第一章 水晶髑髏伝説 三
「ヘタレさん。一緒に来てくれる?」
選ばれたのは、僕だった。
「確認しておかないといけないのは、酸素量。気圧。あとは、えっと、何があったっけ……」
「コロンさん、心配しすぎです」
人差し指、中指に続いて薬指を立てかけていたコロンの手を、チーズが掌を被せて固定した。
「これまで私たちが接してきた、オーパーツ、エックスパーツ、エックスパーツがトランスフォームしたこのマイクロアースだって。神自身は必要ないのに、人間は、全部の場所で、その内部とか大気圏内で、何不自由なく呼吸も動作もできてきたじゃないですか」
キティラーも、その意見にうなずいた。
「私も、神の体の中とかその上なら、生存はできると思う。
人間に優しい仕様、環境になってるのは、神自身が人間だった頃の名残りなのか、祖先の来訪を予期して、歓迎する態勢を整えてくれているからなのか……。
それはさておき。
エネルギーは、暖時間で戻ってくるなら、問題はない。
あとは、病原菌の類だね。警戒したいのは」
「そこまで気にしてたら、どこへも行けませんよ」
「まあね。
でも、予想と違って、呼吸できなかったりしたら、すぐに引き返してくること。人命最優先。いい?」
「分かってますって」
方位磁針のヘアクリップを揺らし、チーズが勢いよくうなずいた。
二人はそのまま出発の準備に入る。
と言っても、僕のほうでしておかなけれぱならないことは何もなかった。
テレポーテーション――瞬間移動は、チーズの専売特許。チーズだけに与えられた特殊スキル。他の誰も、手助けなんてできない。
キティラーが外した
チーズは、いわば、この光年移動のパイロット。事故でも起こせば、僕たち柔な人間の肉体なんて、一瞬で潰えてしまう。操縦ミスは許されない。プレッシャーは相当なものだと思う。
「いいよ。来て」
指示に従い、チーズの横に片膝立ちで座った。パレオの上から腰に手を回す。
「ちゃんと掴まっててね」
チーズは、僕がうなずいたのを確認してから、宣言する。
「移動します。行き先は、土星域。第三の神のいる地点へ」
裏返したマントの上側の角をそれぞれ両手で持って、頭上に振りかざす。チーズのマントってこんな大きかったっけ、と思うほど広がる。操作マニュアルなんてない中での、直感頼みの発動方法。これがうまくいくから不思議だ。オーパーツ一体型アイドルの成せる業なのか。
セピア色の地図柄で、四方の視界が塞がれていく。
奇妙な感覚。
視界が暗くはならない。
暗くならないと言うよりは、視覚そのものが、他の感覚と混ざってなくなる感じ。視覚の黄ばみと、味覚の甘酸っぱさと、胸に感じる小さな痛みと……。
五感が一体となり、僕の存在が透明になった。マイクロアースから、チーズと僕が消えていく――。
ピリ・レイスの地図の特殊スキルを使い、僕たちは土星域にテレポーテーションする。
到着予定地は、神がいる場所。目覚めた場所。
でも、そこは、
――周囲の視界が一気に目に飛びこんできた。
視覚が、聴覚が、触覚が……。五感が復活してくるのが実感できる。チーズの腰の感触が蘇る。二人の肉体も、気づくと完全に復元されていた。
到着地では、空間に放り出されるものとばかり思っていた。
そうはならなかった。
ここには地面があった。一面、金色をしている。無限に広がる黄金の大地。
二人とも、チーズは立って、僕はチーズの腰にしがみ着いたままの膝立ちの体勢で、倒れずに着地していた。
重力は普通だった。違和感はない。気圧で身体が潰れる、なんてことにはなっていない。
「息、できますよ」
先にそれを確認し、チーズが教えてくれた。
僕は、呼吸を止めたままでいたのを思い出し、マイクロアース以来の空気を吸い込んだ。
「チーズ、体はだいじょうぶ? 痛みなんかはない?」
「私は平気です。ヘタレさんは?」
「僕もだいじょうぶ」
答える声が、小さく、囁くみたいになってしまった。今さらそんなことに気を遣ってもしょうがないとは分かっていなからも。
僕らは、無言で周辺を見渡した。
宇宙の只中に、単独で、地面だけが存在していた。
船の甲板なんかとは桁違いの、広大な平地。四方には、人工的な建造物はいっさいなく、それが遥か彼方まで続いている。平面の巨大空間。地動説の図を立体化した上に立っているみたいだった。
横で、チーズは、くすんだ金色の地面を見下ろしていた。
地面は、凹凸がなく、平坦だった。
何かにに似ている。
「床……マイクロアース」
チーズがつぶやいた。
「えっ。
じゃあ、ここ、この金の馬鹿でかい板が――」
思わず、二人、声がハモった。
「神!」
僕らは、またもや神を足蹴にしてしまっていた。
「この金の地面……床でいいのかな。めちゃくちゃ薄いよ」
足元は、人間が足を乗せていられるのが不思議に思えるほど薄かった。透けている。
思わず爪先立ちになっているチーズ。
「ほんとだ。底、抜けそう」
「怖いこと言わないで」
チーズが肩をそびやかす。体の動きに後れて、マントが波打った。
僕らの下にあったのは、極薄に引き伸ばされた神の姿だった。
ただし、床は硬い。強度はかなりあると見えた。
さすがに、思いっきり踏みしめてみる勇気はないけど。
僕は、もう一度当たりを見渡した。人影がないのは当たり前だけど、物体は、岩の一欠片すら見当たらなかい。
三体目の神は、黄金郷か。
スイがいたなら、〈エルドラド〉とでも名づけただろうか。
「でも、不自然に大きすぎる気がする。広さと薄さの釣り合いがとれてないっていうか……。
ヘタレさんはどう思う?」
「これは、本来の神の姿ではない、ってこと?」
「うん。感覚的にそう思っただけなんだけど。
限界まで叩いて、叩いてを繰り返されて、こうなっちゃった気がするんだ」
チーズの瞳は、哀れな姿になり果てた神に感情移入しているのか、少し潤んでいた。そのせいで、どんぐり眼がより大きく見える。
殺そうとしてやったのか。
そして、ここまでやっても絶命させることはできなかったのか。
「神は、まだ生きているのかな?」
「うーん……。僕も判断はつかない」
「どうやってコンタクトをとればいいの?」
「人間のコミュニケーション方法と同じように、音声のやり取りで通じるとも思えないし、やっぱり意識するしか。念じるしかない気がする」
二人して、語りかけてみる。
「ヘタレさんはどう? 何か感じる?」
「……駄目だ。何も」
念じても、心中で語りかけても、反応はない。
「ほんとに、私たちのライブに反応して起きてくれたのかなー?」
心配になってきたようで、チーズがぼやいた。
「でも、キティラーがそう感知したのはたしかなんだから――」
『目覚めの刺激は事足りた』
何かが聴こえてきた。
いや、見えた。
それもちょっと違う。
震えた。
そう、それだ。
体感できる振動が、言語になって、僕たちに伝わってくる。
二人して、顔を見合わせた。
「聴こえてる?」
チーズが訊いてきた。なぜか小声だ。まばたきも、忘れたようにしていない。
「うん」
僕は、静かに、広げた掌を地面に向ける。
「今は、聴くことに集中しよう」
声は出さずに、チーズは黙ってうなずいた。
神からのメッセージは、まだ続いていた。それは、鼓膜ではなく、腹膜を震わせて、切々と伝わってくる。
『起動スイッチは入った。
あとは……、行動するためのエネルギーがあれば……』
この微々たる信号、弱々しい願いは、キティラーまで届いているのだろうか。
届いていないとしたら、危険を冒してでも、僕たちがここに来た甲斐はあったことになる。
「きゃっ!」
その時、空間の数か所で、何かが破裂した。
チーズが肩をすくめ、叫び声を上げた。
「電気?」
なおも断続的に、周囲で高電圧でショートしたかのような火花が散る。
見ている間にも、火花は確実に僕たち二人に近付いてくる。まずいことに、徐々に精度を上げながら。
「やばい。見つかった――うっ!」
早口でまくしたてる途中で、チーズは、頭から血を吹き飛ばした。
首を斜め上に折り曲げ、明後日の方角を向いてのけ反るチーズ。
「チーズ!」
射撃はそれて終わらなかった。チーズのマント目がけ、五発、十発、さらにまだ……。
「うわああっ!」
辺りを見回したけど、
僕たちが遭遇しているのは、実弾のない機銃掃射だった。見えないマシンガンでめった撃ちにされ、マントは瞬く間に穴だらけになっていく。
身体をねじれさせたまま、チーズは動かない。
「チーズ、しっかりしろ!」
抱き止めようと、僕は、足を踏み出そうとして――。
できなかった。
こんな時に……。
以前も何度か陥ったことのある症状に、また襲われてしまった。
ナルコレプシー――居眠り病みたいな状態。
意識が飛びそうになって、でも僕は、すんでのところで失神するのを免れた。
不甲斐ない。動けないのに、気持ちだけは昂ぶり、体内の血流は活発化し、全身を駆けめぐる。
「だいじょうぶ。まだ意識はある」
気丈に僕にそう伝えてきたチーズだけど、額の右側を流れた血筋は、目尻の窪みにいったん溜まり、そこからまた頬へと滴り落ちていく。
「狙い撃ちだ。
そんな事態に陥れば、待っているのは、二人まとめての一斉射撃。総攻撃。マントと言わず、全身蜂の巣にされるのは目に見えている。
「これ以上ここにいるのは無謀だ。退却しよう」
動くようになった体を引きずり、僕は、慌ててチーズの懐へと飛び込む。
「うん。来て!」
チーズはすぐに呼応して、一声叫ぶや、頭上に、放り投げるようにして裏返したマントを広げる。こめかみから、肩口から、赤い血飛沫が数滴舞った。
僕はチーズの腰にしがみ付く。来た時よりも力を込めて。
こんな穴だらけのぼろぼろになったマントで、うまくスキルが発動できるとは思えなかったけど、迷っている時間はない。やるしかない。
チーズも、それは分かっていた。
「移動します」
見上げる。チーズの真剣な顔と、マントにできた、セピア色の生地の穴を通して、黄金を反射してうっすら黄色く濁った星空が見えた。
穴だらけのプラネタリウムだ。
……こんな時に、ふざけたことを考えてしまった。
「行き先は、マイクロアース」
マントが落ちてくる。
視界から色がなくなる。意識も薄れていく。
消えゆく意識の中、痛みを伴った激しい空気の振動だけが、やけにリアルに実感できた。
破裂。衝動。行き場を失った空気が、辺りを跳ね返りまくって、それでも居場所を見つけられずに、砕け散る。
撃ち抜かれているのは、空気だけで済んでいるとは思えなかった。
衣服が破かれ、ずたぼろにされている――気がする。
肉体が貫かれ、穴だらけにされている――気がする。
僕はいい。僕の体なんて、どうでもいいんだ。
チーズ。チーズは致命傷を受けたのか。
生きているのか。
……死んでしまったのか。
定かではなかった。
延々と繰り返される破裂音。
今、僕たちは、
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