャンプの踏み切りを、どちらにするか。

 今回のライブ、コロンはずっと、いつものジャンプとは逆の足、右足で踏み切って跳んでいた。短期間の練習で、左足でのジャンプに見劣りしないものに仕上げていた。

 問題は、最も難易度の高いアクセルでの二回転――実質二回転半のジャンプだ。

 張り出し舞台のど真ん中、所定の位置に到達するコロン。

 ついにやってきた、運命の瞬間。

 くる。

 ここだ!

 慣れない右足で、失敗覚悟で跳ぶか。

 慣れているけど痛みのある左足で跳ぶか。

 コロンが選んだのは――。

 いや、博士ドクターが二択を提示しただけで、本人は最初から迷いなんてなかったのかもしれない。

 踏み切りに使ったのは、やっぱりこっちの足だった。

 黄金の左!

 コロンは、爪先を外側に開き、硬く乾いた靴音を、響くドラムのハイハット音と同期させ――。

 振り出した右腕に体が吸い寄せられるようにして、跳び上がった。腕を畳んで胸の前に収め、空気抵抗を最小限にする。

 黒い上着を羽織ったその体が、宇宙に舞う。六つに割れたスカートを広げ、垂直に、重力なんて無視しているかのように軽やかに、旋回しながら宙を駆け上がる。

 一回転。

 二回転。

 回転は連なる。渦を巻き続ける。

 コロンの割れたスカートは、金色の鳳凰のように、空中に翼を広げていた。

 回転速度は衰えない。

 舞い降りながら、さらにもう半回転。

 床を食んだのは……右足、やや外寄り。ぶれはない。完璧にバランスを保っての着地、ムーブの完成だった。成功!

 都合、きっちりダブルアクセル――二回転半ジャンプが完成した。

 本物だ。

 捻挫した足で、痛みをおして、ダブルアクセル。

 この人こそ、本物の、黄金のスペースシャトルだ。

 コロンが着地までミスなくこなしたのを見届けて、観客席の僕も、何よりメンバーの顔にも、安堵の色が浮かぶ。

 まったく、どきどきさせてくれるお穣様だ。

 シンセの響きに身を包み、大仕事を終えたコロンは、さすがに表情を弛緩させながら花道を引き上げていく。

 何気ない、片足――酷使した左足――を上げての滑走。

 ……罠は、こんなところに潜んでいた。

 これまで、幾多のジャンプやスピンを完璧にこなしてきたコロンが、ただ足を踏み出すという単純な動作を誤り、定位置の目前で――。

 大きくバランスを崩した。

 上半身が、あらぬ方向にねじれる。体勢を立て直せない。とっさに床に左手をつこうとしたコロンだけど、その手も虚しく横滑りして空を切った。

 もう駄目だ。側頭部から……!

 せめて肩から落ちるなら、ダメージは最小限に、途中退場なんてことにはならずに済む。せめて、せめて肩から――。

 次の瞬間――。

 そこで、サイリウムの炎は尽きた。

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