根のない草

 ​僕の体に、僕じゃない何かがぶら下がっている。それは肉でできた、見知らぬ生き物だ。僕はそいつを『ネナシグサ』と呼んでいる。僕という土壌に、勝手に生えてきた寄生植物。僕の意志とは関係なく、勝手に頭をもたげ、勝手にしなびる。


 ​ネナシグサは、僕の思考を盗む。僕が美しい音楽のことを考えていても、そいつが根を張って、どろりとした考えを吸い上げてしまう。空っぽになった頭に、今度はそいつが考えを吹き込んでくるんだ。『お前は汚れている』と。これは僕の声じゃない。ネナシグサの声だ。


 ​そいつのせいで、外を歩けない。道行く女の人が僕を見ると、必ずクスクス笑う。あの人たちには分かるんだ。僕が何を考えているかじゃない。ネナシグサが何を考えているかが。僕の恥は、僕だけのものじゃない。ダダ漏れなんだ。


 ​重い。鉛のようだ。訛りのある刑事。ネットの掲示板には、僕の悪口が書かれているに違いない。「あいつのネナシグサは腐っている」と。思考がどんどん横道に逸れていく。もうまともなことは考えられない。


 ​風呂場で、そいつを洗う。それは僕の体の一部のはずなのに、他人の犬を洗っているような、奇妙な気分だ。ぼうっとする。この小さな暴君が、僕という国を支配している。かわいそう。乾いている。僕の心みたいに。音だけが繋がり、意味は消えていく。


 ​いっそ、切り取ってしまえたら。ハサミを手に取ったことがある。鏡に映る、怯えた目。奥で嘲笑う、ネナシグサの気配。肉、熱、震え、赤、黒、駄目だ。言葉が途切れる。思考が粉々になる。結局、何もできなかった。


 ​僕はただ、分厚い下着を何枚も重ねて履く。ネナシグサを封印するためだ。これは僕じゃない。これは僕とは関係ない。そうやって、箱にしまったガラクタみたいに、見ないふりをする。


 ​でも、夜になると、そいつは決まって目を覚ます。そして僕の体を内側から揺さぶるんだ。僕という人間は、この意志のない肉の塊を運ぶためだけに存在する、ただの乗り物なんじゃないか。そんな考えが、暗闇の中で静かに根を張っていく。眠れない夜が、また始まる。

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