第4話 航行中の異変
漆黒の宇宙を、メープルリーフは滑るように進んでいた。RIF推進特有の、低く静かな、しかし骨の髄に響くような振動がコクピットの空気を満たしている。
パイロットシートの正面、広大なホログラム・メインモニターには、息を呑むほどに美しい惑星エリスの全景が浮かび上がっていた。
それは、ただの青い星ではない。緑豊かな大陸を、鮮烈な青い帯が斜めに切り裂いている。惑星全体を斜めに貫く、全海洋比率51%を占める巨大な「斜海」だ。衛星軌道上から見下ろすその姿は、緑と青が交差する「惑星旗」のデザインそのものであり、圧倒的な存在感を放っている。
その巨大な球体から、宇宙空間へ向けて4本の細い光の糸が伸びていた。ハイファ・ライン、ポート・レギス、セントロポリス、そしてアーカーシーヤー・ガリヤーラー(アカーシャ回廊)の4基の軌道エレベーターが、かつてのリヴェラ星系中枢としての威容を無言のうちに伝えている。
「作戦ルートの最終確認を行う」
ダンの落ち着いた声と共に、手元のコンソールから立体的なナビゲーションウィンドウが空中に展開された。
惑星エリスの球体モデルの上に、二色の光の矢印が表示される。
一つは、鮮やかな赤色の矢印。これは公的に申請された「大気圏突入・離脱試験」の偽装ルートだ。北半球の安全な空域を緩やかにかすめ、再び宇宙へ戻る常識的な放物線を描いている。
そしてもう一つ、青色のライン。これこそが、彼らが進むべき真の航路だった。赤い偽装ルートの裏側で、機首を鋭角に下げ、南大陸上空へ。サハベルデの半乾燥地帯からテラ・アウストラリス大平原を抜け、南東の端―グランド・リフト盆地手前の「アスラ特別開拓区」へと至る、極秘の急降下コースだ。
「いやー、宇宙は最高だな、ダン。この景色見てると、地上のちっぽけな悩みなんて全部どうでもよくなるぜ!」
ギムリーがコントロールスティックを軽く握ったまま、満足げに呟いた。彼の視線の先では、エリスの地表がゆっくりと回っている。
かつて酸化鉄の赤土に覆われた不毛の惑星は、レギュレーターのテラフォーミングによって奇跡の緑へと生まれ変わった。斜海による強力な熱輸送システムのおかげで、極地ですら凍てつくことのないこの星は、失われた故郷・地球以上に過ごしやすい楽園とも言われる。
眼下に見える夜のエリアでは、幾何学的な光のグリッドが整然と輝いていた。レギュレーターの合理的設計思想を反映した都市群だ。だが、その完璧な区画を取り囲むように、人類が独自に増築した郊外居住区の無秩序な光が、まるで有機物のように滲み出し、広がっている。
完璧な秩序と、生きようとする混沌。その二つが奇妙なバランスで共存する光景は、レギュレーターの遺産と人類の終わらない模索を静かに物語っていた。
「そのちっぽけな悩みが原因で、今、俺たちはとんでもなく危険なミッションに突っ込んでいる最中なんだがな」
ダンは、モニターの端に表示されるエネルギー効率グラフから目を離さず、冷静に返す。
「ハハ、そう固いこと言うなよ! たまには素直に感動しろって! レギュレーターがいなくなって、面倒ごとは増えたかもしれんが、この景色を俺たちの意志で飛べる自由は手に入ったんだぜ?」
二人の軽口が、穏やかなコクピットの静寂に溶け合っていく。モニター上の青いラインは、間もなく南大陸の大気圏界面へ到達しようとしていた。その先には、「グレイドロップ」作戦の本番が待ち受けている。
「しかしよ、ミナコの奴が考えた『システムエラーによる偶発的事故』って筋書き、ほんとに連中に通用するのかね?」 ギムリーがふと真顔に戻って問う。
ダンが皮肉っぽく口の端を上げた。 「それは君の演技力にかかってるな。この機体は完璧だが、パイロットの『演技』がどこまでリアルか、という話だ。もっとも、君は普段から芝居がかった男だから適任かもしれん」
「俺の天性の演技力を疑うのか!? まあ、見てろって!……まさかとは思うが、こんな時に本物の不調に襲われるなんていう最悪のオチはないよな? 整備はバッチリなんだろ?」
ギムリーがわざとらしく大声で叫んだ、まさにその瞬間だった。
<WARNING: UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED>
<SYSTEM FIREWALL: CRITICAL ERROR>
けたたましい電子警告音がコクピットの空気を切り裂いた。
平穏だったナビゲーション画面が瞬時に赤一色に染まり、無数のポップアップウィンドウが空間に炸裂するように展開された。
「マジかよ!? 冗談にしたってタチが悪すぎるぜ! なんだこれ!?」
ギムリーの悲鳴と共に、機体が微かに、しかし明らかに不自然な挙動で震える。 ダンの目の前には、機体のシステム構成図を模した3Dワイヤーフレームが回転していた。その外殻部分に、赤いパルスのような光が幾重にも突き刺さっている。侵入経路解析画面が高速でスクロールし、防御壁を食い破ろうとする不正コードの奔流を可視化していた。
「落ち着け!」
ダンは空中に浮かぶ仮想キーボードを叩き、侵入ログを凄まじい速さで遡る。立体表示された通信経路図が、宇宙空間から地表の一点へと赤い線を結んだ。
「発信元はエリス地表……南大陸のアスラ地区周辺か? いや、これは……間違いない、例の『パンデミックは陰謀』デマの配信元だ。匿名アカウント『RX-12』。通信衛星をいくつか違法に経由して、バックドアからここまでハッキングしてきている」 ギムリーが呆れを通り越して、逆に愉快そうに笑う。
「ハッ、宇宙のど真ん中にいる俺たちにまでちょっかい出してくるとか、どんだけ暇なんだよ、アイツ!」
だが、その陽気な声とは裏腹に、彼の表情には鋭い緊張が走っていた。
ヘッドセットのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)を通じて、機体の制御システムに流れ込む微細なノイズが、まるで脳神経を直接ヤスリで削られるような不快感となって伝わってくる。システムの深層部に何かが土足で踏み込んでくる感覚。異常事態の重さが、現実の脅威となって二人を包み始めていた。 「ダン、こいつ、システムのどこまで入り込んでやがる? 表示がおかしいぞ!」 「……深刻じゃない。制御権を奪うほどの腕じゃないが、機体の詳細データをリアルタイムで覗き見しようとしてる。ミナコに即時報告だ」
ダンは通信回線を開き、あくまで冷静に、しかし切迫感を滲ませた声で告げた。
「カーディナル、こちらメープルリーフ。不正アクセスを確認。発信元はRX-12。機体制御に軽微な、しかし無視できない影響の可能性有り。ただちに対応を依頼する」 遥か後方、カーディナルのCIC(戦闘指揮所)。
ミナコ・サトウは、暗い部屋に浮かぶホログラムモニター群に囲まれていた。映し出される膨大な侵入ログのデータを、猛禽のような鋭い眼光で追っている。 「了解。ハッキングの侵入経路はすでに特定中……」
彼女の指先が宙を舞うと、モニター上の赤い侵入ルートが次々と遮断壁によって塞がれていくシミュレーションが表示された。
「ギムリー、ダン、システムの緊急ロックをかけて。航路は一時的に手動で維持しなさい。敵にこれ以上の情報を与えないで」
「おっと、ミナコさん、こんな一番いいところで手動操縦ってか!? 最高にスリル満点だな!」
ギムリーは虚勢を張って笑い、システム連動をカットするレバーを引いた。だが、その額には一筋の冷たい汗が滲んでいる。
眼下には、平和な緑の顔をして、その実、得体の知れない悪意を孕んだ惑星エリスが静かに待ち構えていた。
未知の、そしてあまりにも愚かな悪意が、静寂の宇宙に忍び寄っていた。
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