事実は小説よりも奇なり



 病人が放つ独特の香りが漂う、廊下の突き当たりに、桑重のネームプレートを見つけた。若干の元気を取り戻したように見えた航太くんだったが、病室を前にすると無口になってしまった。


 病院の匂いというのは、それだけで人をぐったりさせてしまうものなのかもしれない。


 僕は航太くんの肩をそっと叩いて「大丈夫?」と声をかける。これで桑重の容態が芳しくなければ、僕はどう航太くんに接すればいいのだろうか、と少し先の未来に頭を殴られる。


 航太くんがゆっくり頷き、扉に伸ばした。白く骨ばった手が微かに震えている。


「ちょ、ちょタンマ!痛いっ痛いっ!看護師さん!」


 中から桑重の声がした。


「消毒はしないといけませんから、我慢してくださいねー。あ、こら!動かない!」


「わかってるけど……!いたたたたたた!足に響く!!」


 航太くんは、目をまん丸にさせて、固まっている。いや、わなわなと小刻みに震えているのか。こんなに心配をかけておいて、扉を開ける前からピンピンしているのがわかるなんて。


 そして航太くんは勢いよく病室の扉を開けた。弾け飛ぶようにして開かれた扉の先には、左足が包帯で巻かれ、吊るされている桑重がいた。


 看護師さんが半ば覆い被さるようにして、腕にガーゼを貼り付けようとしている。


「何してんだよ!」と航太くんが大きな声を出した。


 怒っているのか、泣いているのか、はたまた両方だろうか。扉の音に気づいた桑重は首を伸ばして僕たちの方を見た。まるで救世主を見たような顔になって、それから航太くんの様子に首をかしげた。


「なんだ、泣いてんのか?」


「泣いてねえよ」


「突っ立ってねえでこっち来いよ」


 航太くんは足を進め、桑重の前に立つと、結構な力加減で肩を小突いた。

こちらからでは航太くんがどんな表情をしているのかは伺えなかったが、桑重が眉を下げて


「ちょっと事故に巻き込まれちまったんだよ」


と俯く航太くんの頭をくしゃしゃと撫でた。


「……んだかと思った」


 蚊の鳴くような声で航太くんは呟いた。


「え?」


「死んだかと思った!」


 やけになって大きな声を出した航太くんに、

桑重は目を見開いて驚いていた。


 こんなにも取り乱すとは思っていなかったのだろう「……ごめん。俺だな、俺が悪かった。すまない、心配かけた航太」と落ち着いた声で桑重はそう言った。


 僕も航太くんも、桑重が凪いだようにそう謝るのを見てぽかんとしていた。なんとなく桑重は謝らない男だと思っていたから、度肝を抜かれたのだ。



 いや、違うな。そういえば前にこんなことがあった。



『これみよがしに芝居がかった謝罪なんて、そっちのが罪だっての。SNSで謝罪文を投稿するなんざ、死刑に値するな。それは謝罪じゃなくてパフォーマンスだろうが』と息巻いていた。


 大学のひとつ上の先輩が、三好のことをSNSでからかったことが原因だった。それはまるで小学生がする意地悪のような、くだらないものだったけれど、桑重はそれに酷く腹を立てた。


 ほっときなよと言う三好にも桑重は腹を立てていた。ああ、また事が大きくなるぞと僕は身構え、桑重の動向を見守っていると彼は案の定事を大きくするべく、直接その先輩の元に赴き謝罪を要求していた。


『あいつをからかって憂さ晴らしすんじゃねえよ。他人を自分のストレスの捌け口にすんな、失礼だとは思わないのか、三好に謝れ』と。


 最初は、嫌だよ、めんどくせえな、なんで俺が、と文句を言っていた先輩も、あまりの桑重のしつこさに疲れて『はいはい、謝ればいいんだろ』と最後には白旗を上げていた。


 しかし、その先輩が三好に直接謝ることはなかった。彼はSNSで謝罪文を投稿し、それでまた桑重が怒って、あの物議を醸すSNSでの謝罪は極刑だとかいう発言をしたのだった。


 そうやってぷんぷん怒っていた桑重が求めていた心からの謝罪とはこういうものだったのかもしれない、と僕はふと思った。


 桑重はよく、何考えているか分からなくて、破天荒な印象を持たれたる。まあそれも合ってはいるんだけれど、彼の芯の部分は情に厚くて他人を気持ちを大事にできるそういう男だった。


「いつ退院出来んの」


 ムスッと目を赤くした航太くんが尋ねた。


「今日一通り検査して、なんもなかったら明日出れる」


「そう……。ラクダに蹴られた時より痛い?」


 それを聞いちゃうのか、と航太くんの顔をぶんと見ると、さっきよりも顔色が良くなっていた。そして、何故それを知っているのだという桑重の視線が僕に突き刺さる。


 僕は「桑重が事故に遭わなきゃ、ラクダの話もせずに済んだんだよ」とどうしようもない言い訳を試みる。


「あのくそラクダ、まだ俺は忘れてないからな」


 思い出したように桑重はわなわなとした。


「あいつら……絶対に夜な夜な砂漠に繰り出て、後ろ蹴りの練習してるって。まじで初犯じゃねえ蹴りしてたんだぜ? 見ただろ俺のあの吹っ飛び具合、くそぉ。またラクダに負けるなんて」と拳を握る。


「ところで、何の事故だったの? 車?」


僕が聞くと桑重が苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……ラクダ」


「え?」「は?」僕と航太くんの声が重なる。


「ラクダが入った動物輸送車が目の前で派手に事故って、中から飛び出てきたラクダに……蹴られた」


「それは……」


さすがに嘘だろ、と思った。


「ぷ、ぷくぅくくくふふ」航太くんが口を押えて笑いを堪えていた、いや、笑っていた。


 ああそうか、大人の方便というやつか。桑重もそういうの使えるようになったんだなと感心してしまう。まあ航太くんが笑っているなら嘘でもなんでもいいかという気がしたので、それ以上追求はしなかった。


「気持ち悪い笑いすんなっての。笑うなら笑えよ。すげえだろ、前回は一頭だったのに、今回は三頭にフルボッコにされたんだぜ。ふん」


真っ白のベッドでふんぞり返って、なぜか威張っている桑重に、僕も航太くんも笑うしか無かった。



しかし翌日、朝のニュースを観ていると

『ラクダがこう、ぐわぁっときて、俺の体をばちこーんって蹴ったんだぜ。ピンポン玉みたいに吹っ飛んでよ、それで……』と熱く語る桑重が全国に流されていた。


僕は、ほんまやったんかい、と言わざるを得ない。まるで漫画みたいな男だな、と。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファミレスフレーバー 一寿 三彩 @ichijyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ