第二章 生きる希望 三

「あああああ……」

 叫ぶ鉄子さんの右手の掌に……。

 僕は、自分の目を疑った。

 掌に、穴が開いている。

 あたかも、大口径のライフルで狙いすまして一か所を撃ち抜いたかのような、計算し尽された攻撃だった。

 掌を形成していた肉片が、ウェディングドレスの肩に、胸に、ミニ丈になったスカート部分に、さらに太腿やら反対側の腕にまで飛び散っている。さらに、それだけでは澄まず、間近にいたチーズの顔やマントにまで飛び火し、頬や髪の毛にこびり付いている有様だった。

 穴は指一本分くらいだけど、えぐられてできた傷自体はもっと広範だった。三、四センチかそこらはある。なにしろ、血がとめどなく噴き出しているせいで、正確な傷の深さは計り知れない。

「嘘でしょ」

 コロンが、血を見て立ちすくむ。頭がぐらついている。目眩を起こしている。

 スイは、言葉さえ出ない。

 チーズやせっちんも、血を見て呆然と立ちすくむしかできないでいた。

 僕自身も、何ができるというわけでもなく……。

「くう……」

 鉄子さんは何も喋れない。言葉らしきものは発せない。

 鮮血が、見ている間にも、どくどくと、ステージの床に、マイクに、アンプに、無分別に飛び散っていく。

 右手の長手袋だけでなく、銀と純白のウェディングドレスも、ところどころ真っ赤に染まってしまった。

 体から力が抜け、思わず膝をつく鉄子さん。意識はあるけど、右手の掌を見て、表情が青ざめている。

 棒立ちで何もできないチーズを飛び越し、まず駆け寄ったのはキティラーだった。キティラーは、鉄子さんが頭から床に落下しないよう、メンバー一番の細身の体で、腰に抱き付き必死に支える。

「鉄柱、意識はある?」

「う……ん。……なん、とか」

 息も切れ切れに答える鉄子さん。

 間もなく集まったコロンと、前後から、鉄子さんの肩や腕を抱え込み、ゆっくりと座らせる。危険な角度での転倒は阻止できた。

土星人サタンの仕業ね」

 コロンの言葉に、キティラーがうなずく。

「うん。間違いなく。

 電気信号が脳の思考を読み取り、狙い撃ちする。ランダムで当たってからは、本人が一番守りたい部位を破壊してしまう。

 髑髏の時と、やり口は同じだ」

 最後になってしまった博士ドクターは、着いてすぐ膝立ちになった。その体勢で、鉄子さんの負傷したほうの右手の手首をそっと取り、チップ内蔵のデータを参照しながら、診察を開始する。

 当たり前だけど、リハーサルは即刻中止になった。

 せっちんやスイも見守る中、向かい合わせに肩を支えて、コロンが尋ねる。

「鉄っちゃん、ヒーリングはできる?」

 鉄子さんは、無理に右手に力を込める仕種を一度した後、さらにもう一度だけ。

「駄目だ。無理」

 力なく、首を左右に振った。掌も痛むんだろう。二回のトライで諦めた。

 スイの時みたいに、鉄子さんの特殊スキルを使ってヒーリング……ができないのだ。

 ヒーリングを使う、その右手を封じられてしまったのだから。

「鉄子さん、左手でも発動できる?」

 スイが思いつきを口にしてみたけど。

「……駄目だね」

 試してみた鉄子さんは、血の気の失せた青い顔で、力なく首を横に振るだけだった。

 鉄子さんの場合、右掌への攻撃には、二重の意味があった。

 リボンやバトンを握れなくして、ライブでパフォーマンスをできなくするという他にも、特殊スキルのヒーリングを使えなくさせることにもなってしまったのだ。

 こうなれば、僕にも責任が出てくるんじゃ……。

「すみません。

 救急箱くらい、前もってマテリアリゼーションしておくべきでした。

 鉄子さんがいるなら必要ないって思ってしまって……」

「ヘタレ君は悪くない」

 こんなになっているのに、鉄子さんは、それでもいつものように優しい。僕をかばってくれた。

「あっ、鉄子さん。傷口は見ないほうが」

 コロンが、鉄子さんの顔がさらに青くなったのに気づいて言った。

 聞いたチーズは、すぐさま、外したマントを鉄子さんの肘から先に掛けた。それで、鉄子さんの視界から、生々しい、グロテスクな光景は遮断されたけど、飛び散った血まではとうてい隠しきれるものではなかった。

「薬品がないのでしたら、対処療法を施すしかありません。掌を、表裏から塞ぎます」

 博士ドクターが的確な指示を出した。

「タオル、あったよね」

 キティラーが僕に訊いた。

「はい。機材の手入れ用に、何本か現出しました。未使用のもあったと思います」

 僕が答える。聞くや、ステージ脇の道具置き場に、せっちんが駆け出していた。

「あと、バミり用のガムテもお願い」

 スイが、せっちんの背中に声をかけた。せっちんは、一瞬振り返ってうなずいた。

 医療用ではないとか言ってる場合じゃない。消毒もできなかったけど、火急だ。まずは止血が最優先。せっちんが一っ走りして持ってきたタオルとガムテープで、博士ドクターの手により、鉄子さんの掌はぐるぐる巻きにされた。

「人間の自然治癒は馬鹿にできません。私たちも常日頃、うらやましく思っているくらいです。

 あとは、鉄子さんの、特殊スキルではない生命力に期待しましょう」

 博士ドクターの言葉が全てだった。僕らでしてあげられることは何もなかった。

 キティラーに左側から腕を組まれ、コロンに右側から肩を抱えられた鉄子さんは、気丈にも、自分の脚で、リモートチャージ場所へ、歩いて移動していった。


 二人目の犠牲者。

 いや、チーズを入れれば、三人目か。

 土星人サタンの攻撃は、果たしてこれで終わるのか。

 僕は、悪いほうへ、悪いほうへと想像を膨らませてしまう。

 また、スイが喉を。さらに、キティラーも喉を……。

 そうなったら、メインボーカルが全滅したら、グループは機能しなくなる。

 その上、コロンまで攻撃を当てられたとしたら。ヒットする部位は、予測がつく。コロンが破壊されるのは……。

 いや、よそう。そんなこと考えるのは。

 鉄子さんを送っていったキティラーは、ステージ前に戻ってくると、さっそく、博士ドクターを捕まえた。

土星人サタンからの攻撃に対する防御は? 対策は何か立てられないのですか?」

「ありません」

 にべなく首を横に振る博士ドクター

「もう当たらないよう、神に祈るしかないってことですか」

「……残念ながら、そうなってしまいます」

 次は誰か? 自分なのか?

 誰もが疑心暗鬼に陥っている。

 明るさを取り戻しつつあったチーズだったけど、間近で鉄子さんがやられるのを目撃してしまい、自分が受けた攻撃の記憶が過ったのか、また口数が減り、暗い目をするようになってしまった。

 元々暗いマイクロアースに、暗雲が少ない星を隠し、さらに少なく、明度を下げたように感じられた。


      *


 リハーサル九日目(ライブ本番まで残り九日)


 定時の午前九時を過ぎても、リハーサルは開始されなかった。

 他の五名におまけの僕も集まっているけど、鉄子さんだけは治療に専念。リモートチャージ場所で眠ったままだ。

「鉄子さんが復帰できない場合について」

 皆を、ステージ前、神の木前の、がらんとした味気ないスペースにまとめて座らせてから、博士ドクターが、プロデューサーの立場で話し始める。博士ドクターだけは立ったままだ。

「どうしますか?」

「どうする、とは?」

 三角座りのスイが訊き返した。

「五名でライブをやるのかということです」

「それは、もちろん。やりたいです。リハーサルも、続けさせてください」

 反対する者はいなかった。

「狭義でのMIA(ミックスド・アイドル・アーツ)は、他種のダンスとのミックス。相手がいてこそ成り立つものです。

 鉄子さんがまるまる抜けた場合、そのポジションに、他のメンバーのダンスが簡単に当てはまるわけではありません」

「それなら、無理やりにでも。

 なんなら、私が、また」

 スイが、代役に名乗りを上げたけど。

「すんなりこなせるわけないでしょ」

 博士ドクターより先に、コロンに叱らてしまった。

「前のライブでは、たまたまうまくはまっただけ。

 あの奇跡的な神業を、何曲分もやってのけるなんて、無理な話よ」

「……そうですね」

 コロンの意見は、疑う余地のない正論。

 スイは、恐縮して引き下がった。

 博士ドクターは、説明を続ける。

「脱落はしないまでも、鉄子さんの担当パートがバトンだけになった場合。

 同様に、リボンだけになった場合。

 これらのケースも想定しないといけません」

「どうしても穴が埋まらないなら、曲数を減らすというのは」

 僕の提案は、現実的なものに思えた。けど。

「ヘタレっち。曲数をなぜ六曲に増やしたのか、いきさつを考えてみて」

 横に座るキティラーからつっこまれてしまった。

「今回のライブのテーマは、刺激ではなく、エンタメ。

 質だけじゃなく、量も要求されるんだよ」

「ああっ、そうでした」

 キティラーの言う通りだ。うっかりしていた。

「簡単には減らせないんですね。

 すると、方法は」

「頼み辛いけど……」

 言いよどんだキティラーは、続きを言ってもらうべく、博士ドクターのほうを見た。

「ライブを予定通り開催するなら、鉄子さんに復帰してもらうしか、方法はありません。

 左手一本でできるパフォーマンスを。バトンかリボンのどちらかだけでもやってもらいましょう」

「鉄柱には本当に申し訳ないね」

 キティラーが、両方無事な自分の手元に視線を落とした。

 ボーカリストの自分の手だったらよかったのに、なんて考えているんだろう。

 メンバーに替えが利かないっていうのは、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)の、意外な、今まで意識できなかったマイナス要素だった。


 この日は軽めの個別練習に終始して、リハーサルは終わった。


      *


 リハーサル十日目(ライブ本番まで残り八日)


 鉄子さんは、あの一件以来、一、二度、目を覚ましただけだった。

 博士ドクターからは、リモートチャージ中のほうが回復が早いのだから、好きなだけ休んでいていいと言われていた。

 だから、リハーサルは、今日も五人体制のままだった。

 鉄子さんの復帰する日はまだ決まっていない。それどころか、本当に復帰できるのかも――本人にその意思はあるにしても――不明瞭なままだった。

 また、復帰してくれたとして。

 右手で手具しゅぐが掴めない。

 それだけは、はっきりしていた。だから、持つのは、担当できるのは一種類になる。

 バトンとリボン、どちらを選ぶのか。

 この問題は、誰でもない、鉄子さんに一任されることになった。

 必然、リハーサルは、合わせる相手のいない、単独のムーブの練習が多くなっていた。

 そんな中、OPSは、再びアクシデントに見舞われた。

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