第11話 闇の跳梁

 メープルリーフが蒼い閃光となって虚空へ消えた後、エリスの空には重苦しい沈黙が残された。

 自警隊の戦闘機隊、その一番機を駆る隊長、ダレス・バンカーは、黒煙を吐きながら旋回する愛機のキャノピー越しに、彼方へ飛び去った白い機体の残像を見つめていた。

「……怪物め。ソルの連中、なんて物つくりやがる。」

 恐怖は去り、代わりにドッと重い疲労感が押し寄せる。彼は震える手でスロットルを緩めると、僚機に向けて通信を開いた。

「全機、攻撃中止。……いや、作戦終了だ」

『隊長? 司令部からは追撃命令が出ていますが……』

「聞こえなかったのか! 相手は宇宙へ逃げたんだ。これ以上飛べば、俺たちが燃料切れで墜落するだけだ」

 ダレスは苛立ちを隠さずに吐き捨てると、さらに通信チャンネルを切り替えた。彼が選んだ周波数は、自警隊の司令部ではなく、エリス公安局の広域緊急回線、それも特定の個人宛のダイレクトコールだった。

『こちら公安局、捜査一課。通信の主を識別できない。所属を明かせ』

 ノイズ混じりの応答に、ガレスは自嘲気味に笑い、ヘルメットのバイザーを上げた。

「俺だ、コウガ警部。……いや、『釣り好きのゲンさん』と呼んだ方がいいか?」  一瞬の沈黙の後、相手の声色が公務の硬さから、驚きと呆れを含んだものに変わる。

『ダレスか? お前、まさか……今、アスラ上空を飛んでいる未確認機に乗っているのか?』

「ああ。悲しいことにな。……なぁゲンさん、今度の日曜、いつもの入り江でカジキ釣りに行く約束、まだ有効か?」

『……バカを言うな。航空法違反に公務執行妨害、テロ未遂だぞ。釣り竿の代わりに手錠が待ってる』

「違いない」

 ガレスはコクピットから、眼下に広がるアスラの美しい湾を見下ろした。

「俺たちは踊らされてただけだ。あの白い機体が命がけで落としていった物資……あれは本物のワクチンなんだろ? 俺たちは、とんでもない過ちを犯すところだった」

 彼は深く息を吐き、覚悟を決めた声で告げた。

「全機を率いて、貴局指定の飛行場へ着陸する。司令官ジャマル・シンの命令書と、これまでの通信ログも全て提出する。……だから頼む、若い連中の罪は軽くしてやってくれ。何も知らずに従っただけなんだ」

『……分かった。誘導ビーコンを出す。大人しく降りてこい、ダレス』


 その頃、アスラ・ガーディアン基地の司令室。

「おのれ、逃げられただと!? 役立たずどもめ!」

 ジャマル・シンは、通信を絶った戦闘機隊への罵詈雑言を撒き散らしながら、執務室のデスクを拳で叩きつけていた。モニターにはノイズが走り、彼の王国が崩れ去る音が聞こえるようだった。

「司令、落ち着いてください。まずは一杯、気を鎮めて……」

 側近の部下が、恭しい手つきで琥珀色の液体が満たされたグラスを差し出した。 「ああ、よこせ!」

 ジャマルはそれを引ったくるように受け取り、一気に喉へ流し込んだ。強いアルコールの刺激が食道を焼き、苛立ちを一時的に麻痺させる。

「見ておれ……私はまだ終わらん。『あの方』からの支援さえあれば、この程度の失態……すぐに挽回してやる……」

 虚勢を張りながら、彼は革張りの椅子に深く沈み込んだ。だが、数分もしないうちに、強烈な睡魔が泥のように彼の意識を覆い始めた。視界が歪み、手からグラスが滑り落ちる。

「な……に、を……貴様……ら……」

 薄れゆく意識の中で彼が見たのは、冷ややかな目で見下ろす部下たちの姿だった。

「もう終わりですよ、司令。これ以上、我々を巻き込まないでいただきたい」

 次にジャマルが目覚めたとき、彼を包んでいたのは執務室の豪奢な空気ではなく、冷たく無機質な振動だった。

 重い瞼をこじ開けると、そこは狭く薄暗い箱の中。両手首には重い感触――磁気手錠が食い込んでいる。

「……ここは……?」

「お目覚めかね、元・司令官殿」

 鉄格子の向こうから、コウガ警部の低い声が響いた。

「ここは公安局の重装護送車だ。君の部下たちが、丁寧に君を梱包して引き渡してくれてね。おかげで手間が省けた」

「な、なんだと……!? 私はアスラの守護者だぞ! 弁護士を呼べ! これは不当逮捕だ!」

 喚き散らそうとするジャマルだったが、コウガが掲げた端末を見て言葉を失った。そこには、彼の部下たちが提出した違法活動の証拠データと、彼自身の裏帳簿が映し出されていた。

 ジャマルは口をパクパクと開閉させた後、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 護送車の窓、その防弾ガラスの向こうでは、彼が支配しようとしたアスラ開拓地区の街並みが、何も変わらず遠ざかっていくだけだった。

 エリスでの一連の事件は、リヴェラ星系に潜む深い分断の兆候に過ぎなかった。レギュレーターが去り、人類に委ねられた「自由」は、異なる思想や利権が衝突する混沌を生み出していた。

 首都アシュマルの一等地、高級ホテル「アスモ・グランド」。その最上階にあるバンケットホールでは、政治団体主催の華やかなパーティが幕を閉じたばかりだった。

 クリスタルのシャンデリアが放つ柔らかな光の下、着飾った紳士淑女たちが笑顔で握手を交わしている。だが、その笑顔の裏には、ドス黒い思惑が渦巻いていた。  会場の去り際、恰幅の良い男が、尊大な態度で主催者に握手を求めながら、隣に控える男に声をかけた。

「今日の根回し、見事だったぞ、ヤシン。お前がいると仕事が早い」

 男の名はヴィクター・ヴォルコフ。地球至上主義を掲げる排他主義者グループのリーダー格であり、通称「W」と呼ばれる影の実力者だ。

 その言葉を受け、ヴォルコフの秘書であり右腕でもあるヤシン・パテルは、感情を殺した完璧な笑みを浮かべ、深く頭を下げた。

「お褒めにいただき光栄です。すべてはヴォルコフ様の偉大な理念のため」

 スマートな身のこなしでヴォルコフをエスコートし、地下駐車場で待つ専用リムジンのドアを開ける。主人が重い腰を後部座席に沈めるのを見届けてから、ヤシンは運転席へと滑り込んだ。

 彼の今日の真の目的は、ヴォルコフの名を利用し、将来自分の駒となる政財界の有力者たちと繋がりを作ることだったが、その野心を誰にも悟らせはしない。

 車が静かに走り出し、夜のハイウェイへ滑り込むと、後部座席のヴォルコフは先ほどの紳士的な仮面をかなぐり捨て、顔を醜く歪めて嘲笑した。

「フン、ジャマル・シンは拘束されたか。所詮は田舎の小悪党、口先だけの無能者が!」

 彼は窓の外を流れるアシュマルの夜景を睨みつける。

「あの作戦の失敗は痛いが、ワクチンなど一時しのぎに過ぎん。我々は違う。我々は地球圏の反レギュレーター組織の正統な後継者だ。残党のネットワークを活かし、次はもっと大規模に動く。この星系を掌握し、レギュレーターに汚染された者どもを排除し、いずれは母なる地球に凱旋するのだ!」

 ヴォルコフの瞳には、狂信的な光が宿っていた。

 ヤシンはハンドルを握りながら、バックミラー越しに主人を冷ややかに一瞥する。

『ワープゲートも崩壊しているというのに、地球だと? 何光年離れていると思っている。千年かけても辿り着けるか怪しい場所に、どうやって帰るつもりだ。……だが今は、この男の金と人脈が必要だ。俺が実権を握るまで、この壮大な妄想に付き合ってやる』

 車内には、ヤシンが密かに仕掛けた複数の超小型カメラとマイクが、ヴォルコフの不用意な発言を一言漏らさず記録し続けている。

 ヴォルコフは、ヤシンの沈黙を忠誠の証と受け取ったのか、独りごちるように続けた。

「アスラの山岳地帯に、未申告のレアメタルと金鉱脈があるのは確認済みだ。それを独占採掘し、我々の新たな軍資金とする……そのために地区を支配する完璧な計画だったのだ。浄水システムに僅かな細工を施し、住民を緩やかな体調不良に追い込んで我々への依存を高めるはずが……まさか想定外の変異ウイルスが混入し、あんなパンデミック騒ぎになるとはな」

 彼は忌々しげに舌打ちをした。

「住民の恐怖に乗じた自警隊の暴走が、私の計画を台無しにしおった。だが、鉱脈の権利書はまだダミー会社を通じて我々の手の内にある。万一失敗したところで、我々にはまだいくらでも手はあるのだよ、ヤシン」

 ヴォルコフは身を乗り出し、声を潜めて囁くように言った。

「レギュレーターによる大移住の混乱に乗じて、奴らの厳重な監視網を潜り抜け、密かに地球から持ち込んだ反体制組織の『遺産』がな。旧大国が冷戦時代に蓄えた兵器の設計図、精神を高揚させ恐怖を消し去る非合法の薬物、そして大衆を扇動し支配下に置くための組織化のノウハウ――これらを使えば、次なる混乱を仕掛け、星系全体を掌中に収めることなど造作もない」

 そこまで一気にまくし立てると、彼はふと我に返ったようにシートに背を預け直した。

「しかしまずは身の安全だ。あの騒ぎで公安の目も厳しくなるだろう。策は講じているが油断は出来ん、一度『裏』に潜るべきだな……」

 ヤシンは表情一つ変えず、穏やかに相槌を打つ。

「おっしゃる通りです。すべてはボスの計画通りに進むでしょう。潜伏先の手配も、すでに完璧に進めております」

 だが、フロントガラスを見据えるヤシンの瞳の奥には、氷のような冷徹な決意が宿っていた。

『この老人の妄想に乗じ、地球から持ち込まれた兵器の情報、組織の秘密……そのすべてを奪う。実権も、隠し資産も、このヴィクター・ヴォルコフという男の全てが、いずれ私のものになる』

 ヤシンはわずかに口角を上げ、アクセルを踏み込んだ。

 黒塗りのリムジンは、煌びやかな光の都市から、より深い闇の底へと滑り込んでいく。

 リヴェラ星系に渦巻く陰謀は、まだその一端を見せたに過ぎなかった。

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