第3話 極秘ミッション


 エリス軌道上に浮かぶ小型艇母艦「カーディナル」のCIC――作戦情報中枢。無数のモニターが放つ青白い光が錯綜する中央で、ミナコ・サトウは艦内服のベルトをシートに固定し、淡々と、しかし張りのある声で通信を続けていた。

 この艦、カーディナルは、ソル自治政府技術研究局とオービタルガード造船部が共同で建造した、全長300メートルの試作艦である。従来のオービタルガード艦艇をベースにしつつも、汎用輸送船の構造を応用することで、船体下部に広大な格納庫を、そして上部左右には小型艇運用ユニットを備えている。最大6機の小型艇を収容可能なこの「動く前哨基地」は、直径120メートルに及ぶ相反転式回転シリンダー(重力ブロック)を内蔵しており、艦隊指揮を行うこのCICも、乗員の疲労軽減と長期作戦能力維持のため、この重力ブロック内に配置され、快適な0.8G環境が維持されていた。

 ミナコの背後では、若きオペレーター、イチカ・ナイトウが、コンソールの前で、モニターに滝のように流れる情報の一群を食い入るように見つめている。21歳の日系人である彼女は、ショートボブの髪を揺らしながら必死に画面を追っていた。養成学校を首席で卒業したエリート候補生だが、少しサイズが大きく見える制服が、彼女の新人らしさを強調していた。統治終了後、各自治政府に分かれて以来、自惑星以外の宙域でこのような作戦行動が取られること自体が、前代未聞の事態なのだ。彼女の瞳は不安と緊張で揺れ動き、時折、自身の体を固定するグリップを強く握りしめていた。

 その隣、一段高い位置にあるチーフシートでは、ベテランオペレーターのアミラ・ノエルが、静かな湖面のような落ち着いた眼差しでCICの隅々までを掌握している。35歳、インドと東欧の混血である彼女のエキゾチックな美貌は、きっちりと束ねられた長い髪と共に、この場の空気を鎮めるような威厳を放っていた。彼女は単なるデータの管理者ではなく、このチームの精神的な支柱として、未熟なイチカや、時に厳しすぎるミナコを見守っている。

「メープルリーフ、今回のミッションは公式上、エリス周回軌道上での大気圏突入・離脱試験です」

 ミナコの声はあくまで冷静だが、その整った顔立ちとクールな瞳の奥には、鋼を叩いて鍛えるような鋭い緊張が滲んでいた。23歳という若さでこのミッションのリーダーを任された彼女は、プロフェッショナルとしての誇りと、失敗を許さない潔癖さを併せ持っている。

 通信画面の向こうで、パイロットのギムリーが顔を寄せ、悪戯っぽく笑う。

「公式上、試験、ねえ? あんたらの司令部がそんなに大騒ぎしてるのと、無関係だなんて言わせないぜ。例の封鎖地区のデマ、ずいぶんと景気よく燃え上がってるじゃないか」

 ミナコの眉が、ミリ単位で動いた。彼女は手元のコンソールを滑らせるように操作し、メープルリーフのコクピットモニターに問題のデマ配信映像を転送した。

「ワクチンはソルがエリスを支配するための毒だ!」

 匿名アカウント「RX-12」のヒステリックな金切り声が響き渡る。その下で、コメント欄は「我らの自警隊を信じろ!」「他惑星からの干渉を断固拒否する!」といった狂信的な書き込みの濁流で埋め尽くされていた。

 イチカが、信じがたいものを見るかのように囁いた。

「こんな、あまりにも稚拙なデマを…本気で信じる人がいるんでしょうか…?」  アミラはシートを回転させてイチカの方を向き、静かに首を振って諭すように言った。

「扇動というのはいつだって、不安という名の肥沃な土壌に、甘く心地よい言葉の種を蒔くものよ、イチカ。絶対的な『事実』を示してくれたレギュレーターが去った今、人々は何を信じればいいのか分からない。だからこそ、分かりやすい敵と単純な物語に、救いを求めて飛びついてしまうの」

 ミナコは映像を消し、再び二人のパイロットに意識を集中させた。

「察しがいいわね、ギムリー。公式発表は試験。その実態は『グレイドロップ作戦』――アスラ開拓地区近傍へ、ダミーコンテナで偽装したワクチン原材料を投下する緊急ミッションよ。エリス南部でパンデミックが拡大する中、排他的思想に染まった自警団『アスラ・ガーディアン』が地区を実力で封鎖している。悪質なデマがパニックを煽り、動揺した住民が彼らを支持してしまったの。自治政府の説得も、もはや届かない。ベリテのナラヤ・バイオラボがワクチンを製造したけれど、この封鎖で輸送手段がない。あなたたちの仕事は、『システムエラーによる偶発的事故』を装って封鎖空域を突破し、演習用ダミーに偽装した医療ポッドを投下すること。失敗は、絶対に許されないわ」

 ギムリーが楽しそうにコンソールを拳で軽く叩いた。

「ハハッ、つまり俺たちが盛大にトラブルを起こす役を演じて、連中の度肝を抜いてやるってわけか!それなら任せな。相棒のお嬢さんと一緒に、最高のショーを披露してやるぜ!」

 一方、相棒のダンは冷静に首を振る。

「ミナコさん、ギムリーのそのお祭り好きな性格まで計算に入れているな。だが、気になる噂がある。自警団はどこからか戦闘機を調達したらしい。デマの拡散といい、あまりにタイミングが良すぎる。この騒ぎの背後には、もっと大きな組織がいるのではないか?」

「そこなのよ」と、今度はギムリーが真顔で口を挟む。

「戦闘機って言っても、どこから飛ばすんだ? さすがにそこらの野原からってわけにもいかないだろう。大規模な飛行場でも建設すればすぐに噂になるはずだが、そんな話はとんと聞こえてこない。ただのガセネタじゃないのか?」

 ミナコの瞳が、一瞬、レーザーサイトのように鋭く光った。

「その『何者か』の存在は、政府も最重要課題として捉えているわ。ただの愉快犯が、これほど大規模で周到な騒ぎを起こせるはずがない。でも、今の最優先事項はワクチンを届けること。協力者が漁船に偽装した作業船で待機し、水中ドローンでポッドを回収する手はずになっている。だからこそ、ピンポイントでの正確な投下が絶対条件なの。カーディナルが全機能をもって、あなたたちをフォローする」

 イチカが思わず声を上げた。

「あ、あの、その戦闘機ですが、AIによる高度な機動補助で、予想以上の性能を発揮するという未確認情報も…!? メープルリーフは、本当に…?」

 アミラがその言葉を遮るように、穏やかに、しかし揺るぎない力強さで言った。「イチカ、落ち着いて。『メープルリーフ』はただの軌道往還機じゃないわ。それに、ギムリーの操縦技術と、ダンの冷静な判断力、そして私たちのサポートが揃えば、成し遂げられないことなんてない」

 ミナコが小さく頷き、このブリーフィングで初めて、その口元をわずかに緩めた。それは氷解というよりは、獲物を前にした捕食者の笑みに近かった。

「その通りよ。期待しているわ、ギムリー、ダン。……まあ、もし失敗したら、帰還後にあなたたちをエアロックから直接宇宙空間に放り出すことになるけれど」

「おおっと、ミナコさん、その目は本気で洒落になってないぜ! よしダン、お嬢さんを起こして、サクッと終わらせるぞ!」

 ブリーフィングを終えたメープルリーフは、ヘルメスレールの広大な格納エリアを静かに滑り出した。機体を煌々と照らしていた作業灯が次々と後方へ流れ去り、その先に広がる深淵の闇の中へと続く、カタパルトの誘導レールが姿を現す。

「大気圏モードへ移行、システム展開」

 ダンの冷静な声と共に、ASX-02 メープルリーフが変形を開始する。真空の宇宙空間において、空気抵抗など存在しないはずの場所で、機体はあたかも目に見えない大気の流れを感じ取ったかのように身じろぎした。

「カナード、リンク確認。作動良好」

 機首の両脇にある鋭利なカナード(先尾翼)が、カシャリという硬質な音を立てて角度を変え、仮想の気流を切り裂くように上下に動く。

「主翼展開、可変後退角調整」

 続いて、背中に折り畳まれていた主翼が、油圧アクチュエータの重厚な唸りと共に前方へとせり出した。物理法則に逆らうかのような、美しくも特異な「前進翼」のシルエット。翼端が機首方向へ向かうその形状は、不安定さと引き換えに驚異的な旋回性能を生み出す。

「尾翼スタビレーター、ロック解除」

 最後に水平尾翼が細かく振動し、制御系の神経が機体の末端まで通ったことを告げた。推進機関、RIF――回転慣性融合エンジンの駆動音が、地殻の鳴動を思わせる重低音となり、コクピットの空気をビリビリと震わせた。

 ギムリーが外部モニターに映る自機のシルエットを見て、愉快そうに笑う。

「なあ、ダン。この前進翼とカナードの組み合わせ、カエデの葉っぱみたいだろ? だから『メープルリーフ』。ソルの技術屋も、なかなか粋なネーミングセンスだよな!」

 ダンが微かな笑みを返す。

「君がこの機体を『お嬢さん』と呼ぶセンスよりは、確かにな。だが、この鋭角的な機首や翼のラインは、葉というより槍の穂先だ。一切の無駄を削ぎ落した機能美の塊……俺の好みだよ」

「大気圏モード、システムオールグリーン。ウェーブライダー形態に復帰」

 確認を終え、再び空気抵抗を極限まで減らした流線形の姿に戻ったメープルリーフは、精密な誘導システムによって寸分の狂いなくカタパルトシャトルに接続された。

「接続完了。カタパルト、射出シーケンスに入ります」

 ヘルメスレールの中央管制塔から、感情の乗らない重厚な合成音声が響き渡る。リニアレールの超電導コイルが励磁され、周囲の空間が微かに歪むような錯覚を覚える。機体全体がごくわずかに震え、やがて全身がシートに深く沈み込むような、予備加速のGがのしかかってきた。

「電圧臨界突破。エネルギー充填率120%。進路クリア」

「カウントダウン開始。5、4、3、2、1――」

 ゼロのコールと同時、物理法則を捻じ曲げるかのような圧倒的な電磁推進力が炸裂した。

 ドォォォォンッ!!

 凄まじいGが全身を圧し潰し、内臓が背骨に張り付くような感覚に襲われる。視界の隅から急速に色が失われていく。網膜に焼き付いた計器の光が歪み、世界がモノクロームのトンネルへと収束していくかのようだ。

 意識が肉体の奥深くへと引きずり込まれる感覚。次の瞬間、その圧迫から解放されると同時に、メープルリーフは一条の光の矢と化して、星々が瞬く漆黒の闇へと撃ち出されていた。

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