第二章 生きる希望

第二章 生きる希望 一

「ごめんね。怖い目に合わせちゃって、ほんとにごめんね」

 スイは、倒れているチーズの腕を取り、掌を両手で握り締めていた。この子が泣いたのを見たのは始めてだった。

 チーズは無理に笑顔をつくって、スイの手を力なく握り返した。

「ああっ、また私のスカート丈が短くなる。いよいよスーパーミニ突入だよ」

 鉄子さんが場違いにおどけた声を出した。殺伐とした雰囲気を少しでも和らげようとしたんだろうけど、状況は、台詞一つでどうこうなるものでもなかった。

 キティラーが、その鉄子さんの腕を掴む。

「そんなこと言ってる場合? それに、どうせ下にかぼちゃパンツ履いてんじゃん」

「分かってるって」

 そう言って、一転、シリアスな表情になった鉄子さんは、チーズの介抱を開始する。

 まずは、スイに体を支えられているチーズの負傷箇所、頭部と左肩に、順々に右手の掌をかざしていく。

 すぐに出血が止まったわけではなかったけど、次いで、ウェディングドレスの裾を、舞台のバミりテープを切る用の、自分のリボンもこれでカットしたハサミを使い、数センチ新たに切り、チーズの頭と肩に巻く包帯にした。

 そうやって、治療は滞りなく進んでいく。

 チーズは、僕が最後に見た時以上の傷は受けていなかった。

 右のこめかみの辺りと、左右の肩に、数か所。全部、かすり傷だった。それでも、顔からは未だ血の気が引いている。一歩間違えば命を落としていたんだから、恐怖心を引きずっているのも無理はなかった。

 いっぽうで、僕のほうは、全くの無傷だった。

 やっぱり、敵はチーズのマントを標的にしたらしかった。チーズがこの程度の傷で済んだのも、そういう意図があったればこそ。

 傍らに投げ出された、弾のない機銃掃射を浴びて穴だらけになった地図柄のマントが痛々しかった。特殊スキルは発動できたんだから、マントがチーズの命を救ってくれたと言えた。鉄子さんにはその力があるんだから、こっちのほうも、後から直してもらえばいい。

 とりあえず、チーズが一命を取りとめたことは間違いない。その点は、ほっとした。

 僕は、静養中のチーズを横目に、三体目の神の元で二人して聞いた、感じたメッセージを、余すところなくみんなに伝えた。

 短いメッセージだ。忘れようがない。

「へえっ。『起動スイッチは入った。あとは、行動するためのエネルギーがあれば』ね」

「ええ」

「キティラーには聴こえなかったんですか?」

「発せられたのはその場の振動だけで、もう電波を送る余力もなかったのかな」

 キティラーは、素直に驚いている様子だった。

「怪我はさせちゃったけど、二人が行ってくれた甲斐はあったよ」

 僕らが行ったことに意味を与えるため、神の声を聴こえなかった、感知できなかったふりをしてくれているのか。

 本当に微弱すぎて感知できなかったのか。

 冷静さを欠いている今の僕には、冷静なキティラーの本心を見抜くことはできなかった。

 かけけられた労いの言葉は、卒倒しかけている、倒れたままのチーズには聴こえているのだろうか。

「もう一つ、訊いていい?」

 コロンが、僕に差し向かう。

土星人サタンの姿。あった? なかった? あったとしたら、どんなのだった?」

 スイやせっちんの視線も、僕に集まる。やっぱり、みんな、気になるみたいだ。

「ありませんでした。少なくとも、人間の目には何も見えなかったです。後からチーズに確認してもいいですが、同じことを言うでしょう」

「そんなのおかしいよ」

 鉄子さんが不思議がる。

「視覚を改ざんされたんじゃないの?」

 まじまじと、疑いの目で見られてしまった。

「いいえ。それこそ頭の固い考え方だよ」

 キティラーは、鉄子さんとは異なる意見を述べる。

「実体はなくても、電気信号を送る力とか、サイコキネシス――念動力をを持っているなら、実体のある物を移動させられる。

 それができれば、スイが喉をやられた時みたいに、細胞を振動させて、組織を破壊することもできる」

「チーズが受けた傷も、そういう攻撃手段だったと?」

 訊いた鉄子さんに、キティラーがうなずく。

「と、私は思う」

 そして、陰鬱な面持ちで続ける。

「攻撃は一方通行。

 土星人サタンに対抗する手立てなんて、人類は持ってないし……。

 やっぱり、人間の力だけではとうてい土星人サタンには敵わない」

 因子持ち随一の理論派の実質的な敗北宣言に、僕には聞こえた。

「行き着く先は、神頼み。

 神を動かさないことには始まらないのね。

 唯一生存している、第三の神を動かす方法は……」

 コロンが何か言いかけたけど、言葉は最後まで続かなかった。

 代わりに、スイが後を引き取って続ける。

「私たちが知っているやり方は、一つしかありません」

 膝立ちで、寝ているチーズを手当てしていた鉄子さんが、そのチーズの肩を支えていたスイと目を合わせ、同時に叫ぶ。

「ライブ!」

「無理無理。できないわ、そんなの」

 コロンが、即座に否定する。

「前回を超える刺激を与えるライブなんて、リハーサル期間をどれだけ与えられたって不可能でしょ?」

 チーズを抱えたまま、スイが顔を伏せた。他のメンバーも、黙ったまま、答えられなかった。

 絶望した顔のコロンの視線は、自然と、吸い寄せられるように、ある者のほうへと向けられた。

 空気を読んだせっちんは、尻尾を揺らしながら小走りでリモートチャージ場へと駆けていった。

 二十メートルの距離だ。すぐに着いた。着くと、ぽつんとたたずんでいた博士ドクターの左のこめかみを、指でそっと押した。

 非量産型理論物理学アンドロイドが、素早くスリープモードから復帰する。そして、急に再稼動した戸惑いもなく、せっちんに先導されて一同の元へとやって来た。

 鉄子さんたちの顔を順繰りに見て、博士ドクターは一つうなずいた。

 今までのやり取りは、録画、録音済み。全て聞き及んで理解済みなんだ。

「再び神を目覚めさせる方法は、鉄子さん、スイさんのおっしゃる通り、ライブしかないでしょう。

 その上で、コロンさんのお言葉も、ごもっとも」

 博士ドクターが口にしたのは、一見、矛盾する内容だった。

「やりようがないってことですか?」

 スイが訊いた。

 博士ドクターが返答に詰まる。詰まりながらも、頭部のAGIは、脳内で電気信号の乱反射を繰り返している――ように感じた。そんな数秒が過ぎた後。

「それでもライブを行うというのでしたら」

 右隣のせっちんから左隣のキティラーまで、各々の表情を逐一確認しながら、博士ドクターは、ぐるりと辺りを見渡した。それは、メンバーではない僕にまで、徹底して。

「やります」

 と、まずスイ。

「やりましょう」

 鉄子さんも乗っかる。

 二人の熱意にほだされたのか、弱気になっていたコロンが、キティラーが、

「何か、方法があるのなら。私たちにできることは、それしかないんですから」

「そうだね。何もやらずに、土星人サタンの攻撃を黙って待つよりは」

 叛意して、次々に畳みかけた。

 発言はしないまでも、せっちんも、うなずいている。強い決意は、先の四人に劣るものではないようだった。

 最後にチーズもうなずいた。チーズは、まだ喋る気力はないみたいだけど、意識はある。

「皆さんが私に望まれる役回りも、前回と同じということでよろしいのでしょうか?」

 ここでは、スイが一人でうなずいた。博士ドクターは、メンバーの思いを受け取ると、同じように、強くうなずき返した。

「分かりました。

 OPS、二回目のライブ。そのプロデューサー、また私がお引き受けしましょう」

 メンバー皆の顔が、その言葉を待っていたという喜色で満たされた。


 OPS総合プロデューサー、博士ドクターがまず語ったのは、今回のライブの方向性。テーマだった。

「神を起こす、目覚めさせる、と言うのは語弊があります」

 メンバーたちは、総じて真剣な顔で、博士ドクターが述べる持論を聞いていく。

「前回は、それでよかったのです。いちおう、目的も達成できました。

 刺激は起動スイッチ。それは、ライブを行い、オンにできました。神は、すでに起動済み。

 しかし、動作させるには、別種のエネルギーが必要なのです。

 ヒトとは全く違った体をしているんですから、摂取するエネルギーも異なるはずです。マイクロアースにストックされている種類のものでは、転送できたところで、神の動力源にはならないでしょう。送るべきなのは、電気でもなく、もっと非物質的、精神的な刺激です。それも、プラス方向の」

 せっちんが小さく首をかしげ、鉄子さんは斜め上に視線を持っていき、思案顔になる。それだけの説明では充分に伝わりきらなかったようで、メンバーは一様に戸惑い気味だった。

 そこで、博士ドクターは、もっと端的に言い替えた。

「神に、生きる希望を与えること」

「ああ」

「そう言ってもらえると、分かりやすいです」

 スイが、コロンが、今度は皆がうなずいた。

「今回のライブのテーマは、『神に生きる希望を与える』。これでいきます」

「神に、生きる希望を与える……」

 ほうぼうでつぶやきが起こった。

 とてつもない偉業だぞ。そんなことが、本当にできるとすれば。

 博士ドクターは、ライブのテーマを、より具体的に語っていく。

「ですから、OPSの次のライブは、よりエンタメ寄りに方向性をシフトします。

 なによりメンバーの皆さんご自身が、楽しみながらやってくれれば、と思います」

「楽しみながらやる……」

 せっちんが、博士ドクターの言葉を咀嚼するようにつぶやいた。

「具体案を聞かせてもらえますか」

 キティラーの言葉を受け、OPS総合プロデューサー、博士ドクターがメンバーに提案する。

「〈エンタメ〉という今回の目的を達成するためには、とうてい一曲では事足りません。ですから、複数の……新曲五曲を含めた、全六曲のセットリストを組んで、ライブに挑みます」

「新曲五曲……」

 鉄子さんが、大変そうだなという顔になった。たしかに、覚えないといけない歌詞や振り付けは、単純計算で五倍になる。

「降神曲よりもさらにアップテンポのもの。

 何か変則的なもの。

 ……など。

 神に飽きさせないため、曲調はそれぞればらばらにします。

 MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)を否定するわけではありませんが、ジャンルも、必ずしもEDMで揃えることにはならないと思います」

 メンバーの中に、よもや異を唱える者などいなかった。逼迫した状況の今は、全幅の信頼を寄せているこのプロデューサーに頼るしかない。

 博士ドクターは、その場で、宣言通り、バラエティに富んだ曲を新たに五曲、作曲した。

 要した時間は、全部で十秒足らず。

 メンバーの心構えができるのと、どっちが先だったか。

 でき上がってきた曲は、簡単に言うと、次のようなものだった。

 ……タイトルが味気ないのは、相変わらずだ。


 降神曲・〇番 先のライブでも使用した既存曲。シンセ主体、かっこいい系。

 降神曲・一番 いわゆる自己紹介ソング。(以降新曲)

 降神曲・二番 ダンサブルなEDM曲。

 降神曲・三番 アップテンポのアイドルソング。

 降神曲・四番 ひねりの利いた卒業ソング。

 降神曲・五番 コミカルナンバー。欠番、セットリストの予備の曲。

 降神曲・六番 MIA(ミックスド・アイドル・アーツ)に特化したEDM曲。


「リハーサル期間は、十七日。

 十八日目に本番のライブを開催します」

 聞いて、メンバー全員の体が一瞬固まった。せっちんなんかは、青い顔になっている。

 プロなら、あるいは、ステージの完成度を高めるのに充分な日数なのかもしれない。

 でも、OPSのメンバーは、それぞれの担当パートに経験者はいても、全員素人。プロなんて一人もいない。その点を考え合わせれば、超過密スケジュールってことになる。

「十八日っていう日数の根拠を教えてもらえますか」

 訊いたのはキティラーだった。

「もっと期間を増やしてもらうわけにはいかないんですか」

 こっちは鉄子さんの発言だ。質問というよりは、切実な希望なんだろう。

 鉄子さんは、ようやくチーズへのヒーリングを終えていた。チーズの体は、今、スイに預けていた。

土星人サタンからの総攻撃は、当面心配しなくてもいいでしょう。

 一瞬とはいえ、神は目覚めたわけですから、その時、このマイクロアースに何らかの防護壁、あるいはステルス機能を新たに付与してくれたと推測できます」

 先に知っていたことだった。解読には、博士ドクターにも協力を仰いだ。

 皆は、黙って聞き続ける。

「ただ、心配なのは、以前スイさんがやられた、命中させられてしまった無差別乱射攻撃です。それは、またいつ当たるか、当たらずにやり過ごせるのか、ランダムゆえに、断言などできません」

 鉄子さんが、ちらっとスイの喉の辺りに目をやった。

「そうでしたね。ランダム攻撃を受ける可能性も入れると、早いに越したことはないですね」

「ええ。

 さらに、リハーサル期間を短く設定しないといけない理由がもう一つあります」

 みんな、思い当たる節はないみたいだったけど、

「電気です」

 聞いて、一様にはっとした。

 そうか。エネルギーの問題もあったんだ。

「リハーサル中は節電モードで使い続けたとしても、この星に備蓄されている電力量は、ライブ当日の通常モードの分も入れると、……あと二十日プラスマイナス一日」

 コロンが納得した様子でうなずいた。

「今回は、電力量に合わせざるを得ないんですね。

 リハーサル期間、十七日。

 それが、最適――というか、ぎりぎりの日数……」

 残された電力という切実な理由があるのなら、リハーサル期間が足りないなんて言ってはいられなかった。従うしかない。

 そうして、思いもよらぬ二回目のライブが開催されることになったけど。

 おそらく、いや、絶対。

 うまくいっても、いかなくても。

 次回のライブが、最後になる。OPSにとっての最後のライブ、解散ライブに。

 サイリウムは多めに用意しておこう。そう決めた。

 六曲だから、六本あれば……いや、予備にもう六本。現出しよう。それだけあれば、充分足りるはず。


 ここは常時暗い星空だから意識していなかったけど、今日はもう遅かった――深夜一時を過ぎていた――ので、リハーサルは実質今日の午前九時から、と決まり、博士ドクターは早々にリモートチャージ場所へと引き上げていった。

 ――去り際に、二点、決定事項を告げてから。


      *


「最後にこれだけお伝えして、ミーティングはお開きにしたいと思います。

 リーダーは、前回同様、なしでいきます」

 皆が、揃ってうなずいた。

 リーダーなしは、もうOPSにとっての常識になっていた。

「それから、もう一点だけ。

 エースを誰にするかも、私のほうから指名させてもらいます

 そんなのわざわざ言ってもらわなくても、コロンちゃん以外に誰が――」

 スイの言葉は、博士ドクターによって遮られた。

「いいえ。今回のエースは、コロンさんにはしません」

「えっ」

「えっ……」

 スイ以外からも、ちょっとした驚きの声が漏れた。

「今回のライブのエースは――」

 博士ドクターは、掌を上にした銀色の右手で、メンバーの一人を指し示した。

「えええっ!」

 指された本人が、一番びっくりしてしまっていた。

「あなたです。あなたに、今回のライブのエースをお任せします」

 そう言って、博士ドクターから指名されたのは――。

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