第2話
彼は、穂摘の倒れている水たまりのすぐ脇にある樹の大きな洞から姿を現した。
水気をまとった音を立てながら洞から巨大な身体を出すと、彼は転がっている布のかたまりを小さな目で見やった。
大きな顔についた二つの鼻腔に、つんとくる強い匂いが沁みる。なにかしらの薬と生臭さが混じった匂いに双眸を瞬かせて、三歩ほど歩み寄った。
布のかたまりの下には、小さな水たまりがある。彼はそこに用事があったのだ。
赤茶けた布が浸ってしまっている水たまりはわずかにその色に染まっているものの、濁ってはいない。ほっとしたようにグウウと喉を鳴らし、それに手をかけて退かそうとした瞬間、その大きな身体を揺らした。
てっきり布のかたまりだと思っていたそれに、中身があったからだ。
しかし、それがなんなのかわからない。判別しかねて手を当てたままでいると、かたまりがびくっと痙攣した。
――生きている。
そっと手を離し、それをじっと眺める。
なぜこんな山道に落ちているのだろう。周りに人の気配はない。自分でここまで来たとも考えられない。それならば、捨てられたのだろうか。
(気の毒な)
彼は容姿こそ人間が見れば悲鳴をあげるような異形だったが、その心根まで醜いわけではなかった。
死に体の人間を前に悲嘆に満ちた思いを抱くと、彼は大きな手で布のかたまりの下から水を掬った。それを死にかけのかたまりにかける。
――大きさからして、人間なのだろう。こんな布を巻きつけて薬を塗りたくるのならば、捨てずに面倒を見てやればいいものを。
「う……ァー……」
ぱしゃぱしゃと水たまりの水を死にかけの人間にかけていると、呻き声が上がった。
生きているのだと確信した彼は、全身に水をかけ終えると、また動かなくなった人間をそろりと抱き上げた。水に濡れたせいか、それとも布の下で血肉が縒よれたのか、ぬちゃりと音がする。
片腕で人間を抱え、水たまりを覗き込む。
血膿の混じった水は濁っていたが、みるみるうちに透明になり、臭いさえ消えた。それを確認した彼は、腰から下げていた三つの瓢箪に水たまりの水を入れるとようやく腰をあげる。
巨体がそろりと洞に入る。すると次の瞬間には姿が消え、その場にはそう深くもない洞の底と、小さな水たまりだけが残った。
異形の姿も、死を待つだけだった穂摘も、元から存在しなかったかのように消えていた。
(まだ生きているだろうか)
抱いた人間が動かないことを気にしながら樹の洞からのそりと出てきた彼は、ゆったりと道を歩き出した。
少し行くと、山裾に広がる村に出る。家についた彼はどうしようかと迷った末に、動かない布のかたまりを上がりかまちにそっと置いた。
もはやぴくりとも動かないが、どうやら口と思しき布の隙間からは虫の息が漏れている。
(生きている。まだ、一応)
呼吸のたびに口元の布が僅かに動くのを横目で見ながら、引き戸を引いて隣の部屋へと入る。三畳ほどの小さな部屋はすべての壁が引き出しで埋め尽くされており、彼は部屋の隅に重ねて置いてある人の頭ほどのすり鉢を取った。
引き出しは六百ほどもあるが、伸ばす手に迷いはない。部屋をいっぱいにしそうな巨体でぐるりと一周しながら、薬草や茸、木の実を次々に鉢へ入れていく。最後にすりこぎを引き出しから取り出して部屋を出た。
上がりかまちでは、相変わらず荷物のように布のかたまりが転がったままで、意識を取り戻している様子もない。
それを横目に見ながらことりと静かにすり鉢を置き、彼は大きく伸びをした。
梁に手がつくほど伸びをしたと思ったら、するすると体が縮んでいく。やがて六尺ほどの大きさになった。先ほどまでの巨体では狭く感じた家も、そこそこ動けるほどの広さになる。
肩を揺らし関節をこきりと鳴らして、彼は先ほどまでぶよぶよとした巨躯だったとは思えないほど軽やかに畳に座り込んだ。
あぐらを掻いた脚の間にすり鉢を置き、中に折り重なった薬草や実、なんらかの欠片をごりごりと擂る。時折すり鉢をごとごとと叩いては粉末になりつつあるものを底の方に集め、またすりこぎを回すのを五度ほど繰り返すと、様々に入っていたものたちは全て粉となった。
「……」
さらさらとした粉をすりこぎで叩きながら布のかたまりに視線を移す。幸いなことにまだ生きているようだった。
(助かるといいが…)
慣れた手つきで薬粉を作る彼は、名うての薬師だった。
だが薬が効く限度はある。
効果があればいいと願いながら持ち帰った瓢箪を傾けてすり鉢に水を注ぐと、粉と水は互いに滲みこみあい、どろりとした薬液となった。すりこぎで再度かき混ぜて粘度を確かめると、薬師は重々しい仕草で腰をあげ、虫の息で生命を繋いでいるかたまりに寄った。そして、ずるりとした感触をものともせずにゆっくりと布を剥いだ。
「ひぃい――……!」
「すぐ終わるから……」
無体を強いる手から抗うことすら出来ずに、布のかたまりは途切れそうに細い断末魔をあげる。
それを宥めながら、彼は布の下から現れた焼けただれた皮膚に薬液をなすりつけた。
赤黒い肉に濃緑の薬液が付着し、見るに耐えない光景になる。それでも目を逸らさず、ゆっくりと布を剥いでは薬液を塗りつけ続けた彼の家からは、絶えず悲鳴が漏れ続けた。
やがて声が途絶えたのは、すっかり陽が落ちてからのことだった。
細い指先の先まで、締め付けない程度の強さで布を巻きつける。白い布にはすぐさま内側から濃緑が滲み、まだらになった。
「はあ……」
ようやく一連の作業を終えた彼は、気の抜けた呼気を吐いて床に座り込んだ。
目の前には、ぐったりと四肢を投げ出している細い体がある。頭から足の先までところどころ濃緑の滲む布が巻きつけてあり、まるで舶来物の木乃伊のようだった。
しかし、それでも拾った当初よりは相当に見られるようになった。少なくとも人間だとわかるようになったし、器用に口を避けて巻かれた布の隙間からは、静かな呼吸が聞こえていた。
だいぶ落ち着いた様子をしばし眺めていたが、やがて彼は瓢箪から移した水を一滴、ぽとりとその口腔に落とした。それを十回繰り返したあと、薄い布団をかけてやる。やはり傷に響き、緑まだらの木乃伊はびくりと震えたが、それも一瞬のことだった。
すぐに微かな寝息が聞こえる。乱れも殆どなく、途切れそうな気配もない。
ほうと息を吐いて安堵した彼は、座り込んだままそろりと視線を木乃伊の下腹部に向けた。
脳裏には、酷い火傷に覆われた下腹部の様子が浮かんでしまう。けしてやましい下心があったわけでなく、純粋に薬を塗りつけるためだけに触れただけだ。しかしそれすら彼には溜息を吐いてしまうほどに緊張してしまうことだった。
全身が焼け爛れ、元の顔かたちはもちろん性別すら危うかった布のかたまりは、驚いたことに脚の間に二つの性があった。辛うじて火傷が軽かった男性器にもと薬液を塗りたくって布を当てていると、ふと触れてしまった指で気付いたのだ。
守られるようにひっそりとあった花莟は稚く、幸いにも火傷はない様子だった。しかし万が一があってはと薬液を布ですくって塗り、そのまま布を当ててある。それ以上は、触れることも改めて確認することもなかった。
「――ぅ、ァ……」
ふと、木乃伊が声をあげた。見ると、僅かに腕が動いて、元あった場所からずれている。
人間は昏睡しているときは動かないが、睡眠時には無意識に動くようにできている。腕が動いたということは昏倒ではなく、少なくとも眠りに浸っていることだ。
(……よかった)
ひどい状態だったが、助けは間に合ったようだ。
包帯の隙間からぼさぼさと突き出ている燃えかすのような少量の髪の先に少しだけ触れた。
断末魔のような声も隙間風のような呼吸ももう聞こえない。
穏やかな寝息がだけが、ようやく静かになった室内に響いた。
体のどこかがぱりぱりと音を立てて剥がれていくような感覚を覚えて、穂摘はふと目を覚ました。
深夜なのか、目を開けても瞼を閉じている時と寸分違わぬ闇があった。
「ぅぁ、あ……?」
痛いような痒いような、そんな感覚が体中の皮膚を覆っている。ぱりぱりぱさぱさと、体のどこかが剥けている。ふしぎと痛いわけではない。そして、どこの皮が剥けているかがわからない。
なんなのだろうと身体を動かそうとした穂摘は、上手く腕があがらないことに気付いた。
腕だけではない。脚も思い通りにならない。
(なに? こわい……)
四肢は上手く動いてくれず、恐怖と混乱が意識に絡みつく。
誰かいないのかと悲鳴をあげかけたそこへ、聞き覚えのない声が、膜を一枚隔てたようなくぐもりと共に響いた。
「起きたのか? ……動いてはだめだ」
静かな、ゆるやかな低い男の声だ。宥めるように声が響いて、ひんやりとしたものがゆっくりと頭を撫でた。やわらかく大きな感触は、誰かの手のひらのようだった。
(だれ?)
聞き覚えのない声だが、不思議と恐怖はない。
穂摘が口を半開きにしたまま強張っていた体から力を抜くと、いい子だと褒めるようにもう一度頭を撫でられた。
「ちょうどいい、薬を飲もう。さあ、垂らすぞ」
(薬? くす……、あ、おかあの……)
そういえば、母の薬がそろそろ切れる。いつも薬屋に頼んでいるから、声をかけなければ――そう思っていると、薄く開いた口の隙間に冷たい雫が落ちてきた。
飲むほどもない量だが、こくりと喉を鳴らして嚥下すると、またぴちゃりと落ちてくる。うっすらと甘みの混じるそれを十滴ほども飲むと、ようやく雫の落下が止まった。ひんやりと冷たかったそれはほんの少量であったはずなのに、臓腑に染み渡るようだ。
もっと欲しいと口を開いたままでいると、指先がそっと顎を押し、穂摘の口は閉ざされた。
「おしまいだ。また、夕に飲ませる」
(夕? 今は夜じゃない?)
それならば、なぜ視界は暗いのだろう。疑問を抱いて始めて、穂摘はどうやら自分の目許が何かで覆われていると気付いた。
(なに、なんで?)
目を塞いでいる何かを取ろうとした穂摘だったが、とたんに腕から背中にかけて走った激痛に身体を強張らせた。
「ひ…いっ!」
目の裏に赤が閃くほどの痛みが、喉から悲鳴を押し出させる。短い叫びをあげた穂摘の胸に、すぐ傍にいるらしい男が手のひらを当てた。
「落ち着け。大丈夫だ、ゆっくり、息を吸って、……吐いて」
「ひー――ふっ、ふ、うう……」
耳に届く声だけが、激痛と混乱の中から穂摘を引き上げてくれる。
言うとおりに不器用な呼吸を繰り返していると激痛は引きはじめたが、それでもまだびりびりと痺れるような痛みがひどい。
唸りながら震えていると、くいと顎を軽く引かれた。食いしばっていた口が自然と開き、乾いた口内にぽとりと雫が落ちた。
「あぅ、ん、ぐ……」
ぽとりぽとりと落ちてくる水滴が舌を伝って喉に流れていく。それを必死に飲み込んでいるとやがて痛みが緩やかになり、呼吸も整いはじめた。
ふうと大きく息を吐き出す。すると、ほっとしたような声が降った。
「暗くて驚いたんだな。だが、お前は火傷をしているんだ。無理はいけない」
「あェ、ど……?」
(火傷って、どうして……)
現状が理解できなかったのは、ほんの一瞬だった。
やっと落ち着いたばかりの脳裏を、鮮やかな紅蓮が閃く。家中を舐め尽くす炎と、焼けた梁の下に消えた父母の姿。そして、自らの身体を焼いた熱の色だ。
「ぅ、や……やあっ」
思わず悲鳴をあげると、治まったはずの痛みが熱をともなって肌を舐めた気がした。恐怖に全身を震わせると、穏やかな声が上から降ってきた。
「大丈夫だ。大変なものだったが、お前は生きている。大丈夫だ」
囁くような声は、恐慌に震える耳朶にじわりと残る。まだ呼吸は荒いままだったが、どうにか悲鳴が出なくなると、また唇を湿らせるように雫が口腔に落ちた。
「俺は薬師の志郎だ。お前を山道で拾った。お前、名は」
「ほう……ほう、い……ほうい……」
かさかさに乾いて割れた唇は上手く動かず、顎も引き攣れてぎこちない。自らの名前すら満足に言えなかった。
「ほういか。……ほうい、三日四日もすれば、どうにか動けるようにはなるはずだ。それまで不自由だろうが、我慢してくれ」
ぽたりぽたりと調子を崩さずに雫を与える男の落ち着いた声と、口腔を潤す雫の冷たさに、穂摘はこれがが現実だと知った。
先ほど脳裏に閃いた辛い記憶は、紛れもない真実だった。
「っあ、あー……」
じんわりと目の辺りが少し熱くなって、それからひんやりとした。相変らずぱりぱりと肌が剥がれていくような感覚の肌が少し湿る。
自分が泣いているのだと気付いたのは、志郎が頭を撫でてくれてからだった。
「ほうい。大丈夫だ、きっと治る。大丈夫だ……」
発音の足りない名前を、志郎はそのまま覚えたようだった。優しい声は穏やかで、恐怖の記憶をいくらか薄らげてくれる。
肌がどこからともなく剥がれていく感触は相変らず治まらなかったが、目許がひんやりと冷えてくるのを感じながら穂摘は熔けるような眠りに落ちていった。
「しろさん、しろさん。お薬下さいな」
ガタガタと戸が引かれる音と女性の高い声が響いて、穂摘はふと目を覚ました。
拾われ、治療を受け始めてから一週間が経った。その間、穂摘は手厚い看護を受けていた。
志郎は非常に甲斐甲斐しく、一人では何もできない穂摘に粥や汁などを三食食べさせ、食事の後には雫を数滴飲ませるのを厭うことなく毎日繰り返した。それだけでなく体中を巻く布を交換し、新しく薬を塗り、痛みにうめく穂摘が落ち着くまでそばにいた。
他人の看病にも手慣れた様子だが、どうやら志郎は村の中でも有名な薬師のようだとわかったのは、家に様々な人が訪ねてくるからだった。
「しろさーん。おや、いないのかい。あら、ほういちゃん。私のこと覚えているかい?」
(あれ、近い……)
前回彼女が訪ねてきた時もそうだったが、声がすいと突然近寄る。足音も特にしないので、きっと小柄で細身の女性なのだろうと思いながら穂摘はぎこちなく口を薄く開いた。
「あうえあん」
初めて会った時、「お梅だよ」と名乗ってくれた彼女の名前を、穂摘はまだはっきり言えない。それでも彼女は気を悪くするでもなく朗らかな声をあげた。
「ああ、ああ、いいんだよ、無理しないで。ごめんねえ」
「ん、ん」
ぎこちなく首を動かすと、お梅はそれにしてもと呟いた。
「一昨日見たより包帯も綺麗になってきたねえ。加減はどうだい? しろさんはよくしてくれるだろう?」
「ん」
まだ肌は痛むが、一週間前に味わった意識も明滅するほどの苦痛とは比べ物にならない。あの時はこのまま死ぬのだと思っていたが、穂摘の火傷は日ごとに回復している。
喉を鳴らすとお梅はいいわあと手を叩いた。
「きっともっとよくなるからね、頑張るんだよ。そうだそうだ、ほういちゃんが食べてくれるかと思ってね、葛のお粉を買ってきたんだよ。あとで葛湯にして食べさせてもらいなね」
「あいあと、おや、あう」
「ありがとうございます、かしらねえ」
ふふふと笑う声が穏やかだ。顔も形もわからない相手だが、お梅は明るく優しく、口が達者だ。あれこれと話をして穂摘の暇をしばらくまぎらわせてくれたあと、それじゃあと言った。
「そろそろあたしは帰るよ。またねえ、ほういちゃん」
近くから聞こえていた声が、すいと遠ざかる。そしてガタガタと引き戸が引かれ、カタンと戸の閉まる音が耳に届いた。
お梅がいないと、一気に家の中は静まり返る。かわりに外からは子どもの笑い声や、女性たちの井戸端会議、牛の鳴き声や男たちの掛け声が聞こえてくる。
ここは隣村か、それとも重吉におぶわれて登った山の麓の村か。動けない穂摘にわかるのは、生まれ育った村ではないという事だけだ。村にはお梅という女性はいなかったはずだし、志郎のような薬師はいなかった。
耳まで覆う包帯と少しの距離、そして戸板越しに聞こえる鳥のさえずりを聴きながら、穂摘がまたうとうととしだした頃、またガタガタと引き戸が引かれる音がした。立て付けが悪いのか、この家の引き戸はいつもつっかえている。
「ほうい」
「ひよあん」
志郎さんと言っているつもりだが、まだ皮膚が上手くついていない唇では曖昧な発音しか出来ない。おぼつかない口で声をあげると、応えるようにぎしりと床の軋みが聞こえた。
「戻った。具合はどうだ?」
「あい、よう」
「そうか」
一週間も看病してくれている志郎とは、あやふやな発音でも会話が出来るようになった。
まだ長時間の会話は出来ないが、それでも幾度となく繰り返されたやり取りで、「あい、よう」としか発音できなかった声が、志郎には「大丈夫」だとわかったようだった。
「葛の粉……?」
こと、と音がして志郎がぽつりと呟いた。
「おうえあん」
「お梅さんが来たんだな。飲めそうか?」
「うう」
喉を鳴らすと、少し離れた場所でごそごそと志郎が動く音がし始めた。
(これは木の当たる音……薪を入れたんだ。それから、火打石……鍋にお水が入った音……)
穂摘は目が見えていない。瞼を薄く閉じているような感覚はあるが、その上を包帯が覆っているため、開くかどうかもわからない。まだ毎日薬を塗られているので無理に開けるのも怖くて、ずっと閉じたままでいる。
そのため音を頼りにあれこれと想像していると、やがてほんのりと甘い匂いが鼻先をくすぐった。
きし、きし、と床板が軋む音がして志郎の雰囲気が寄った。
(お梅さんは小柄な女の人で、志郎さんは大きな男の人、かな……)
志郎が歩くと、この家の床は必ず軋む。お梅はほとんど音がしない。よほど二人の体格差があるのかと思っていると、目の前に志郎が座ったようだった。
「葛を飲んだら、布を替えよう」
「……んん」
小さく、穂摘は喉を鳴らした。
布を替える。
この一週間、一日に一度必ず行われている治療だ。
最初の二日、穂摘はひたすら激しい痛みと意識に残る熱さに苦しんでいた。そのため、なにをされているかもよくわからなかった。そんな状態の、どこの馬の骨ともわからない人間を甲斐甲斐しく手当てしてくれる志郎には、感謝しきれないほど感謝している。
けれど、意識も保てるようになってきた三日目。ようやく布を替えるということがどういうことか判断できるようになった穂摘は、恐怖と戸惑いを感じながら、ひたすらそれに耐えた。
全身を炎に包まれた穂摘は、それこそ頭から脚の先まで包帯で覆われている。布を変えるというのは、それを全て剥がすことだ。
しかし穂摘が怖れているのは苦痛ではなく、裸体を見られることだった。
(気持ち悪く、ないのかな……)
少し開けた口の隙間に、箸に付着させた葛湯が差し込まれる。起き上がることの出来ない穂摘は、粥もごく少量ずつ、この方法で食べさせてもらっていた。
口腔に入り込んできた甘い気配に舌をゆるく動かして箸を舐めながら、ぼんやりと自分の世話をしてくれる男を思う。
もう一週間も甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる志郎は知っているはずだ。
包帯と薬液に包まれたこの身体に、今は亡き両親と重蔵しか知りえない秘密が隠されていることなど。
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