第二章 生きる希望 二

 リハーサル一日目(ライブ本番まで残り十七日)


 こういうこともあるんだ……。

 リハーサルの時間割は、前回と同じだった。僕が神の木前に着いたのは、決して遅い時間ではなかった。まだ、開始時刻の朝九時には、三十分ほど余裕があった。

 ……OPSのメンバーは、もう全員勢揃いしていた。

 キティラーは左のスピーカーの縁に軽く腰掛け、コロンはその手前に、膝を崩して尻餅をついている。まだ、僕がマテリアリゼーションしたローラースケート靴は履いていない。傍らに置かれたままだ。鉄子さんは、両膝立ちの体勢で、駄弁りながらも、前方に伸ばした左腕に右腕を絡ませ、早くもストレッチを始めている。スイと、包帯姿も痛々しいチーズは、双子のように同じ三角座りで――衣装は全然ちがうけど――、コロンたちと向き合っている。チーズの横に、せっちんも膝を崩して座っていた。ボールを、誰にも触らせないというくらいの勢いで抱え込んで、その上にあごを載せ、みんなの発言に耳を傾けている。

「全六曲って言ったら、ちょっとしたミニライブができる曲数じゃない?」

 朝っぱらからハイテンションになっていたのは、鉄子さんだった。

「ワンマンには足りなくても、フェスには乗り込めるよ。こんだけ持ち曲あるんだから」

「どうせなら、たくさんのお客さんがいる前でライブをやりたかったですね」

 スイのつぶやきで、場の空気が一変した。

 コロンは、口を開いて何か言いそうになったけど、何も言えずにまた閉じてしまった。

 せっちんは、静かにうなずいた。一度で足らず、二度もうなずいたのは、強い同意の表れに映った。

 キティラーは、ちょっとアンニュイな表情になった。現実的な言動を旨とするキティラーにしては珍しく、スイの言葉を無下に否定はしなかった。

 何気なくぽろっとこぼしただけだったんだろうけど、スイの今の一言は、メンバーの心をわしづかみにしたようだった。

「このメンバーで?」

 鉄子さんが、右手を広げ、皆を見渡しながら、左右に流す。

「そう。このメンバーで」

 答えたスイの声は、どこか儚げだった。

 六人が話をしていたステージ上の一角、その丸い空間が、わずかばかりの間、不思議な雰囲気に包まれた。

 無理無理。

 ――そんな野暮なつっこみを入れるメンバーなんていなかった。

 せっちんは、焦点の合わなくなった目をぼんやり見開き。

 チーズは、そこに大型ビジョンがあるかの如く、斜め上の中空へ視線を上げ。

 コロンは、こぼれる笑みを隠そうともせず、同意を求めるように、感情がリンクしているか確かめるように、鉄子さんやキティラーの顔色を覗っていく。

 皆、しばし無言で、今となっては絶対実現不可能な幻の光景に、思いを馳せていた。

 OPSのメンバーは、性格はまちまちだし、年齢も、高校生世代を飛ばしてばらけている。そういう点ではまとまりがないけど、スイの言葉をきっかけに、一つ、大きな共通点ができた。決して叶わない希望――願望ができた。

 大勢の観客の前、満員のファンで埋め尽くされた会場で、ライブをする――という願望が。

 スイは、ハズいことを口走ってしまったと、少し照れくさそうに頬を赤らめながら、久々に見せる、胡椒の玉をぶつけられたみたいな目と口をすぼめる変顔になり、

「えへっ」

 と笑みをこぼした。

 笑いは、横に座っていたコロンにも伝播した。

「ふふふっ」

 コロンの端正な顔立ちは、表情を変えてもあまり崩れない。けど、この人は、笑うと、目、それも目尻だけが下がる。とろけるのだ。

 こうなると、もう感染は誰にも止められなかった。

「んふふ」

「くはははは」

「んぷぷぷぷっ」

 笑いが最後のせっちんに伝わるまでは、一瞬だった。

 皆が皆、腕を引っ張り、肩を小突き合い、押し合いへし合い、空想を心ゆくまで楽しんでいた。


 リハーサル中、メンバー全員がステージにいる時のことだった。

 僕は、観客席中央でぼーっと観ていた。そこへ、何気なく近寄ってきた博士ドクターから、こっそり耳打ちされた。

「マテリアリゼーションしていただきたいものがあるのですが」

「はい。何でしょう?」

 ライブに必要な機材一式は、一回目のライブの時に出し尽くしていたし、エネルギー関連は、仕様により、僕には出せない。

 二回目のライブに向けては、今日、自分用のサイリウムを現出しただけだ。コスメも切れてはいないみたいだったし、だから、現出する必要のあるものはもうないはずだと思っていた。

 あった。

「ステージ左右に幕を張りたいので、それをマテリアリゼーションしていただきたいのですが」

「ああ、オープニングでの登場を盛り上げるためには、仕切り――メンバーが隠れられる幕はあったほうがいいですね。それなら、幕を支える骨格も要るのでは?」

「ええ。鉄パイプもお願いしようと思っていたところです。お察しいたたぎ痛み入ります」

「今までで一番大きなものになりますけど、現出できないことはないと思います。やってみましょう」

「……じつは、それだけではないのです」

「まだ何か?」

「ええ。大変申しわけないのですが、他にも必要になる道具がいくつかありまして……」

 そこで、博士ドクターから用途もさっぱり分からないものの名前を出され、耳を疑った。

「自動式エアポンプと、それから――」

 そんなものまで、本番で仕掛けるサプライズに不可欠だからとリクエストされてしまった。

 でも、いくらなんでも。

 理論物理学アンドロイドの理論は、机上の空論で終わるのではないか。

 人間の僕には、博士ドクターの企みが、実際にうまくいくとは思えなかった。


      *


 リハーサル二日目(ライブ本番まで残り十六日)


 チーズの包帯が取れ、今日から本格的に復帰することになった。

 袖なしのTシャツからむき出しになって見えていた肩口の傷は、もうない。きれいに消えていた。シャギーの入った短めのセミロングの髪に隠れているから確認できないけど、こめかみの傷も、消えているのだろう。鉄子さんの特殊スキル、ヒーリングの賜物だ。


「コロンさん、ここでクロスロール、挟めますか?」

 博士ドクターのリクエストに、則呼応するコロン。

「やってみます」

 なんとも頼もしい。

 クロスロールっていうのは、滑っている途中に、足をクロスさせて出し、反対方向に曲がる、っていうのを繰り返すムーブだった。

「それも、本来フィギュアスケートの技なんですか?」

 感心しながら、スイが訊く。

「ええ。これはね、難易度はそんなでもないのよ」

 その場では、難なくこなしてみせたコロンだったけど、珍しく弱音をはいたのは、リハーサル後のことだった。

「うーん……。サイズは合ってるんだけど」

 靴を脱ぎながら、ふとそんな言葉を漏らし、首をかしげた。

 ローラースケートがまだ体に馴染まず、思い通りの動きができないらしい。

 はたから見ている限りでは、動作の鈍さは感じない。もうすっかりフィギュアスケーターからローラースケーターに転身できた気がしていたけど、二者間のコンバートは、見た目ほど簡単なものではないということか。

 でも、逆に言うと、まだ伸びしろしろがあるってことだ。

 今回のライブではエースの座を譲ったとはいえ、やっぱりコロンのジャンプは、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)には不可欠。

 当日までに、その違和感がなくなってくれるといいんだけど。


      *


 リハーサル三日目(ライブ本番まで残り十五日)


 チーズのムーブは我流。

「フィギュアスケートのステップは種類がいろいろあるから、チーズのムーブに近いのを探して、合わせられると思うんだけど」

「いいえ。

 どうぞ、コロンさんから先にやってみてください」

「できるの?」

「全く同じにしたら、普通のダンスになっちゃうんで。MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)にならないんで。そこは、そこそこ手加減します」

「本気出したら、全く同じにできるって言うの?」

「できますよ」

 胸を張り、苦もなく断言するチーズ。

 その自信はどこからくるんだ?

「コロンさんだって、私と同じ人間ですよね。なら、だいじょうぶです。リハ期間中には、なんとか。完コピしてみせますよ。私は普通のスニーカーなんで、滑る移動以外の、左右の足の動きだけ真似することになりますけど」

 対してコロンは、

「短時間なら、ぴったり揃ってもだいじょうぶなんじゃない。――ですよね?」

 プロデューサーの博士ドクターに伺いを立てた。

「では、揃えられるかどうか、というのを、この曲のテーマにしてみましょうか。

 後付けですけど、そんな演出も、一つのエンターテイメント。面白いものに仕上がりそうです」

「では」

 コロンは、チーズへと視線を戻す。

「完コピできるかどうか、勝負ね」

「勝負ですね」

 グループ内で争いが起きるってのは、OPSのお家芸なんだろうか。まあ、この二人は、メインボーカルの二人ほどは険悪になってはいないんだけど。

 今もそうだ。絡みの打ち合わせの際、チーズは、まず、相手になるメンバーに口出しなんてしない。できないと言ったほうがいいのか。

 でも、ベースがない、ルーツを持たないからこそ、型にはまらない自由なムーブができるのが、チーズの強みだ。他のパートと、最初から動作が被ることはないし、違いすぎる場合は、チーズのほうからすり寄っていける。

 誰とでも組める。絡める。プロデューサーとしても扱いやすいメンバーなんだと思う。ダンスパートの潤滑油と言ってよかった。みんなそうなんだけど、チーズも、OPSにとって、不可欠な存在なのだ。

 動きは、もう完全に以前と変わらなくなった。

 怪我が軽くて、脱落しなくて、本当によかった。

 だけど、表情に、まだいくらか暗い陰が差しているのが気がかりではある。

 いつか、近いうちに、また満開の笑顔が見られると期待しよう。


      *


 リハーサル四日目(ライブ本番まで残り十四日)


 せっちんは、自分のペースを崩さない。

 ボールを、ある時は、掌を使って小刻みに床につき。

 ある時は、片手に載せたボールを、首の前を、後ろを通して反対側の腕へと転がし。

 ある時は、8の字を描いて体の周りをぐるんぐるんと回し。

 さらには――。

 せっちんがトスしたボールを、鉄子さんが蹴り上げ、数メートルもホイップさせた。

 落ちてきたところを、せっちんが背面キャッチ。

 今みたいに、せっちんのできないことは、鉄子さんに一部肩代わりしてもらっている。それが、各メンバー、担当パート同士の絡みにもなっているのだった。

「背面キャッチの後は、左手ですくうようにして、また前に持ってきてください」

「はい」

「あっ、ボールは掴まないで。抱えるか載せるようにして、ホールドしてください。

 全てを忠実にはできませんが、ライブパフォーマンスに取り入れるに際して、ボールを掴まないという点は、新体操での決まりごとを受け継ぎましょう。

 できそうですか?」

「はい」

 博士ドクターに何を言われても、『はい』とだけ返事して、静かに、確実に、割り振られたムーブを自分のものにしていく。

 鉄子さんとせっちんは、二人とも新体操を担当しているけど、やっている深さは大きく異なる。

 せっちんは、鉄子さんと違って選手経験がないから、身体の柔軟性を生かした、アクロバティックな演技はしない。できない。必然、体ではなく、ボールが主体のムーブになる。競技としての新体操のように、膝をついたり寝転んだりっていうムーブはやらない。下がバニエたっぷりの半球状に膨らんだスカートでも、だから、問題ないのだった。

 そして、ダンス――演技については、ずいぶん慣れてきた様子だった。

 ボールを操っているのはせっちんなんだけど、丸い形の地球外生命体が、せっちんとじゃれているみたいにも見えてしまう。

 もう、初心者扱いしなくてもいいのでは。

 この子は、すっかり頼もしいボール担当、MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)の一角になってくれた。


      *


 リハーサル五日目(ライブ本番まで残り十三日)


 チーズは、傷は癒えたけど、恐怖心がまだ残っているのか、以前ほど明るい雰囲気で笑うことは泣くなってしまった気がする。

 休憩中と言わず、リハーサル中と言わず、そんなチーズをつきっきりでかまっているのは、スイだ。

「ずりー」

「『ずりー』じゃないよ、もう!」

 マントを引っ張ってちょっかいを出したかと思えば、方位磁針のヘアクリップの位置を直してあげたりと、何かとかまって、なんとか笑顔を引き出そうとしている。

 そんなスイは、意気込みなら、他の誰にも負けていなかった。

 前回のライブ、結果的に成功はさせられたものの、メインボーカルの責任を果たせず、不完全燃焼に終わったのを、まだ気に病んでいるみたいだった。

「スイさん、飛ばしすぎです」

 歌唱中、博士ドクターに注意されることもしょっちゅうだ。

「そうですかー?」

「そうそう」

 隣のマイク前では、もう一人のメインボーカル、キティラーが、うなずきながら、困ったような笑みを浮かべた。僕も思う。客観的に見ても、気が逸りすぎている。

 続きはないと思っていたところに降って沸いたのが、今回のセカンドライブ。そしてこれがラストライブにもなるというのだから、必要以上に気合いが入ってしまうのも分かるんだけど。


      *


 リハーサル六日目(ライブ本番まで残り十二日)


 一回目の時からそうだったけど、はたから見ていて一番大変そうなのは、鉄子さんだった。

 バトンとリボン。一人二役。

 たたでさえ忙しいはずなのに、リハーサルの合間には、僕の相手もしてくれる。

「ヘタレ君、サイリウム見せてー。

 あっ、白がなかったら、お姉さん怒るよ」

 絡んできてるだけのような気もするけど。

「よし、全部白。

 分かってんじゃん」

 左側の片八重歯をはみ出させ、顔をほころばす鉄子さん。

「鉄子さん、それは基本色の白なんですって」

 また、チーズとの言い合いが始まった。

「そうとも限らないよ」

「そうに決まってるじゃないですか。

 ヘタレさん本人が、全推しだって言ってるんですから――」

 まったく。この二人、仲がいいのか、悪いのか。


      *


 リハーサル七日目(ライブ本番まで残り十一日)


 OPSにリーダーは決められてないけど、リハーサルも二回目になるに至り、すっかり司令塔として定着していたのは、キティラーだった。

 変幻自在のスモークボイスを駆使し、メインボーカルの一角を担っているだけでなく、ダンスが不可欠なMIA(ミックスド・アイドル・アーツ)で、最後尾から、ステージ全域に目を配り、メンバー全員を見渡し、適宜思うことがあれば、それを忖度なく進言し、ライブパフォーマンスをまとめるのに一役買っている。

 グループの方向性として、必然的に、ボーカルは陰に隠れやすいんだけど、それについては苦言を口にせず、ダンス担当メンバーのサポートに徹している。

 リーダーではないけど、キティラーは、確実に、OPSの要になる存在だ。万一、抜けられでもしたら、グループが機能しなくなってしまうだろう。


      *


 リハーサル八日目(ライブ本番まで残り十日)


 リハーサル、本番兼用の、マイクロアースの特設ステージ。今回は左右の幕も増えた会場でのリハーサルの最中。午後の部が始まって、しばらく経った頃だった。

 曲の途中で、オケをかき消す、何かが弾ける音がした。

 僕とチーズにとっては記憶に新しい音。生々しく耳にこびりついている、あの音、破裂音だった。

「いやあああっ!」

 大声で叫んだのはチーズだったので、僕は最初、被害を受けたのは、またチーズなのかと思ってしまった。

 違っていた。

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