第2話 発進準備

 リヴェラ星系――エリス、ソル、ベリテの可住惑星を中心に、シルト小惑星帯の採掘地やティエルの遠隔外縁を内包する人類の新天地。その中心、エリスの空に、光の軌跡が弧を描く。レギュレーターの統治時代に星系を統べた旧中枢、惑星エリス。その衛星ディアナとの重力均衡点(ラグランジュ・ポイント)に、巨大な電磁加速器「ヘルメスレール」が浮かんでいる。

 初めてこの地を訪れる旅人が舷窓越しにその姿を目にしたとき、まず襲われるのは圧倒的なスケール感による目眩だ。直径数キロに及ぶ巨大なリングステーションは、さながら宇宙空間に鎮座する神の冠のようであり、そこから突き出した8本の加速レールは、無限の虚空へと伸びる槍を思わせる。かつての統治を象徴し、今も星系の物流を支えるこの遺産は、単なる建造物という枠を超え、見る者に畏敬の念すら抱かせる。

 磁力で物体を射出するリニアカタパルトとして、エリス宙域の物流を統括する交通のハブ。ここでは、重力の呪縛から解き放たれた鉄の巨塊たちが、音のない舞踏を続けている。

 管制室には無数のモニターが光を放ち、ひっきりなしに貨物船や往還機が行き交う。

「旅客船『ステラ・マリス』、カタパルト射出シークエンスに入ります。乗客への影響を考慮し、加速はカテゴリーBで実行」

 合成音声のアナウンスと共に、純白の流線形をした『CS-02 セレステ』型の惑星間旅客船が、リングステーションから伸びるレールへと接続される。

 見学デッキからその様子を眺めれば、電磁場が発する不可視の波動が空気を震わせるような錯覚を覚えるだろう。激しい加速Gを抑えた滑らかな動きで、船体は着実に速度を上げ、レールエンドで放たれた閃光とともに、やがて光の点となってソル惑星方面へと消えていった。

 リングステーション内部は、さながら巨大な蟻の巣だ。壁一面に並ぶモニター、床を走る青白い誘導灯、天井を這う無数のケーブル。数百人規模の管制官やオペレーターが、まるで機械のように正確な動きで端末を操る。港湾エリアでは、巨大な貨物船がアームに導かれ、ゆっくりとドッキングベイに接岸していく。無重力空間での精密作業は、レギュレーターが設計した完璧な秩序そのものだった。

 その管制室の一角、ニュースモニターの画面を、赤い警告文字が埋め尽くした。

「エリス南部、アスラ開拓地区にてパンデミック発生。浄水システムの不調により湖水ウイルスが混入、住民多数が感染。エリス自治政府は、緊急事態を宣言」

 映像には、防護服の隊員と隔離バリアに閉ざされた街並みが映る。

 突然、画面が乱れ、ハッキングによる匿名配信が割り込んできた。

「ワクチンは政府の陰謀だ!封鎖地区は人体実験場にされた!」――怒声とともに、コメント欄が「暴動を起こせ!」「エリス政府は真実を隠してる!」といった扇動的な文字で溢れかえる。

 オペレーターの一人が苛立たしげに呟いた。

「またこの手のデマか。悪質だな……」

 だが、すぐに自らの業務に戻っていく。レギュレーターが去った今、こうした混乱は日常茶飯事だった。

 広大な格納エリアの一画では、ソル自治政府が開発した試作強襲往還機、ASX-02「メープルリーフ」が静かに鎮座していた。全長45メートル。超音速下で機体下面に発生する衝撃波を利用して揚力を得る、ウェーブライダー形状の楔形をした機体だ。純白の機体は、自己修復機能を持つ特殊なナノコーティングで太陽光をきらめかせ、まるで銀の葉のように見えた。

 その向かいのベイでは、エリス製の民間往還機、CA-11「ストライア」が静かに動き出し、カタパルトへと向かっていく。全長60メートル、流線型胴体に可変デルタ翼を備えた第三世代の貨客往還機は、貨物と人員をエリス表面からヘルメスレールをはじめとした軌道上の各地へ運ぶために設計された。振動抑制システムと洗練された曲線が、短時間の軌道輸送を快適かつ迅速に保つ。物流ハブの喧騒の中、メープルリーフの鋭角的な戦闘的フォルムに対し、ストライアの流麗なシルエットは先進的な機能美を放っていた。

 無重力が支配する整備ベイでは、作業員たちが忙しなく飛び回っていた。彼らが纏うのは、関節部にサーボアシスト機能が組み込まれた、強化外骨格付きの船外活動服だ。ヘルメットのバイザーには常に貨物の重量配分や重心位置がAR(拡張現実)で表示されている。

 彼らは多脚型の自律ローダーと連携し、吸着パッドのついた多関節アームを巧みに操っては、コンテナをカーゴベイへと滑り込ませていく。重い物資が羽毛のように扱われる光景は、一見優雅だが、ひとたび制御を誤れば凶器と化す緊張感を孕んでいる。

「おいおい、そんなに詰め込んだら、このお嬢さんが機嫌を損ねちまうぜ?優しく扱ってやってくれよ!」

 コクピットで最終チェックを行っていたパイロット、ギムリー・アリソンが通信越しに陽気に叫んだ。茶色がかった癖毛と、悪戯っぽい笑みが彼のトレードマークだ。

 彼が座る「メープルリーフ」の操縦席は、旧時代の航空機とは一線を画す空間だった。並列2座式のシート周辺からは物理的な計器類が極限まで排除され、代わりに空間に浮かぶホログラム・マルチモニターが、機体状況から戦術データまでを立体的に表示している。パイロットの手元には物理的なスイッチ類は見当たらず、指先の動きをセンサーが読み取る「エアタッチ・インターフェース」が採用されていた。指を空中で滑らせるたび、光の粒子が反応し、複雑なシーケンスが実行されていく。

 頭上を覆う横長のキャノピーは、一見するとただの強化ガラスに見える。しかし、大気圏突入時にはナノカーボン製の装甲シャッターが瞬時に閉鎖され、完全な密閉状態となる。その際、キャノピー内壁は高精細な全天周囲モニターへと切り替わり、外部センサーが捉えた映像を遅延なく投影するのだ。

 さらに、頭上や足元の死角となる装甲部分にも、外部カメラの映像を合成して投影する機能があり、パイロットはまるで機体が透明になったかのような、戦闘機特有の開放的かつ圧倒的な視界を得ることができる。

 隣でホログラム計器を睨んでいたコパイロット、ダン・ヴァンキッシュが、空中に浮かぶニュース配信のウィンドウを一瞥してため息をつく。

「ギムリー、その『お嬢さん』呼び、いい加減にしたらどうだ。それよりニュースは見たか?パンデミックにデマの拡散。一体、誰が何の目的でこんな真似を……」  ギムリーとは宇宙飛行士養成所からの付き合いだ。同い年だが、端正な顔立ちと落ち着いた雰囲気を持つダンは、常に冷静だった。

「ハッ、レギュレーターがいなくなってから、こんな騒ぎはしょっちゅうじゃないか。陰謀論なんて笑い飛ばせばいいのさ!俺とこのお嬢さんが、パニックごと吹き飛ばしてやる!」

 軽口を叩き合いながらも、二人の手元に一切の緩みはない。エアタッチによる素早い計器調整、システム確認、推進剤チェック――長年のコンビネーションが生む絶対的な信頼が、そこにはあった。

「これより、カーディナルより重要通信です」

 機内スピーカーから合成音声が響く。ギムリーとダンは表情を引き締め、正面のホロウィンドウに視線を集中させた。

 映し出されたのは、治安維持組織「オービタルガード」のオペレーター、ミナコ・サトウ。23歳という若さながら、その整った顔立ちとクールな眼差しに、微かな緊張が滲んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る