第20話 不審な人と、大切ニャもの


「あ、生きてた」

 お母さんの声。頭の中にある記憶だけでそっくりな似顔絵をかけそうなくらい、見飽きるほど見たことがあるお母さんが目に映る。

 これまでニャコ、と呼んでくれていたように聞こえていたのは、お母さんの「奈子」と呼ぶ声だったみたい。

 ここはいつも寝て、目を覚ましてを繰り返している見慣れた部屋。ただの現実世界だ。

 あたりを見回す。

 ニャムはいない。

 ニャムがいる現実世界で目覚められたらよかったのに。

 こんな世界、今のあたしにとっては物足りなくて――心細いよ。

「ちょっとは人間らしい温度に戻ったみたいね。病院行った方がいいかなっていろいろ探しはしたけど……。この感じなら行かなくてもいっか。様子見て、また雪女に戻っちゃったら病院行くでいっか」

 あたしのおでこに当てた手で自分のおでこを触りながらお母さんが言った。

「……あっそ」

「あっそ、って他人事みたいに。いろいろ無くなってるってことは、食欲はそこそこあるんだね。う~ん。じゃあ、なんで雪女になっちゃったかなぁ。あ、もしかしたらあれじゃない? 運動不足! 勉強のし過ぎで動き足りないとか! 一緒にラジオ体操でもする?」

 お母さんが腕を上にあげて、大きく背伸びした。

「ほらほら、ご一緒に!」

 腕をつかまれた。引っ張られた。よろよろと立ち上がる。お母さんの真似をして、大きく伸びをしてみる。

「手足の運動! いち、に、さん、し――」

 なんでこんなことをしているんだろう。これはさすがに計画外だよね? 余白の部分だよね?

「腕を回します! いち、に、さん、し――」

 ちらりとお母さんの顔を見てみる。

 お母さんは、不安そうで、強がった顔をしていた。

 あたしのことを心配してくれている?

 心配していることを悟られないようにって強がっている?

「足を……このあと、なんだっけ?」

 なんだ、不安げだったのは、ラジオ体操の内容を覚えてなかったからってだけみたい。

 そうわかったら、なんだかちょっと心がほぐれてきた。

「足を横に出すんじゃなかったっけ?」

「横に出してどうするんだっけ?」

「胸を張るんじゃない?」

「そうだっけ?」

「わかんない」

 あたしたちは、記憶の中にある動きをかき集めて、体を伸ばした。ネコみたいに、ぐぃーんって。

 ひたすらに体を動かしていたら、だんだんポカポカしてきた。

 額に手を当ててみる。キンとしない。もう雪女だなんて言わせないってくらい、冷たくない。

「お母さん、ありがと。なんかちょっと、元気出てきた」

「本当?」

「いや、嘘ついたってしょうがないでしょ」

「まぁ、そうね。……あれよ。無茶しちゃだめよ。勉強頑張るのは否定しないけど、少しずつ、ね」

「ああ、うん。わかった」


 晩ごはんをしっかり食べてぐだぐだとしていると、玄関から音がした。

 お父さんが帰ってきた音だ、と思うんだけど……何か変だ。

 あたしはお母さんと目と目で会話をして、それから包丁を持ったお母さんの背中に隠れながら、忍び足で玄関へ向かった。

 そっと様子をうかがってみる。お父さんにそっくりな男の人が、ダンボール箱とにらめっこしている。

「誰っ⁉」

 お母さんが包丁を突き出しながら叫んだ。包丁がプルプル震えている。いつからかお母さんの服を掴んでいたらしい自分の手を見る。あたしの手もプルプルと震えている。

「う、うわぁ! やま……んばじゃない! 何? 何がどうしたの⁉」

 男の人がこっちを向いた。その人は怯えた声で叫ぶと、ぶるると体を震わせた。

「なんだ、お父さんじゃん」

 お母さんが包丁を下ろした。

「ほんとうだ、お父さんだ」

「え、いったい何? 何がどうなってるの?」

「もう。帰ってきたんだったら、ただいまくらい言いなさいよね」

「そうそう」

「え、ええっ⁉」

「人騒がせな。それで? なんでダンボールを見つめてんの?」

 お母さんが呆れた声で問いかけた。

「ああ、いや……。置き配の荷物があったんだけど、なんか変な感じがしたものだから」

「変な感じ? ただの箱じゃん? っていうか、コレ……頼んでた推しのグッズ!」

 お母さんの目がきらん、と輝いた。

 あたしはお父さんと目と目で『推しって誰?』と会話した。

「やったー! 早速開けよーっと!」

 お母さんがダンボール箱に手を伸ばす。その時、あたしは気づいた。ダンボール箱の上に――いる!

「ちょっと待った!」

「はぁ? 待って? もしかして、奈子もシュンくん推しなの?」

「シュ、シュンくん⁉」

「え、シュンくんって誰?」

 お父さんが、あたしを見ながら言った。ごめん、お父さん。お母さんが推しているほうのシュンくんは、あたしも知らない。

「お父さんは黙ってて」

 お母さんが雪の魔女みたいに冷たい声で言うと、

「あ、はい……」

 お父さんがしょんぼりと肩を落とした。

「あ、あたし、シュンくん知らない! カッコいいの? じゃあ、あとで見せてよ。この箱、あたしがリビングまで運ぶから。お父さん、お腹ペコペコでしょ? お母さんはお父さんのご飯の準備をしてあげてよ!」

「ああ、まぁ、いいけど……なんで? 別に自分で運べるけど……」

「ほ、ほら! 包丁持ってるし!」

「え? わっ! 本当だ! いつから持ってる? 危なっ! 物騒! それじゃあ、奈子。リビングまでよろしく~」

「任せて! ほら、お父さんは、手洗いうがい!」

「あ、はい」

 あたしはにっこり笑顔でダンボール箱を抱えた。リビングへと急ぐ。

「ここ置いておくね!」

「うん。ありがとう」

 あたしは、お父さんとお母さんには見えないらしい半透明の真ん丸を抱えて、部屋へと急いだ。


 この真ん丸は、絶対に――ニャムだ。

 熱くない。冷たくもない。ただのちょっと空気が抜けたビニールボールみたいな真ん丸をそっと撫でる。

「あたしにはお見通しなんだからね。あなたがあたしの人生計画書の化身だって。ねぇ、ニャムぅ」

 するとその時、真ん丸からしっぽがぴょこん、と出てきた!

 あたしは真ん丸を抱き上げて、それから、

「ニャム! ニャム! ニャムっ‼」

 何度も何度もニャムを呼びながら、ブンブンと振った。



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