第8話 捕捉

 惑星エリスの淡い青色に染まる大気層。その只中を、メープルリーは高度1500メートルまで高度を下げ、滑るように翔けていた。

 投下作戦という針の穴を通すような難事を終えたコックピットには、物理的な計器盤の類はほとんど存在しない。シンプル化されたキャノピー内では、パイロットのギムリー・アリソンが、操縦用グリップを握りしめていたグローブの指を一つずつ解き、ヘルメットの中で重く、長い息を吐き出した。

「ふぅ……。よーし! これで肩の荷が下りた。あとは宇宙(そら)に上がってカーディナルと合流するだけだ!」

 張り詰めていた空気が緩み、弾んだ声が響く。隣席のダン・ヴァンキッシュは、ヘルメットのバイザー裏に投影される膨大な情報を注視したまま、冷静に応じた。

「ああ。投下カーゴからのテレメトリ、正常。ミナコの書いた筋書き(シナリオ)通り、自警隊のレーダーも『システムの誤作動』として処理されたようだ」

 キャノピー、そして透過表示された視界の向こうに広がるのは、主星の輝きを浴びてエメラルドグリーンに煌めくアスラ湾の絶景だった。

 眼下では、作戦ポイントに着水したカーゴが美しい波紋を広げている。

 着水の瞬間、設計通り外装コンテナが粉々に砕け散り、内部の耐圧ワクチンポッドが単体で海中へと沈降していく。深海より忍び寄った水中ドローンがそれを素早く回収し、沿岸の闇に潜む協力者へとリレーする。

 一方、抜け殻となったカーゴ本体には、これ見よがしに接近した偽装監視船のクレーンが伸びていた。「演習用ダミーの回収」という茶番を演じ、周囲の目を欺くための仕上げだ。

 危機は去り、希望は託された。その光景は、戦火の予感を忘れさせるほどに穏やかで美しかった。

 その頃、遥か頭上、惑星軌道上の母艦「カーディナル」のCIC(戦闘情報センター)では、作戦の成功を見届けたミナコ・サトウが次なる指示を下そうとしていた。

「投下ポイント着水、及び回収フェーズへの移行を確認。ギムリー、ダン、素晴らしい腕前だったわ。直ちに離脱シーケンスへ……」

 その時だった。オペレーター席のイチカ・ナイトウが、跳ね上がった警告音と共に悲鳴のような声を上げた。

「レーダーに感あり! 急速接近する熱源を探知!」

 戦術モニター上の静寂だった空域が、毒々しい赤色のアイコンで塗り替えられる。

「戦闘機クラスの反応、複数! 発進地点は先程の未登録飛行場! 低空から急上昇中、ベクターはメープルリーフへ直結しています! 拿捕、あるいは撃墜行動と推測!」

 CICに氷のような緊張が走る。だが、主任分析官のアミラ・ノエルは、流れるデータを瞬時に読み解き、冷静さを崩さずに言った。

「慌てないで。シグネチャ照合……敵機は旧世紀規格のジェット推進機よ。最新鋭のRIFエンジンを搭載したメープルリーフが本気を出せば、大気圏外へ逃げ切ることは造作もないわ」

 しかし、ダンが指先一つで空間に展開させたホログラムの航路図は、無情な現実を示していた。

 赤い警告エリアの中心を、帰還のための最短ルートが貫いているのだ。

「機動力差は明白だが、位置取りが最悪だ。このまま直進して離脱すれば、軌道角がズレて南極側へ弾き出される。燃料消費を抑えてカーディナルと会合できる唯一のウィンドウは……くそッ、あの飛行場の真上を抜けた先か」

 通信回線越しに、ノイズ混じりのミナコの声が重なる。

『ダンの言う通りよ。最も生存率の高い帰還ルートは、敵の喉元――基地のレーダー圏内を強行突破するコースしかないわ』  絶体絶命の窮地。だが、それを聞いたギムリーの口元には、獰猛で不敵な笑みが刻まれた。彼にとってこの状況は、危機ではなく、自らの技量を示すための檜舞台に映ったのだ。

「フッ、上等じゃねえか! どうせ通らなきゃならない道なら、コソコソ逃げる義理はねえ。派手な挨拶をしてやろうぜ!」

 ダンが呆れたように眉を上げ、ため息交じりに首を振る。

「正気か? 相手は腐っても武装した戦闘機だ。こちらは丸腰の往還機だぞ。下手に刺激すれば……」

「その『誤解』を逆手に取って、特等席のショータイムを披露してやるのさ!」

 ギムリーはバイザーに映る敵影を睨み据え、高らかに宣言した。

「連中の錆びついたレーダーに、俺たちの本当の姿(スペック)を焼き付けてやる!」

「……全く、君という奴は」

 ダンは短くボヤくと、即座に思考を切り替えた。彼の指先が、何もない空中で光の粒子を弾くように素早く動く。エアタッチ操作に呼応し、いくつものホログラムウィンドウが次々と展開され、機体制御のリミッター解除コードが打ち込まれていく。 「サポートする。推力偏向ノズル、最大角までアンロック。姿勢制御スラスター、戦闘機動モードへ移行」

 相棒の覚悟を受け取ったギムリーが、グリップをぐっと握り込む。

 メープルリーフが巨大な前進翼を翻し、空気を切り裂いて急旋回した。目指すは天頂ではなく、あろうことか敵の本拠地――自警隊基地の方角だ。

 雲を突き抜け、敵影を肉眼で捉えた瞬間、システムAIの無機質な合成音声がコクピットに警報を響かせた。

『警報:未登録航空機、複数接近。距離3000。外観形状より戦闘機と推定。両翼ハードポイントに光学系兵装の熱源反応』

「へぇ、いっちょ前に編隊を組んでやがる」

 ギムリーが面白そうに口笛を吹く。

 拡張視覚によって拡大表示されたのは、空気力学を無視したような武骨なシルエットを持つ、双発エンジンの機体だった。リサイクル燃料の不完全燃焼による黒煙を長く引き、機体をガタガタと震わせながら上昇してくる様は、まるで空飛ぶ鉄屑だ。

「大昔のドッグファイト用戦闘機のデッドコピーだな」

 ダンが冷徹に分析する。

「翼下のポッドは……採掘用のレーザーカッターか何かを無理やり転用した代物だ。照準精度は期待できないが、直撃すればタダじゃ済まないぞ。……油断するなよ、ギムリー」

 ギムリーはシートに深く体を預け直し、コンソール上の仮想スロットル・バーを指先で一気に押し上げた。RIFエンジンが唸りを上げ、機体後方から蒼白いプラズマの炎が噴き出す。

「任せとけ! ここからが本当のショータイムだ!」

 コクピットを、心地よい緊張感が支配する。

 避けられないはずだった死の航路が、今、空の無法者たちへの強烈なカウンターと、最高の見せ場へと変わろうとしていた。

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