第9話 空の狂舞
その頃、地上の飛行場――アスラ・ガーディアン基地司令室は、鳴り響くけたたましい警報音と怒号が入り乱れ、嵐のような混乱に陥っていた。メインスクリーンに映し出された広域レーダー。その中央で点滅する一つの光点――メープルリーフが、信じがたい速度で基地めがけて一直線に突っ込んでくる。
司令官ジャマル・シンは、恐怖に引きつった顔でスクリーンに釘付けになっていた。『なぜだ!? なぜこちらに向かってくる!? ただの往還機と聞いていたのに! 試作機ということは、まさかステルス機能を持った新型の攻撃機なのか? 爆弾でも積んでいるというのか? このままでは基地ごと吹き飛ばされて殺される!』
最悪の妄想に囚われパニックに陥った彼は、裏返った声でマイクに絶叫した。
「迎撃機は何をしている! 早く撃ち落とせ! 命令だ、さっさとあの機体を鉄クズに変えろ!」
その狂乱じみた命令に、部下の一人はレーダーを見つめたまま呆然と呟くだけだった。
「正気か…? 未確認機とはいえ、いきなり撃墜などしたら外交問題に…」
一方、上空でメープルリーフを追う自警隊の戦闘機パイロットたちは、ターゲットの異常な挙動に完全に翻弄されていた。
「目標、進路変更! 基地へ向かってる!? なんだこの無茶苦茶な動きは!」 リード機のダレスの声が、恐怖と混乱で震える。彼らは高額な給金に釣られて契約した元遊覧飛行士たちで、命のやり取りをする実戦経験など皆無だ。僚機からも悲鳴に近い通信が入る。
「隊長! 警告を無視して突っ込んできます! 自爆テロか!?」
彼らの乗る機体の民生用AIは、搭乗者の身体への負担を抑える安全リミッターが最優先に設定されており、常識外れの急激な機動変更には設計上対応しきれない。
「本当に攻撃してくる気か…!? くそ、もういい! やられる前にやる!」
恐怖に駆られたダレスがマニュアルでトリガーを引いた瞬間、AIが無感情に告げる。
『目標を正面に確認。レーザー砲、発射準備シーケンスを開始します』
その頃、メープルリーフのコクピットは、機体の心臓部であるRIFエンジンが発する低く唸るような振動で満たされていた。血流を制御し凄まじい加速に耐えるための高圧Gスーツが、ギムリーとダンの身体を万力のように締め付け、機体と神経を接続するBMIが、翼やノズルの挙動をまるで自身の肉体の一部であるかのように脳へ直接伝えていた。
「ダン、高度と速度、このまま固定だ! 強烈なGが来るぞ、歯を食いしばれ!」
ギムリーの鋭い声が響く。
「了解! 奴らをギリギリまで引きつけ、一気に撹乱する!」
ギムリーが操縦桿を握りしめた瞬間、メープルリーフは空を蹴り上げた。まるで猛禽が獲物を翻弄するように、天に撃ち出された槍のごとき急上昇から、一気に機体を反転させて錐揉みしながら降下する。機体後部のRIFエンジンの可動ノズルが青白い光を激しく噴き、物理法則を嘲笑うかのようなありえない角度で機体を捻じ曲げた。衝撃波が地上の平原を揺らし、翼の先端が湿った大気を切り裂き、白い水蒸気の尾を長く引いた。
夕陽が赤く染める雲海を縫うように滑空し、困惑する迎撃機をあえて至近距離に誘い込む。
「ハハ! 連中の古臭いAIじゃ、俺たちの動きにはついて来られねえぜ!」
だが、ダンの目は冷静にモニターの警告表示を捉えていた。
「油断するな、ギムリー! 敵機からレーザー照準の反応だ。奴ら、撃つ気だぞ!」
自警隊の戦闘機は、改造された採掘用レーザー砲を虚しく放つが、その光の槍は、変幻自在に舞うメープルリーフの幻影を掠めることすらできない。
「当たらない、なぜだ!」
「あいつ、俺たちの射線を見切っているのか!?」
通信回線は、もはや絶叫で埋め尽くされていた。AIが『警告! 目標の機動パターン、既存データに該当なし!』『レーザー、鏡面冷却装置不調、連続使用不能!』と電子的な悲鳴を上げ、ダレスたちは完全なパニックに陥る。
「ギムリー、右翼後方から新たな熱源反応! 回避しろ!」
ダンの警告に、ギムリーは即座に反応した。機体はまるで水面を滑る石のように高度を下げ、アスラ湾を猛スピードで飛行する。凄まじいGフォースが全身を圧迫し、視界の端が血の色にじわじわと赤く染まっていく。
軌道上のカーディナルCICでは、ミナコが冷静に戦況を分析し、指示を出していた。
「敵迎撃機は3機。レーザー砲は連続使用で故障寸前ね。…イチカ、偽装信号の準備は?」
「いつでも行けます! 敵のレーダーシステムを情報の洪水で飽和させます!」
海面からメープルリーフは再び急上昇。RIFエンジンが最大出力で咆哮し、眼下に広がる雲海を爆発的に突き抜けていく。それに対応できない迎撃機のAIが、ついに最終警告を発した。
『敵機の挙動予測不能! 衝突の危険あり! 安全距離の確保を最優先してください!』
その声は、ダレスたちのなけなしの戦意を完全に打ち砕いた。
「今だ、ダン! 奴らを完全に振り切るぞ!」
「敵機、完全に後方へ離れた! 一気に上昇する!」
メープルリーフは機首を天に向け、大気圏離脱のため弾丸のように垂直上昇を開始する。大気との摩擦熱で機体の先端が真紅に輝き、衝撃波が再び地表を揺らす。空に刻まれた一本の雄大な航跡を残し、呆然とする戦闘機の追跡を完全に振り切った。
ダレスたち自警隊のパイロットは、レーダーから急速に消えていく光点を、なすすべもなく見送るしかなかった。
「……なんなんだ、あの怪物は」
カーディナルのCICでは、イチカが安堵と興奮の入り混じった歓声を上げた。
「自警隊機、反応消失! 追ってきません!」
ミナコが管制卓に手をつき、小さく頷く。
「偽装信号で敵のレーダーを飽和させたわ。ギムリー、もう邪魔は入らない。演技は終わりよ、機体を通常の投入角にもどして大気圏を離脱しなさい」
モニター越しにアミラが微笑む。
「見事な操縦だったわ、ギムリー」
『ハハ! このお嬢さんの本気、連中に見せつけてやったぜ! 次は宇宙の果てまでひとっ飛びだ!』
ギムリーの高揚した声がCICに響き渡る。メープルリーフはエリスの薄青い大気圏の最後の層を抜け、母艦が待つ漆黒の宇宙へと突き進んでいった。
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