第六章 総合アイドル芸術

第六章 総合アイドル芸術 一

 悔いがある。

 やり残したことがある。

 観たかったものがあるんだ。

 僕が、人生において、ついに観ることの叶わなかったステージ。

 マイクロアースの、だだっ広いだけの広野ではない、ライブ会場でのOPSのライブ。

 一度でいいから、この目で姿を追い、足で会場の振動を感じ、そして、手でサイリウムを……。

 そんなライブを、体験してみたかった。

 孤独を癒すためだけなら、なにもライブでなくてもいい。他にも、回顧できる記憶はあるんだから。

 でも、僕がOPSのライブに惹きつけられ、もっともっとと欲してしまうのには理由があった。

 神を起こすために作られた降神曲は、そのいっぽうで、人間にも薬になっていた。神降ろしの他にも、違う薬効を発揮していた。

 少なくとも、本来の対象ではなかった僕の体内には、効果を及ぼしている。それも、多大な、甚大な。

 あの六人のライブは、自分にとっての、貴重な双方向コミュニケーション手段だった。

 エネルギー摂取方法から何から、本来の人間からは遠ざかった、機械じみた存在と化している自分だけど、ステージパフォーマンスを観、それに対してサイリウムを振っている時間は、生きている喜びが感じられるのだ。生身の肉体を持って、今、この宇宙に生きていると、体の芯から実感できるのだ。

 僕はコミュ障だから、メンバーと長時間話すなんてできない。

 だけど、ライブパフォーマンスに対して、客席から、ステージの下からサイリウムを振ることならできる。

 ステージの上からも、自分の振っているサイリウムを見てくれているのが分かると、その瞬間、やっとまともな一人の人間になれた気がした。

 そんな病名があるなら、自分は、OPS依存症になっていると気づいた。

 応援しているだけで、楽しくて仕方がない。どんハマりして、抜け出せなくなってしまったのだ。

 そんな願望も、地球が砕け散り、メンバー全員が消えてしまった今となっては、どうやったって叶わない。

 深いため息が漏れた。

 ふと気づくと、ポケットの膨らみに手が触れていた。手首の辺りに、何か硬い感触がある。

 ああ、これは……。

 忘れていたけど、ジャケットの腰ポケットには、予備のサイリウムセットを入れたままにしていたんだった。解散ライブでは使わなかったやつだ。全部で六本。色は全部、基本色の白。

 ……点けようか。

 ――点けてどうなる。

 どうにもならないけど、OPSの最後のライブに、思いを馳せることはできる。

 ――もっと経ってからでもいいのではないか。なにしろ、この後、僕に待っているのは、ガソリンと肉体の寿命が尽きるまでの、長い長い孤独。先は長いぞ。

 もう一人の自分が忠告したけど、気づくと、僕の指は勝手に、その中の一本をそっとひねって点灯していた。

 まぶたに焼き付けた、あの日、あのライブの光景が、サイリウムの光によって輝度を増し、より生々しく、リアリティーを持って再現されていく。

 ライブは、まさにこれから始まろうとしているところだった。

 ステージ左右には、幅、高さ数メートルに及ぶビロードの暗幕が下ろされている。博士ドクターに請われて、僕が現出したものだ。この幕のおかげで、メンバーがコールに合わせて舞台裏から登場する演出が可能になっていた。

『初めにオーパーツがあった。オーパーツは、アイドルと共にあった』

 マイクロアースに築かれた特設ステージに、またいつかの神の声が、死んだ神の声が、風に乗って聴こえてきた気がした。

 その一言が開会のみことのりとなり、OPS、ラストライブの火蓋は切って落とされた。

 しゃにむに高音で掻き鳴らされるシンセ。オープニング曲は、番号――メンバーの呼び出しコールがイントロに入る新曲〈降神曲・一番〉。イントロが始まると、それだけで、体内のボルテージは否応なしに高まった。鼓動が激しく脈を打つ。

ワン!」

 自分の声がスピーカーから聴こえてくるのは、正直、とても気恥ずかしい。

 いや、そんなこと思ってる場合じゃない。応援だ。OPSのために僕ができるのは、それだけ。全推しで、応援。

 僕は、ひたすらサイリウムを振る。芸もなく、シンプルに。真摯に。

 オケに予め吹き込まれているコールに被せて声援を送るのは、今は、僕一人。

 だけど、ここがもし地球だったら、人類が滅亡していない別の宇宙だったら、と想像してみる。

 すると、オケのコールに、はるかに大音量の歓声――「ワン!」が重なり、それをかき消した。

 コールから半拍遅れで、舞台袖から控えめな小股の駆け足で現れたのは、木星カラーリングのボールを左腕に抱え持った、パステルイエローのシルエット。ステージライトが追いかけるサマードレス姿の後ろからは、ボールと同じ色のふさふさした尻尾が、ステップと同期し、揺れている。

 せっちんだ!

 せっちんは、ステージ中央まで来ると、左脚を引いて腰を落とし、観客席へとうやうやしくこうべを垂れてから、定位置へ向かう。

ツー!」

 また、コールに合わせて人影が現れた。今度は半拍遅れではなく、若干食い気味、フライング気味だ。人影は、右、左、前面の三方からのライトに照らされ、その姿を顕にした。空と海の色のパレオ姿の上には、セピア色の、全面に世界地図が描かれた奇妙なマントを羽織っている。そのマントから右手をはみ出すと、観客席に向かい、はちきれんばかりの笑顔で手を振った。

 チーズ!

 チーズはやっぱりチーズ走りで、ステージ左寄りの定位置へと進んでいく。

スリー!」

 コールとともに、一際大きな歓声が上がる。歓声で、場内が縦揺れに見舞われる。

 三人目、ライトを集め、浮かび上がったのは、甲冑。いや、ドレス。どちらともつかない和洋折衷、紺と、モルフォ蝶の羽の色――鮮やかな濃青色の、まだらの衣装。左の頭部と右肩に、サイズの違う頭蓋骨。眼底の青い鬼火を含めた四つの目が、ライトを妖しくはね返す。

 スイ!

 中学生とは思えない落ち着いた足取りで、スイはいったんステージの中央から外れ、後続のメンバーのためにスペースを空けた。

フォー!」

 滑り出てきたのは、ローラースケート靴を履いた、黄金のシルエット。

 金を基調としたきらびやかな衣装に負けていない、華やかさと精悍さの共存した顔立ち。その目を細めて、客席を堂々と見渡しながら、四人目のメンバーはステージ中央へと滑り出る。

 結んだ両手の手首をぐるぐる回し、腰をひねってウォーミングアップしながら進むその姿からは、緊張の色は全くと言っていいほど感じられず、むしろこの緊張感を楽しんでやろうという気概すら感じられた。

 コロン!

ファイブ!」

 もう、次に誰が出てくるのかは分かる。分かるけど、ステージ上から目を逸らせない。僕の視線は惹きつけられたままだ。

 すでにダンスモードに入っている優雅な足どりで、白銀の、裾をスーパーミニにカットしたウェディングドレス姿のシルエットが現れた。バトンを左手に持ち、畳んだリボンは右脇に挟んで。左手のバトンは、一個の生命体のように、早くもいきり立って、くるくると回転を始めている。

 鉄子さん!

 鉄子さんも脇に引き、そうして、中央寄りに少し位置を戻したスイの右隣に、最後の一人分のスペースが残された。

シックス!」

 今までの誰よりも落ち着いた足どりで現れたのは、古代ローマ風の貫頭衣を裂いて左胸の心臓部に四角い機械を埋め込み、そちら側からだけ、大型のコウモリのような羽が伸び、シカのような角も生やしている、そんな人影。

 こんな格好をしているのは、宇宙に一人しかいない。――僕がさせてしまったんだった。

 キティラー!

 宇宙の隅の番外地。そこに、ユートピアがあった。

 ライブに挑むOPSのメンバーは、みんないい顔をしていた。

 コロンは、不敵な笑み。

 鉄子さんも、置かれている状況は深刻なのに、そのあまりの深刻さに開き直ってしまったのか、健気に笑みを浮かべている。まだ痛みも残っているはずなのに、表情は至って穏やかだ。

 スイは、意気込んでいるのが伝わってくる。ちょっと上目遣いの目が、いつにも増して攻撃的。

 キティラーは、スイとは対照的に、落ち着いた、というか達観した笑み。このライブ、成功するも、失敗に終わるも、なるようにしかならないと受け入れているのだろう。

 せっちんは、みんなと同じ笑顔をつくろうとはしているものの、やっぱり緊張の色は隠せていない。しょうがない。陰キャの仕様だ。それでも、前回、一回目のライブに比べたら……いや、同じくらい固いか。

 チーズの表情は、……読みきれない。薄く開いた口許は、遠慮なく楽しもうとしているようでもあり、客席を見据える目許は、何かやらかしてやろうと企んでいるようでもあり……。


 今回のライブで良かったことといえば、もうこれに尽きる。

 ツインボーカルの実現。

 前回、ファーストライブでは、スイの喉の負傷によって叶わなかったパートの配置だ。

 スイはソロのメインボーカルのように、横のメンバーを気にせず、ストレートに、魂を込めて歌い上げる。唯我独尊。己が道を行く。

 それにしても。

 気持ちは分かるけど、と僕は不安になる。

 スイは飛ばしすぎだ。本人とすれば、前回の鬱憤が溜まっているから、力みがあるには違いないけど。……このままいくと、音域がずれてしまうぞ。いや、息切れして声が途切れるほうが先か。そんなことになったら、ライブ全体に悪影響が出ることに……。脳裏に、失敗の影がちらついてきた。

 その時。キティラーは何気なく、歌いながら――。

 スイの肩に手を載せた。

 あたかも決まっていた振り付けのような自然な動作だったけど、ほんとのところはアドリブだった。いさめてくれたのだ、向こう見ずなJCを。

 そういうのも、グループ内でキティラーに任された役どころだった。いろいろやらされている、この人は。

 スイはキティラーの一挙で我に返ったようで、ボーカルパートは壊れる寸前で立ち直った。

 熱と勢いはそのままに、曲は、ライブは続いていく。

 メインボーカルの二人の歌い方は、じつに対照的。

 スイのストレートに感情をぶつける歌い方に、キティラーは技巧で立ち向かう。その名の通り機械的に、淡々と声を紡ぐ。拍をテクニカルにずらしては戻り、戻ってはまたずらし、音程も高低自在に操り、メインボーカルを仕上げていく。

 二人は競っていた。同じグループだからといって、慣れ合ってはいない。歌の時まで合戦をしていた。

 その緊張感溢れるしのぎ合い、声を使った鍔迫り合いが、独特の二層の波を形づくって、ステージにうねりを発生させていく。

 いっぽうのダンスパートに目を向けると――。

 鉄子さんが、地面から二、三十センチのふくらはぎの高さに、リボンを蛇行して這わせた。

 そこに、移動してきたメンバーそれぞれが、縄跳びをする要領で、ムーブをしながらリボンを跳び越えていく。

 せっちんが、掌のスナップを利かせ、ボールを軽くホイップ。ジャンプして、着地直後に背中に回した手で難なく背面キャッチすれば。

 チーズは、羽織ったままの地図のマントを体に巻き付けながら、回転ジャンプ。

 そして、ジャンプのトリと言えば、もうこの人しかいない。コロンビアの黄金スペースシャトル。コロンは、チーズと回転数が異なる、二回転ジャンプ。今は右足で跳んでいるので、怪我の影響はなさそうだった。

 三者三様の、無回転、一回転、二回転の三連続回転ジャンプ。

 ――ステージ上のダンスパフォーマンスは、それで終わりではなかった。まだ、続きがあった。

 跳び終えた三人の周囲を、鉄子さんが円を描いて回り、包み込む。

 胸の高さのリボンが、まとめて一度に、ラッピングするように、三人を包み込んだ。

 鉄子さんは、ステージ上に、ハンドメイドでリングを描いてみせたのだった。

 二種類の手具しゅぐ、バトンとリボンは、マイクスタンドではなく、定位置から外れたアンプに立て掛けるようにしたので、シャフト、スティックが床に倒れることはなくなった。それにより、リボンがコロンの進路を妨害する心配も消えた。

 鉄子さんは、手具を置いたたそのムーブを途切れさせることなく、流れる手つきで、もう一方の手具に持ち替えていた。二つの手具を、怪我していない左手一本で扱えていた。

 でも。どうしても。

 僕の視線は、鉄子さんの右手のほうへ行ってしまう。

 掌の部分を中心に赤黒く染まったシルクの長手袋は、滑り止め用の石灰で漂白し、なんとかごまかしてはいたけど、やっぱり動きがぎこちなくなってしまうのは仕方のないところだった。

 なんとか持ちこたえてほしい。

 そう願うばかりだった。


 この曲の最後のパートは、EDM式のドロップではなかった。

 ボーカルが途切れ、スイが斜め前に、一歩、二歩と進み出て、片膝をついた。舞台前面から戻ってきたせっちんが、コロンが、それぞれ左右に寄り添う。その奥に、またそれぞれ、左側からチーズが、右側からは鉄子さんが、前にいるメンバーの肩に手を置き――。

 そして、ぴたりと静止した。

 一枚一枚形の違う、不揃いな花びら。そんな舞い散った花びらが、時間が逆回転するように集った。

 そこで、ステージ上部のサスペンションライト一本を残し、他の照明が全て落とされた。

 中央のたった一人が、ステージに浮かび上がる。

 メンバーたちの中心に、雌しべのごとくそそり立つのは、最後の一小節で締めを務める、メインボーカルの一角、キティラー。

 曲はいよいよ大詰め。大団円。

 最後に切なく響き渡ったのは、蜜の香りのスモークボイス。

 歌声の煙が、観客席全体へと広がり薄れるいとまもあればこそ。

 そこで――。

 曲の終わりとともに、頭上にかざしたまま握りしめていたサイリウムの光も儚く消えた。

 同等の材料を調達できなかったからなのか、僕がマテリアリゼーションしたサイリウムは、発光時間が地球のそれよりもだいぶ短い。この一本も、三分ほどしかもたなかった。

 無情にも、宇宙は、再び見渡す限りの闇に閉ざされた。

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