第五章 黄泉の国 三

「スイ!」

 言葉は喋れるようになったけど、足は、体はまだ動かせない。

 OPSのメンバーみんなの後を追うように、スイは、死地への旅を始めていた。

 僕の声に気づいたスイが、こっちを見た。

「私にも、この時が来た」

 スイが、確信に満ちた声を上げた。

 そして、遠くを眺めるように目を細める。水晶の瞳が、その表面積を狭め、しかし輝度は増している。

 スイの視界には、今、何が映っているのか。

 どんな光景が、スイの網膜に広がっているのか。

 遠く、遠くへと意識を飛ばしているように見えた。

 銀河系の果てを超え、全宇宙の果てへとその視線を飛ばしているようにすら感じた。

 そんなことができるとすれば、人間の領域を超えている。

 千里眼を遥かに超えた、那由他なゆた眼だ。

 最後の土星人サタンを引きずり、スイは、黄泉の国イエローホールへと、また一歩、後ずさる。

「私が望むのは、土星人サタンのいない宇宙」

 頭上高くを見上げ、高らかにそう宣言した。

 土星人サタンを羽交い絞めにしたまま、スイは、左手で左頭部、右手で右肩の、二つの片割れの水晶髑髏を外した。

 そして――。

 手に持ったそれらの鼻筋同士を、抱えている土星人サタン越しに、繋ぎ合わせた。

 何のつもりだ? 何の儀式だ?

 リハーサル期間中、センターライトのポールに登った時しかり。

 スイは、たまに、こういう意味の分からないおまじないをする。

 でも、なにもこんな切羽詰まった時にまで、と思っていると――。

 結合部分が一瞬、発光した。それに合わせ、水晶がきらめく。

 サイズの全然違う左右の髑髏は、なぜかぴったり合わさった。

 いつの間にか、掌に載る、古代に作られた本物の水晶髑髏があったとすればこれくらいのサイズだったろう、という小ぢんまりした一個の水晶の髑髏になっていた。

 もはや、疑いようもなかった。

 スイは、この期に及んで、ついに、本能的に、自分に備わった特殊スキルに気づき、そして発動したのだ。

 しかし――。

 『人類が救われる』――救われていない。土星人サタンは変わらず蠢いている。

 『世界が滅びる』――滅びていない。宇宙は依然、存続している。

 何も起こっていない。

 僕は、スイのとった行動の意味が分からなかった。スイの特殊スキルの効果を理解できないでいた。

 どういうことだ?

 いや、それより今は――。

 一歩。また一歩。スイは、捕まえた土星人サタンと共に、後退し続けている。

「それ以上下がるな! もう後ろは……」

 スイは、僕の言うことを聞いてはくれなかった。

「全てを君一人に押しつけてしまうのは悪いと思うけど。重すぎると思うけど。

 背負ってくれる? この宇宙に人類がいた証を」

 この期に及んで、スイはいったい何を言いたいんだ?

「君がいる限り、この宇宙の人類は滅亡していない。

 縁があれば、またどこかで。もう一人の私と。私たちと。

 いつか、きっと」

 最後の一歩は、黄泉の国イエローホールの入り口――奈落を踏みしめられず、沈んでいった。

 土星人サタンともつれながら黄色い砂嵐の中に消えていくスイの顔は、やけにすっきりしていた。これから死にゆく者の顔には思えなかった。

「スイ!」

 もう一度、名前を呼んだ。叫んだ。無駄だった。

 次の瞬間には、スイはもう、僕の視界から完全に、髪の毛一本残さずに、消え去っていた。

 それっきりだった。

 全てが終わった。

 黄泉の国イエローホールの三角形をした枠内に見えるのは、黄色い砂嵐。ただそれだけ。

 そのまま、二度と、スイが僕の前に舞い戻ることは、この宇宙に再び姿を現すことは、ついになかった――。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:水晶髑髏

 命日:西暦二〇六一年三月六日 〇時〇分

 享年:十五歳没

 戒名:なし


      *


 土星人サタンを飲み込むという役目を終えた黄泉の国イエローホールは、直後、力尽きたように内部の砂嵐を消し去った。黄色い砂嵐は一粒もなくなり、水晶のような光沢を持つ、単なる三角錐の枠組になっていた。透明な化石だ。もう、生きているようには見えなかった。

 その手前には、同じ素材に見える、水晶の、本物の、スイの遺品の水晶髑髏が一個、僕のほうを向いて転がっていた――。


 土星人サタンは全滅し、人類は生き残った。

 僕たちは、勝った。

 勝敗だけで言えば、間違いなく勝ったんだ。

 なのに……。

 張り裂けそうな虚しさで心中が覆われた。虚無感で気が狂いそうだ。

 僕だけが、宇宙空間にぽつんと一人、神々の遺骸の元でたたずんでいる。

 空気はある。

 エネルギー――ガソリンもまだある。

 ……何もやることがない。

 やることがなくても、僕は、生き続ける。宇宙空間に果てしなく広がる灰色の大地の上で。

 ひたすら無為に、意味もなく、ただただたゆたい続ける。

 ガソリンが尽きるのはいつか。

 因子持ちたちは、寿命が尽きない、もう死なない体になっているとすると、なんて、悪いほうへ、悪いほうへといろいろ想像を膨らませてしまう。

 そして、もし仮に、マイクロアースと同じ量、この神々の死骸にもガソリンが埋蔵されていて、それを自動でリモートチャージしてしまうとしたら。博士ドクターが言うには、あっちには、七人で三百年分だっけ、あったらしいから……。

 下手すると、あと二千年はもつ。二千年以上、一人で孤独に生き続けないといけない羽目になる。

 そんな年月、いくらぼっちの自分でも、耐えられるわけがない。

 いつまで正気を保てるのか、予測もつかない。

 宇宙にたった一個の生命体となった僕は、だから、圧倒的に、完全に、どうしようもなく孤独だった。この結果は、もう取り返しがつかなかった。永遠の孤独。絶望。絶対に逃れようのない底なし沼。無限地獄。生き地獄。

 水晶髑髏の相反する二つの預言は、片方だけ当たっていた。

 『人類が救われる』。

 僕一人が生き残った――人類は救われたけど、その後に待っていたのは、永遠の孤独だった。

 この宇宙。これからずっと、一人きり。一人ぼっち……。

 やりがいのなさ、生きがいのなさに打ち震える。

 途方に暮れる。

 真の闇夜。

 広大な宇宙の中、たった一人、取り残されたなんて。

 なんで、なんでこんなことに……。

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