第4章『二人の誓い』

「カイっ!しっかりして!」

壁画に触れたまま崩れ落ちたカイの体を、ルーナが慌てて支える。彼の顔は青白く、まるで魂が抜け落ちたかのようだった。

「……見たんだ……」

「何を見たというのです!?あなた、一体……」

カイは、焦点の合わない瞳で虚空を見つめていた。脳裏には、まだ断片的な映像が焼き付いている。祝宴、杯を掲げる王たち、そして、全てを嘲笑うかのような黄金の光。あれが、神だというのか。


「全部、嘘だったんだ……」

カイは、途切れ途切れに語り始めた。百年前の『紅の月の日』。人族の王は裏切り者などではなく、神に操られた哀れな犠牲者だったこと。十二の王の間に生まれた絆を、神自らが引き裂いたこと。

「そんな……馬鹿な話がありますか……」

ルーナは絶句する。それは、エルフが千年以上にわたって信じてきた歴史そのものを、根底から覆す言葉だった。


「信じられないのは、無理もない。僕だって……信じたくない」

カイの声は、か細く震えていた。

「でも、僕のこの眼は、真実を映したんだ。人族の王の絶望も、他の王たちの悲しみも、そして……全てを仕組んだ神の、冷たい意志も」

「神の、意志……」

「ああ。神は、僕たちを弄んでいるんだ。まるで盤上の駒のように」

その言葉には、確信があった。揺るぎない、真実の色があった。


ルーナは、カイの瞳をじっと見つめた。そこには、嘘も、迷いもなかった。あるのは、あまりに過酷な真実を前にした、深い絶望と、それでもなお消えない怒りの炎。

「……わかりませんわ」

彼女は、ぽつりと呟いた。

「神が嘘をついているなど、考えたこともなかった。けれど、あなたのその瞳は、この森の呪いの真実も見抜いた」

「ルーナ……」

「私は、神の歴史よりも、今目の前にいるあなたを信じます」


その言葉は、カイの凍てついた心に、小さな灯火をともした。

「ありがとう……」

「礼を言うのは早いですわ。それで、これからどうするのです?神が敵だなんて、あまりに無謀ですわよ」

「それでも、行かなくちゃいけない。このまま、神の嘘の中で生きていくなんて、僕にはできない」

カイは、ふらつく体でゆっくりと立ち上がった。


「何か、手がかりはあるのですか?」

「さっきの幻視の中に……王たちが持っていた『証』のようなものが……」

カイは必死に記憶をたどる。

「そうだ、王の証だ。祖父の古文書で読んだことがある。十二の王が持っていたという伝説の宝具。それが、神への道を開く鍵になるはずだ」

「王の証……。確かに、そのような伝承は我が一族にも」

それが、唯一の希望の糸だった。


「ならば、それを探すのですね」

ルーナの言葉に、カイは驚いて彼女を見た。

「君も、来てくれるのか?」

「当たり前ですわ。あなた一人に、そんな重荷を背負わせるわけにはいかないでしょう」

彼女は、少しだけ頬を染めてそっぽを向く。

「それに、この森を救ってくれた恩もありますから。これは、そのお返しですわ」

その強がりが、カイには何よりも嬉しかった。


「待ちなさい」

凛とした声が、遺跡に響いた。現れたのは、里の長老だった。

「長老様……いつからそこに」

「お主たちが、森の呪いを解いた時からじゃ。カイ殿、お主のその眼、そしてその言葉、まことでまことか?」

長老の鋭い視線が、カイの魂を射抜くようだった。

「はい。僕の全てを懸けて」


「……よかろう。信じるに足る」

長老は深く頷くと、懐から古びたブローチを取り出した。美しい葉の形をしている。

「これは、我がエルフ族の『王の証』じゃ。本来ならば、決して他族の者に見せることすら許されぬもの」

「これを、僕に……?」

「お主たちの旅が、この世界の真の夜明けとなると、ワシは賭けよう。ルーナ、カイ殿を頼んだぞ」


「森の祝福が、お主たちと共にあらんことを」

長老の言葉に、二人は深く頭を下げた。

「カイ、準備はいいですわね?」

「ああ、行こう」

ルーナは弓を背負い、カイは脇腹の傷を確かめるように押さえる。痛みはまだ残っているが、不思議と気にならなかった。隣に、信じてくれる仲間がいる。それだけで、無限の勇気が湧いてくるようだった。

こうして、カイとルーナは、エルフの森を後にした。最弱と言われた人族の少年と、孤高のエルフの少女。世界の真実を取り戻すための、途方もない旅が、今、静かに始まった。

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