第三章 ハンカチに書いた卒業証書

第三章 ハンカチに書いた卒業証書 一

 マイクロアースの地面を利用した、天然のステージ。

 照明は、センターライトのみの節電モード。

 いつもの、もう見慣れたリハーサル風景。

 ボーカル組を背後に残し、コロンはその時、張り出し舞台で、〈降神曲・一番〉などで披露する、二回転ジャンプの個人練習をしていた。

 何度か跳んだ。

 全て、成功させていた。

 さすがコロン。もうだいぶローラースケートでのダンスにも慣れてきた。

 けど、何回目かの時。

 左足で床を蹴る時、珍しく、膝を外側に折ってバランスを崩したかに見えた。けど、踏ん張って転倒は免れたので、大事には至らずに済んだと、この時は思ってしまった。

 無理に踏ん張ったことが、結果的に裏目に出た。悲劇を招いたのだ。

 ステージ脇まで下がる時、コロンは、右足のみでほとんど左足を接地させない不自然な滑り方になっていた。

「コロンちゃん、足……。どうかしましたか?」

 スイが、異変を見咎めて声をかけた。

 ちらっと振り返りはしたものの、コロンは、その呼びかけには応じなかった。

博士ドクター……」

 代わりに、左足は爪先だけ床につけた体勢で、博士ドクターを呼んだ。いつもの堂々と胸を張った姿勢ではなく、肩をちぢこませている。表情も、珍しく不安げな様子になっていた。

 観客席の中央でステージ全体を俯瞰していた博士ドクターは、すぐにコロンの元にやって来た。

 博士ドクターが着くと、堰を切ったようにコロンが話し始める。悪い知らせを自分の中だけに閉じこめておくのは耐えられない、といった様子だった。

「ちょっと、やっちゃったみたいです」

 コロンは、自分の足、靴の辺りを指さした。

「足首ですか?」

「はい」

「左の?」

「はい」

 立て続けの故障者。人間のプロデューサーなら、腕を組んで唸ってしまう状況だ。

 博士ドクターは、フリーズしなかった。状況の変化に応じ、てきぱきと指示を出す。

 その場にコロンを座らせると、脚を伸ばさせ、触診を始めた。

「ああ、これは」

 診察結果は、すぐに出た。

「捻挫ですね」

 なおも博士ドクターは、コロンの足首を撫でながら語りかける。

「損傷の度合いは、中等度。酷くはありませんが、全治二週間程度は覚悟してください」

「二週間……」

 聞くや、コロンの表情が凍った。後れて、瞳に動揺の色が浮かぶ。

 博士ドクターの診察は、人間の医師より数段正確なはずだ。

「つまり、本番までに回復が間に合わない可能性も……」

「ええ。痛みが引かずに、踏ん張れない、ジャンプなどもできないままになってしまう可能性は――」

 曲を二秒で作ってしまうAGIの判断は、ここでも早かった。

「五分五分。五十パーセントといったところです。

 今日はもう、休養に徹してください。明日以降は、しばらくコーラスのみの参加で様子を見ましょう。

 滑れる見込みがないと分かれば、すぐに担当パートも含めたプログラムの改変に取りかかりたいと思います。が、鉄子さんのほうも、まだはっきりしないのですよね。困ったことになりました」

 鉄子さんに続いてコロンまで……。

 OPSのほぼダンス専任の二人、ツートップが、ここへきて共倒れになるなんて。

博士ドクター

 舞台の端で見ていた僕も、コロンと博士ドクターのいる張り出し舞台のほうへと急いだ。

 こうなると、ライブが成立しなくなる、総崩れになる事態も充分あり得る。中止も視野に入れ、ライブをやめた場合の方策を考えたほうがいいのではないか。

 僕はそう進言しかけたけど、先にコロンが口を開いていた。

「当日までに、滑れる程度には治します」

 顔を上げた時、金色の網に包まれ、丸められたシニヨンヘアーが、少しだけ揺れた。濃い烏色をした瞳は、揺らいでいない。先ほど垣間見せた弱さは、もうどこかへ消し飛んでいた。

「コロンさん。復帰できるとしても、スピンは全て回避、ジャンプは回転数を――」

「いいえ。予定通り、やってみせます。ジャンプのグレードも下げたりはしません」

 博士ドクターの提案を、コロンは言下に拒否する。相手が総合プロデューサーであることを、すっかり忘れている。

「心配は無用です。

 見ていてください。怪我が完治しなかったとしても、私は、二回転とかダブルアクセルくらい、跳んでみせます。

 最悪、逆足での踏み切りも、練習すれば、できなくはないはずですから」

 コロンは、妹分のスイの負けん気が乗り移ったかのような怪気炎を吐いた。

 この人は強い人だ。決して折れない。

 続けて、そばまで来ていた僕に対して、いつものわがままっぷりを発揮する。

「僕ちゃん。マテリアリゼーションのリクエスト、いい?」

 僕は黙ってうなずいた。

「何言うかは、分かってくれてるでしょ」

「はい。だいたい」

 そして、言われた品も、予想通りだった。

「テーピング用のテープ。テープまで金だと派手すぎるから……。

 色は、靴とオソロの白でね」

 強がりを言うコロンは、サディスティックに、逆境を楽しむかのように、不敵な笑みをたたえていた。どきっとさせられるほどの、なまめかしい笑みだった。


 リハーサルは四人で続けられたけど、鉄子さんとコロン、ダンス担当の二人がこぞって抜けると、ダンスの合わせがほとんどできなくなった。

 鉄子さんの特殊スキルが使えない中でのコロンの故障は、あまりにも痛すぎた。


      *


 リハーサル十一日目(ライブ本番まで残り七日)


 僕は、正直、リハーサルに立ち会うのが苦痛になっていた。

 怖くなっていた、と言い替えてもいい。

 次は誰に攻撃が当たるのか、当たるとしたらどの部位になるのか、なんて考えたくもなかったし、でも、考えてしまうし……。

 今日も、だから、さぼりはしなかったけど、足取りが重くなっているのは、自分でも分かった。

 そんな気持ちだったからか、僕が着いた時には、もうOPSのメンバーはあらかた揃っていた。怪我したばかりのコロンも、ちゃんといた。

 そして、コロンの横には――。

 鉄子さんまでいた。鉄子さんも、どこまでリハーサルに加われるのかは分からないけど、顔を見せていたのだ。

「あ、ヘタレ君発見」

 いつものおどけた言いっぷり。

 でも、その姿は痛々しすぎた。今すぐリモートチャージ場所へ引っ張って行き、まだまだ休んでいてください、と言って寝かせつけたい衝動に駆られた。

 右手は、タオルのせいで、ボクシングのグローブを嵌めたように丸く膨らんでいる。

 傷口は、僕が見た時、掌側は三、四センチ。それが細くなりながら、手の甲側にまで達し、貫通していた。指の大きさの穴が開いていたのだ。まだ当分、包帯――タオルは取れないはずだ。

「だいじょうぶなんですか?」

 僕の質問に、鉄子さんはちょっとうんざりした顔になった。たぶん、みんなにも同じことを言われ続けたんだろう。

「今日は顔見せだけのつもりで来たんだけど、コロンも怪我しちゃったって言うし、軽くだけど、参加させてもらおうかと思う」

 鉄子さんの強行復帰の理由は、ダンスパートがいなくなるという事態を避けるためなんだ。これ以上、グループの士気を下げたくないっていう思いも、その悲壮な表情からにじみ出ていた。

「それに、私の担当パートをどうするか決めとかないと、リハがまともに進められないでしょ。

 正式には、博士ドクターが来てから、相談して決めるけど」

 皆は揃って、腰を下ろすのも忘れ、鉄子さんの言葉を聞き続けた。

「私は、自分のせいでパートの数を減らして、ライブのクオリティを下げたくないんだよね」

 コロンが、小首をかしげて訊く。

「でも、片手で二種類の手具しゅぐを使うのは無理でしょ。

 他の誰かに任せるの?」

 辺りを見渡したコロンの視線から隠れるように、とっさにせっちんが、首をすくめてスイの陰へと一歩下がった。

「そんなことしないよ」

 気づいた鉄子さんは、せっちんに向かって笑みを投げかけ、首を横に振った。

「ステージ上に、マイクスタンドかどこかに、置くか立て掛けるかしておいて、持ち替えたらいいんだよ。できるかどうかは……一回、試させて」

 話しているうちに定刻の午前九時になり、タイマーでスリープモードから回復した博士ドクターも、ステージへとやって来た。

 数日ぶりの、メンバー全員揃ってのリハーサルが始まった。

 僕の、そしてみんなもじつは抱いていたであろう懸念は、現実のものとなった。

 手具の持ち替え。

 それは、鉄子さんが言うほど簡単にはいかなかった。

 まず、立て掛ける時に、動作が途切れる。

 マイクスタンドに掛からない。倒れる。

 置いたリボンが、定位置で隣になるコロンの進路にかかってしまう。妨害してしまう。

 全てがうまくいかない。

 問題は山積みだった。

「鉄柱」

 キティラーが忠告する。

「こうなったら、どっちか片方に専念すべきだよ。クオリティを下げたくないって言うけど、無理に両方やろうとしても、かえって余計クオリティを下げる結果になるんじゃない?」

「私も、そう考えます」

 博士ドクターも同意した。

 質の低下に比例して、メンバーの士気も下がったのは、この場にいる自分にも、肌で感じられた。

 それでも、リハーサルは続く。

 チーズは、いつまたあれが飛んでくるかと、怯えた顔で歌唱やダンスを行うようになってしまっていた。

 そして、鉄子さんからも笑顔が消えた。

 このグループから、ムードメーカーがいなくなった。

 会場全体が、ぎすぎすした空気感で覆われてしまっていた。

「ちょっといいですか。

 みんな、集まってください」

 まだ、リハーサル終了時刻の十六時にはなっていなかったけど、急に、スイがメンバーを呼び寄せた。

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