第五章 黄泉の国

第五章 黄泉の国 一

 マイクロアースのライブ会場一帯は、激しい振動に襲われていた。周辺だけではないのかもしれない。星全体が揺れているのかもしれなかった。

 それは、いつかスイが例えた、神のストンピングに思えた。神は、OPSのライブを観覧し、拍手喝采してくれたのだ。

 誰もがライブの成功の余韻に浸っていた。

 もう、自分たちはお役御免だ。あとは、脚を投げ出して尻餅ついて座っていれば、復活した神が、そのうち土星人サタンをどうにかしてくれる。無力化なり、誕生の記録の抹消なり……。

 だから、キティラーの元に突然届けられた、神からの何度目かのメッセージに、僕らはみんな、浮き足立ち、総毛立ち、あたふたと騒ぎ出す羽目になってしまった――。

「どうしたの、キティラー」

 コロンが、ステージ上で倒れ込んだキティラーに駆け寄った。

 ライブの疲れから目眩でも起こしたのか、さもなければ、今の振動に酔ってしまったのか、そのどちらかと思ったけど。

「あ……、あ……」

 キティラーの口を突いて出てきたのは、例の、僕らは一度耳にしたことのある、高校生くらいに思える女性の声。

 神だ。三体目の神からのメッセージだ。

「ただ今、そちらの神の死骸が、異星人に発見されました。

 三十七秒以内に爆発、破壊される確率は、百.〇〇パーセント。

 総員、直ちに退避」

「ど、どういうこと? ここはまだステルスの有効期限内だったはず」

 取り乱す鉄子さんに、スイが、早口で推測をまくしたてる。

土星人サタンが、覚醒でもしたのではないでしょうか。

 もう、以前の土星人サタンとは別の何かに。エックスパーツがマイクロアースになったみたいに、トランスフォームしたのかもしれません」

「姿がないのに、トランスフォーム?」

 聞いて、鉄子さんは、よけい取り乱してしまった。

「この上まだ、能力が増したって言うんですか……」

 愕然とするせっちん。

 メンバーの間に動揺が走る。

「繰り返します。

 総員、直ちに退避」

「そんなこと急に言われても……。

 だいたい、ここ以外のどこに逃げ場所が?」

 コロンが困惑して、上空を見渡した。もちろん、ここから見えるのは、暗い、小さな星だけだ。

 神は――キティラーは、顔を伏せたまま答えない。答えてくれない。

「一か所だけ、候補地があります!」

 チーズが僕のほうを見た。

 うなずかされた。二人で行った、見た場所。

「うん。こうなったらもう、第三の神の元へ行くしかない」

「でも……」

 せっちんは、怯えの色を隠せない。

「そこには、土星人サタンがいるんですよね」

 チーズが、そんなせっちんの肩をマントごと左腕で抱いて、震えを止める。

「空気とか重力が人間に適してる場所は、私たちの知ってる限り、他にないんだよ」

「今……」

 キティラーが、また何か言おうとしていた。素の声に戻っている。抑揚のない機械的な声。ややこしいけど、今は、心臓部のアンティキティラ島の機械が、キティラーの口を通して観測結果を通知しているんだ。

 皆は、すぐに黙って、聞き耳を立てる。

「神は死にました」

 機械の声は、音声ガイダンス的な口調で淡々と、重い事実を僕たちに告げた。

「なんですって!」

 コロンが喚声を発した。

「嘘でしょ……」

 鉄子さんが、固まってしまった。

 そんな中、チーズの行動は早かった。

「時間がありません。

 みんな早く! 私の元に集まって!」

 チーズが、因子持ちたちを救える特殊スキルを持った者の責任感からか、しゃにむに号令をかける。

「このマイクロアースだってそうだったんですから、たとえ向こうの神が死んでいても、生命維持はできるはず」

 議論している時間はもうない。差し迫った状況の今は、チーズの言葉にすがるしかなかった。

 皆は、神の木脇のチーズがいる一角に、詰めかけ、寄り添う。

「揃いましたか?」

 人が密集したせいで首も回らないチーズが、その中心から訊く。

「スイ、はみ出てるわよ。もっと中に」

 コロンが、右肩の髑髏ごとスイを抱き寄せて。

 そして、準備は整った。

 チーズは、予め肩から外して手に持っていたマントを、ピリ・レイスの地図の柄を下に、裏返しにして、頭上高くへ、風切り音をたてて振り上げる。

「みんなを連れて行きます」

 テレポーテーション――瞬間移動の特殊スキル。

 アイドルたちの中には戸惑う人もいたみたいだけど、僕は何度か経験済み。

 そう、この感覚。

 出発地点から、消えていなくなる感じ。

「土星域。第三の神の元へ」

 チーズが頭上に舞わせたマントが目の位置に落ちてくるのと、視界が透明になるのとが同時だった。


      *


「ここが、地図たちの言ってた黄金郷?」

 人間が密集してできた団子から外れたキティラーは、O-Gオーグラスのフレームを直し、遠くを眺めた。

 視界が透明になった次の瞬間には、僕たちは全員無事に、指定した行き先と思われる……指定したはずの場所に、着いていた。

 たしかに、ここのはずだった。

 でも、望める景色は様変わりしている。

 あったのは、一面の……一面の、焼け野原。

 黄金郷は、一夜にして滅んでいた。

 今、踏み締めている地面の色は、黄金などではなく、全く覇気の感じられないくすんだ灰色だった。色の濃さに統一感はなく、まだら模様に、ある所は黒ずみ、ある所は白っぽく煤けている。

 平坦な地面は、極端に薄い。足の下に、星が瞬いているのが透けて見える。そこだけが、以前の、第三の神の面影を残している点だった。

 キティラーが前もって伝えていた通り……。

 神は死んでいた。

 黄金郷は、静かだった。静かすぎる。

 頭の中に、大きな疑問がもたげてくる。

 危惧が、現実のものになっていない。

「不可解に思えることがあるんですけど。

 なぜ、僕たちは無事でいられるんでしょう?」

 僕の言葉に、目が合ったスイがうなずいた。

「私たちが現れたのに、反応がない。絶対気づいてるはずなのに」

 そう。土星人サタンの攻撃がないのは、猛烈に不気味だった。

「見て!」

 鉄子さんが、怪我していないほうの人差し指を、頭上に突き上げた。シルクの長手袋が、暗い星空とコントラストを成す白い筋を形作った。

 全員の視線が、指された先へと向かう。

「何、あれ?」

 チーズが呆然と漏らした。

 長大な棒状の物体が、三本、上空に浮かんでいる。

 それは、星明りを反射して輝いていた。透明で、光沢がある。金属……いや、ガラスとか水晶に近い質感の物体だった。

 遥か上空に浮いているから、大きさ、長さははっきりしなかった。

 全長数十メートル規模なのか、あるいは、数キロほどもあるかもしれなかった。

 三本とも、長さや形状は均一だった。全部真っ直ぐで、たゆみのあるものはない。

「う、動いてませんか?」

 チーズの問いかけに、誰かが同意するより早く、左耳の上の角――アンテナを押さえて、ちょっと顔をしかめたキティラーが、アナウンサー口調で告げる。

「神の数に変更が見られました」

「えっ!」

「ええっ!」

 ほうぼうから叫び声がした。

「増加しましたのは、三体になります」

 コロンが、

「ひょっとして、今、私たちが見ているあれが……」

 鉄子さんが、

「三体……。三体の神が同時に生まれたって言うの?」

 揃って驚きの声を上げる。

 決して多くはない星の光が、線状になっている機械的な神の姿を照らしていた。

 古今、人間の空想によって創り出された神の姿で、一番多いのは、やっぱり人間と同じ姿なのではないか。次に多いのは、何かの動物になるはず。少数派として、無機物もあるだろう。けど、この神の姿は、一本の直線だった。

 どんな宗教画にも、ただの線として描かれている神なんて、いないと思う。

 僕たちの頭上に現れた、四体目から六体目の神は、実物の、本物の神は、そんな味気ない風貌をしていた。

 スイが、空を見上げたまま、誰にともなく訊く。

「第三の神が、今わの際に産み落としたのでしょうか?」

「神に、人間の常識を当てはめちゃいけないんだって」

 まだこめかみを押さえたままのキティラーが答えた。

「死の間際に、神は四体に分裂したんだと思う」

 聞いて、スイは、灰色の地面へと視線を落とした。

「一体は、そのまま殺されたけど、他の三体は、生き延びて、形を変えて、あそこにいるってことですか?」

「数の上では辻褄が合うでしょ」

「そうですけど……」

 スイはまだ、受け入れられないでいる。

 何を隠そう、僕も同感だった。

 神が、単細胞生物と同様に、分裂して増えたなんて。

 巨大建造物。

 いや。浮いているから、人工衛星。宇宙船。

 どの表現もしっくりこない。

 考えているうちに、空中で静止していた三本のそれが、蠕動を始めた。

 グロテスクに、そして艶かしく、くねくねとうねり始めたのだ。

「おおっ!」

 僕は、思わず感嘆の声を漏らしてしまった。みんなも、目を見張っている。

 神々のうねりは、宇宙の星空をステージにして僕らに観せているダンスのようでもあった。

 透明なガラスみたいな素材――肉体の、見たことのない生物。想像したこともなかった神の姿。一本の棒だと思っていたそれは、神は、ねじれながら、ほどけていく。

 神は、いったん、空中で動きを停止した。

 浮かんでいるのは、二本の二重螺旋から成る、金属質の紐。

 それが、第四、第五、第六の神の、新たな姿だった。

 縦長に渦を巻いた螺旋は、紐は、完全にほどけると、動作を再開した。

 六本の、それぞれ違った方角を向いた二重螺旋の紐は、ねじれを解きながら、真っすぐに伸びていく。

 変形を終えた頃には、以前と同じ、真っ直ぐの棒の形に戻っていた。数だけが倍に増えていた。

 第四、第五、第六の神は、また分裂したのか。身体は離れているけと、あれで、ガラスの棒一対で一体という数え方をすべきなのか。生身の人間の感性では理解不能だった。

 棒状に身体を伸ばした一本の神は、他者――同時に生まれたきょうだいと、口と尻をドッキングさせる。さらに、口と尻をドッキングさせた部分に、もう一体の神が口を重ね合わせ、その神の尻に、同一神なのか、別の神なのかが、また二方向から口とも尻とも見分けのつかない棒の先を重ねてくる。

 短時間のうちに、その動作も止まった。

 動きが完全に停止した時、できあがっていたのは、長さの等しい六本の透明な棒を辺に形成した、正三角錐の骨格だった。

 ただの変形、変身ではなかった。三神合体。もしくは、六神合体か。

 神々の一大トランスフォームは、ようやく終わったのか。それともダンスはまだ続くのか……。

「あっ、落ちてきます!」

 初めに気づいたのはスイだった。

 内部に重力が発生したのか、自ら浮力を断ち切ったのか、理由なんて分からない。三角錐は、僕らから少し離れた所目がけ、落下してくる。

 チーズはスイと手を取り合い、せっちんは、思わず、隠れるように、横にいた鉄子さんの背中の後ろ側に回ってしまった。

 すごい揺れがくる――と重心を下げて身構えたけど。

「あれ?」

 衝突の瞬間、ほとんど振動は感じなかった。神の身体は、数体分でも、質量がほとんどないのか。

 目を逸らしてしまった次の瞬間にはもう、四体目以降は、三体目と隙間なく癒着していた。再び結合を果たしていた。死体と混ざってしまった。また一体になったと考えていいのだろうか。すると、この神は、生きているのか、死んでいるのか。半分だけ生きているのか。

 ものの数え方が分からない。生死の境目がぼやけて見えない。

 頭は混乱するばかりだった。

 いずれにせよ、神々は、ようやく移動を終えたようだった。

 また、地上に落ちたことで、初めて眼前の三角錐の大きさがつまびらかになった。一辺二、三十メートルの三角錐。それが、新たな神の大きさだった。僕らとの間には、一辺と同じくらいの距離がある。

「ピラミッド……」

 スイがつぶやいた。言い得て妙だった。

 透明な水晶の枠でできたピラミッドの遺骨。今、目の前に鎮座したのは、まさにそんな形の物体にしか見えない神だった。

 動作は停止した神だったけど、直線の骨格で囲った中の空間には、まだ変化があった。内部の色が変わっていく。

 チーズが叫ぶ。

「砂嵐……。中で、砂嵐が起こってますよ!」

 こちらまでは砂粒が飛散してこないけど、枠で囲まれた内部は、黄色く濁っている。絶えず、砂嵐が吹きすさんでいる。

「穴になってる。中は、別の空間なんだ」

 鉄子さんが言った言葉に、スイが反応した。

「第一の神――リングのオーパーツと同じなんじゃないですか」

 スイの言葉につられて、コロンも口を開く。

「リングのオーパーツは、中が別の宇宙空間に繋がっていたから、これも……」

 今、現れた三角形の穴の内部は、瑠璃色ではなく、宇宙空間の濃紺でもなく、黄色い砂嵐だったけど。

「ええ。色は違いますけど、仕組みは同じに思えます。同族ですし」

 その時。

「うっ」

 キティラーがこめかみを押さえた。また何か受信したようだ。

「人類の存続のため……。

 人類の存続のため……。

 人類の存続のため……」

 痙攣しているように、勝手に唇が動いている。人間の動かし方ではなかった。一つの声帯で、三者同時に喋っている。

 声色からして、キティラーのものとは違った。第三の神ともまた異なる、相当若い女性の声。人間にすると、JS――小学生くらいに、それは聴こえた。

 ぶれて三重になっていた舌っ足らずの声は、徐々に一つに重なりながら語り続ける。

「私たちが、私たちが、私たちが、――地球の復元などの対策を講じる前にまずしなければならないのは、異星人の消去。そのために体内に創り出したのが、ブラックホール、あるいはホワイトホール。一度中に入れば、二度と出ては来られない、黄泉の国。

 三角形の中に黄色く見えているのは、その入り口です」

「イエローホールってわけですか」

 スイが、こんな時にまたうまいことを言った。

「私は、思念体を吸い込む仕様にしたのですが――」

 みんなの関心は、キティラーの口から逸れてしまった。

 それどころではなくっなてしまったのだ。

 何か――何か動くものが、目の前すぐそば、空間上に浮かび上がってきた!

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