第6話 予期せぬ脅威

 エリスの濃密な大気圏へ、強襲汎用輸送機ASX-02 メープルリーフは、その楔形(ウェッジ)のウェーブライダー形態で、まさに燃える矢のごとく突き刺さった。  大気圏突入モードへの移行と共に、横長のキャノピーは分厚い装甲シャッターによって閉ざされる。だが、パイロットたちの視界が閉ざされることはない。瞬時に内壁全面がパノラマモニターへと切り替わり、外部センサーが捉えた映像が、あたかもガラス越しであるかのように鮮明に投影されるからだ。

 機首にまとわりついた断熱圧縮空気がプラズマと化し、モニター越しの視界を真紅の奔流が埋め尽くす。凄まじい振動が機体フレームを軋ませ、ホログラムで展開されたマルチモニターには、警告を示す赤色のウィンドウが幾重にも重なってポップアップしていた。

「――ッぐ…!」

 パイロットのギムリー・アリソンは、奥歯を食いしばり、うめき声を漏らすのがやっとだった。旧来の物理スイッチではなく、空中に投影されたエアタッチスイッチへ伸ばしかけた手が、強烈なGによって重りのように押し下げられる。内臓が背骨に張り付き、呼吸すらままならない。

 全身の血液が下半身へと落ちていく感覚(ブラックアウト)に抗いながら、ギムリーは視界の隅から色が失われていく恐怖と戦っていた。これが、ミナコが描いたシナリオ――計算ずくの「無茶な突入角度」がもたらす現実だった。

 隣の席では、コパイロットのダン・ヴァンキッシュもまた、沈黙を守っていた。彼は並列配置された座席で、電子戦およびシステム制御用のコンソールを睨みつけ、意識を保つことに全神経を集中させている。いつもの軽口を叩く余裕など、今の二人には微塵もなかった。 やがて、狂乱のピークが過ぎ去る。熱遮蔽シールドがその役目を果たし、機体をハンマーで叩くような衝撃が徐々に和らぎ、肺を圧迫していたGがふっと軽くなった。モニターの映像からプラズマの赤色が薄れ、ようやく深く息を吸い込むことができる。

「か…っ、は……! くそっ、死ぬかと思ったぜ…!」

 ギムリーはヘルメットの中で荒い息を繰り返し、ようやくそれだけの言葉を絞り出した。

 モニター全面に、本来の空の色――エリス特有の深い藍色が戻ってくる。その眼下には、雲の切れ間から広大な大地が姿を現し始めていた。

 惑星を斜めに貫く巨大な「斜海」からの湿った風が、南大陸の高い山々にぶつかり、雲海を作っている。その彼方に見えるのは、白い雪を頂くアルベス山脈。まるで大地の背骨のように連なるその麓には、深緑の針葉樹の海が広がっていた。

「…機体各所の応力、許容範囲内。バイタルも安定している」

 ダンが冷静な声で報告するが、その声にも隠しきれない疲労が滲んでいた。

「ふう、ミナコさんの筋書きは、役者の命を削るな」

「ハハ…そいつは同感だ」

 ギムリーは悪態をつきながらも、その口元にはいつもの不敵な笑みが戻っていた。彼は眼下に広がる南大陸の壮大な景色を見下ろす。

「だが、見てみろよ、ダン。この景色は、特等席のチケット代ってわけだ」

 プラズマのヴェールが完全に晴れ、メープルリーフは安定した亜音速飛行へと移行した。目指す先は、大陸南東端。旧火山のカルデラ群を利用した、アスラ開拓地区だ。

「しかし、本当に自警隊の連中は戦闘機なんてもんを持ってるのかね。噂が本当だとしたら、一体どこに隠してるってんだ」

 景色から目を離し、ギムリーは作戦の核心に話を戻した。

「ああ。大規模な飛行場でもない限り、ジェット戦闘機の運用は極めて難しい。だが、万が一ということもある。我々が想定していない方法を使っている可能性は捨てきれない」

 その時、軌道上のカーディナルCICから、ミナコの凛とした声が通信回線に乗って響いた。

「二人とも、無駄話はそのくらいにして。メープルリーフはまもなく地上の早期警戒レーダーの探知範囲に入るわ。シナリオ通り『システムの不調』を演じなさい」

 CICでは、イチカが緊張した面持ちでデータモニターを見つめていた。

「大気圏突入時の機体負荷、想定値ギリギリでした…! これで『軽微な異常』の演出なんて、心臓に悪すぎます…!」

 隣で、アミラが穏やかに微笑みながらフォローを入れる。

「大丈夫。あの二人が過去に引き起こした本物のトラブルに比べたら、これでもずいぶんと『安全運転』な方よ」

「了解、ミナコお嬢さん!」

 ギムリーは不敵な笑みを浮かべ、再び操縦桿を握り直す。

「観客を退屈させない、最高にスリリングなトラブルを見せてやるさ!」

 目標空域に到達したメープルリーフは、大気圏内航行モードへと変形(トランスフォーム)を開始した。

 機体両舷から前進翼が展開され、機首のカナード翼が最適な角度へと調整される。これらがエリスの分厚い大気を掴み、莫大な揚力を稼ぎ出すのだ。

 後方のRIF(回転慣性融合)エンジンの反応炉内では、高速回転による慣性閉じ込めによって超高圧に達したプラズマが制御されていた。推力偏向ノズルが動き、爆縮的なエネルギーを帯びた蒼炎を吐き出しながら、姿勢制御スラスターがあえて不安定な噴射を繰り返す。

 超音速飛行に伴うソニックブームを巧みに抑制しつつ、機体は見るからにぎこちない挙動で減速を開始した。

「よし、この減速率と機体のふらつきなら、地上レーダーには『制御不能になりかけた機体を必死に立て直している』ように映るはずだ」

 ダンがホログラム上のグラフを確認し、安堵の息をつく。

 まさにその時だった。

 システムAIが、これまでとは質の違う、鋭い電子警告音(アラート)を発した。  <警報:ルート前方に未登録の飛行施設を検知。既存の星系データベースに不一致。周辺状況から、地方自警隊の違法拠点と推測>

「マジかよ!? こんな山の中に飛行場だと?」

 ギムリーが驚愕の声を上げた。

 メインモニターのパノラマ映像に、AIが解析した地形データがオーバーレイ表示される。

 場所はアスラ地区「沈港湾」へ続く扇状地の外縁。カルデラの外側に位置する広大な荒れ地を切り開いたその場所に、明らかに人工的な、簡素な格納庫群と真新しい滑走路が映し出されていた。

 滑走路は短く、あくまで急造のものだが、確かにそこに存在する。その向こうには、黒い火山壁に囲まれた「緑の円盤」――アスラ地区の盆地が静まり返っているのが見えた。

「事前情報に全くなかった…! いや、噂は本当だったんだ。俺たちの懸念していた『万が一』のケースが、最悪の形で起きたな」

 ダンの冷静な表情に、初めて焦りの色が浮かぶ。

 窓の外に広がる、レギュレーターが遺した雄大な自然の中に、その隠蔽された基地は、まるで健康な肌に刻まれた醜い傷跡のように、不気味な存在感を放っていた。 「ミナコ! 新たな飛行場を確認した! 封鎖区域のすぐ近くだ! どうする!?」  ギムリーが叫ぶ。だが、ミナコの返答は、氷のように冷静だった。

「落ち着きなさい。好都合よ。それもシナリオに組み込むわ」

「なんだって?」

「直ちに管制に報告。『システムへの外部干渉により、ナビゲーションに座標誤認が発生。未登録飛行場を視認したため、現在、緊急着陸の可能性も含めて正規ルートへの復帰を試行中』と、そう伝えなさい。相手に『見られた』と思わせることで、逆に手出しできなくさせるのよ」

 ギムリーは瞬時にその意図を理解し、即座に役者の顔へと切り替わった。

「こちらメープルリーフ、エリス中央管制へ! 依然としてシステムへの外部干渉により座標に誤差あり! 現在位置にて未登録の飛行場を視認……緊急事態につき、システムの復旧と正規ルートへの復帰を試行中! 衝突回避のため空域を占有する!」

 管制からの混乱した短い応答を尻目に、メープルリーフは滑走路の真上を、まるで風に翻弄される木の葉のように、不安定な軌道を描いて通過していく。

 モニター越しの一瞬、基地の全容が目に飛び込んできた。

 ジェット戦闘機の運用に特化した短い滑走路。プレハブを繋ぎ合わせたような粗末な格納庫。対空砲や本格的な防衛設備は見当たらない。だが、格納庫の隙間から見えたのは、間違いなく軍用機のシルエットだった。

 まさに、隠密に建設された違法な武装拠点。

 間一髪の偽装工作に、コクピット内には張り詰めた緊張が走る。

 ダンが、乾いた笑いを小さく漏らした。

「さすがだな、ギムリー。あの高度で失速寸前の挙動、本当に墜落するかと思ったぞ。見事な演技だった」

「ハハ、このお嬢さんの調子も最高なのさ! さあ、本番の舞台まで、もうひとっ飛びだぜ!」

 メープルリーフはRIFエンジンの出力を上げ、黒い火山壁を越え、鏡のような湖を抱くアスラ地区「沈港湾」へと機首を向けた。

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