第五章 黄泉の国 二

 おいおい。ここへきて。こんな時に限って……。

 また僕は、ナルコレプシーみたいな症状を来してしまった。

 僕の体は、もう欠陥品に成り下がっているらしい。

 動悸、息切れとともに、感覚が薄れていく。

 命令しても、体が言うことを聞かない。一歩も足を動かせない。

 チーズと二人で来た時も、少し症状は出た。

 気持ちの昂ぶった時に、特に起こりやすいのかもしれなかった。

 あるいは、第三の神の体の上は、僕にとって、よっぽど相性の悪い場所ということなのか。

 キティラーの口を媒介に、小学生じみた舌っ足らずな声で、四体目から六体目の三体の神が、声を揃えて語っている。近くにいるはずなのに、声は、遠くから囁いている程度にしか聴こえない。聴覚も、鈍麻し薄れてしまった。

「黄泉の国は、異星人を、思念体を吸い込む仕様にしたのです。相手を全て吸い込んだ後、封印する予定だったのですが……。

 異星人が先回りして、完成した実体化のテクノロジーを実行に移したのです」

「今まで、肉体なんて持たずにきたのでしょう。なんで、よりによってこのタイミングで?」

 誰かが訊いた。

「あなた方が今いるこの大地、端のほうは物質の最小単位まで叩かれ、引き伸ばされた神。この神の解剖実験データを基にして、ついに、思念体から肉体を得て実体化するメカニズムを確立したのでしょう」

 神の言葉を伝え聞き、一同は呆然としている。

「対策は、根本から覆ってしまったのです。

 このままでは、私たちの体は、対異星人には意味を成しません。

 そこで、思念体以外の実体も吸い込めるよう、仕様を変更しました」

 いったん言いにくそうに言葉を切ってから、神々が続ける。

「あなた方に、お願いがあります」

 まさか。

「人力で、実体化した異星人、その全てを、私たちの体内――異空間へ突き落としてくださいませんか」

 手動で放り込むしか方法がなくなったっていうのか。

 そうしなければ、僕たちは全滅。人類は滅亡する。

 実質的には、命令だ。

 でも、同時にそれは、入ったら最後、二度と出られない闇に、人間も吸い込まれる危険があるということ。

「そんな……」

 誰かが絶句した。傍らでは別の誰かがパニクっている。

「戦うの? 私たちが? 素手で? あの化け物たち――土星人サタンと……」

 土星人サタンの群れは、間近に迫ってきつつある。

 全ての土星人サタンを、あの穴へ投げ込む。

 達成できなければ、……人類は滅亡する!


 僕がこうなっているのは、みんなにはもう伝わっているみたいだった。

「せめて、事前に、何か武器をマテリアリゼーションしてもらっていれば……」

「今さらそんなこと言ったって始まらないわ。まさか実体化するなんて、誰も予測つかなかったてしょ」

 誰かが、疑問を口にした。

「なぜ、こんなに少ないんですか?

 土星人サタンの数は、数千万とか、数億とか、実体化してもやっぱり無数とかになる、と思ったんですけど。たった六体しかいないって、どういうことです?」

 別の誰かも、重ねて訊く。

「実体化していない土星人サタンが残っている可能性は?」

 キティラーの口を借りて、神々が答える。

「ありません。

 異星人は、感情を六種類しか持っていません。

 そして、実体化の際には、一つの感情で一つの塊、つまり人間でいう一人になっています。それ以上分裂はできないようです。

 したがって、異星人は、今いる六体で全てです」

「まだ疑問はあります」

 誰かが訊いた。

「なぜ、電気信号を使った攻撃をしてこないのですか? 目の前にいるんだから、狙い撃ちすれば、それで事は終わる。結着がつくじゃないですか」

「これは断言できないのですが、実体化したことで、精神的な攻撃は使用できなくなったのでしょう」

 話をしている間にも、複数いる化け物は、ずらりと並んでこちらへにじり寄ってきている。

 もうこれ以上、説明を聞いている時間はなかった。

「隙を見つけて、黄泉の国イエローホールへ突き落とす。

 私たちにできるのは、それしかない」

 動けない。喋れない。音がよく聴こえない。地面に接しているはずの、足裏の感覚がない。

 僕は、みんなの挙動を、すっかり薄まってしまった感覚で、ただ黙って見ているしかなかった。

 襲われ、逃げ惑う因子持ちアイドルたち。

 第三の神の死骸の上で、悲鳴がこだまする。

 果敢に、土星人サタン黄泉の国イエローホールへ突き落とそうとする因子持ちアイドルもいるけど、うまくいかない。

 フェイントにも、簡単には引っかかってくれない。

 そして、ついに、誰かが投げ落とされた。

 土星人サタンでない、人間の誰か。

 見覚えのある、特徴的なシルエット。

 誰かの身体は、黄泉の国イエローホールの表面、三角形の入り口に達すると、そこからは、磁力で吸い込まれるようにして、次の瞬間には、呆気なく消えてしまった。入れば最後、絶対出られない一方通行の冥府。閉ざされた闇世界へと。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:コロンビアの黄金スペースシャトル

 命日:地球時間、西暦二〇六一年三月五日 二十三時四十六分

 享年:十九歳没

 戒名:なし


      *


 薄い意識の中、僕は考えてしまう。

 生きることの意味。

 生きているという実感が、肉体を持っていなかった、以前の土星人サタンに、果たしてあったのだろうか。

 心を締めつけられる、魂が打ち震える、そんな感情の昂ぶりを、血流も伴わず、肉体も持たずに、感じることはできていたのか。

 肉体を得るまでの土星人サタンは、生きていたのか?

 ある仮説を立てれば、思念体を吸い込む黄泉の国イエローホールが出現する以前から、三体目の神の体を使って実験していた理由も見えてくる。

 土星人サタンは、生身の体が欲しかった。

 場合によっては、全宇宙の支配権なんかよりも。

 自分自身も、身体の感覚がほとんどなくなって、気づけた。

 人間とは何か。

 人間が人間であるためには、何が必要なのか。

 この段になって、ようやく僕は、それを、知覚、理解できた。

 生――ライブだ。

 人間に不可欠なのは、生きていると実感できる、見る体験。聴く体験。……五感。生の体験。ライブ感。

 土星人サタンには、それを持たない寂しさ、虚しさがずっと付きまとっていたのではないか。


 三人がかりで、一体の土星人サタンを突き落とし、一矢報いた因子持ちアイドルたちだったけど、逆に、黄泉の国イエローホール近くの一角では、人間一人対土星人サタン四体という図式になっていた。

 勝てるわけがない。

 全方位から囲まれ、逃げ場を失った誰かは、もはや成す術なく。

 軽々と黄泉の国イエローホールへ放り込まれた。

 誰かの小さな体、その全身は、いとも容易く飲み込まれていった。

 消え去った。

 あとには何も残らない。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:コスタリカの石球

 命日:西暦二〇六一年三月五日 二十三時五十分

 享年:十三歳没

 戒名:なし


      *


 さらに、立て続けにまた一人……

 細身の誰かの身体も、黄泉の国イエローホールへと、捨てるように投げ込まれた。

 もう二度と戻っては来られない場所へと、存在ごと消し去られてしまった。

 連続で消滅させられていく因子持ちアイドルたち。

 状況は、刻一刻と悪化していった。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:アンティキティラ島の機械

 命日:西暦二〇六一年三月五日 二十三時五十一分

 享年:二十一歳没

 戒名:なし


      *


 悪い流れに歯止めをかけた因子持ちアイドルがいた。

 なんと、その誰かは、三体まとめて自決……いや、そんな言い方はしたくない。

 けど、結果としては、そういう最期に……なってしまった。

 遺言となった最期の言葉は――。

「行き先は、黄泉の国イエローホールの上空二メートル」

 何をやろうとしているのか、理解するのに数秒を要した。僕がようやくその意図を察した時、すでに、三体の土星人サタンごと自分の体もマントで包んだ誰かは、黄泉の国イエローホールへと落ちた後だった。帰らぬ人となっていた。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:ピリ・レイスの地図

 命日:西暦二〇六一年三月五日 二十三時五十三分

 享年:十四歳没

 戒名:なし


      *


 因子持ちアイドルの残り二人のうちの一人は、一体の土星人サタンと共倒れになり、黄泉の国イエローホールの奥へと消えていった。最後に、右手の掌を広げ、倒れていたもう一人に向けて、見えない何かを発しながら。


      *


 宇宙空間に建てられた、誰も目にすることのない墓標(建立者:黄泉の国イエローホール

 通用名:デリーの鉄柱

 命日:西暦二〇六一年三月五日 二十三時五十七分

 享年:二十歳没

 戒名:なし


      *


 そこで、おぼろげだった僕の意識は、やっと回復してきた。

 もう、スイ一人を残し、他のみんなの姿はなくなってしまっていた。

 そのスイは、こちらも最後の一体になった土星人サタンを背後から羽交い絞めにし、黄泉の国イエローホールへ向け、じりじりと後ずさりしているところだった。

 絡めた腕を離せば、逃げられてしまう。千載一偶のチャンスを逃してしまう。だから、土星人サタンもろとも、奈落に落ちる気なのだ。

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