第15話 ネコだけどネコじゃないネコとツナ


 朝が来た。

 真っ先に半透明のネコをそっとさする。

「おはよう」と囁くと、『うニャー』っとニャムが伸びをする。

 出会ってすぐはドタバタしっぱなしで、言い争うことも多くて、正直疲れた。

 でも、慣れてしまったら、話ができる不思議なネコとの生活はとても面白い。

 小さいころ、ぬいぐるみとか人形を買ってもらったときに、頭の中に描いた夢が現実になったみたい。

 動いたらいいのに。しゃべったらいいのに。一緒にお茶できたらいいのに――。

 今はもう、そんなこと現実では起こりえないと学んでしまって、描くことができなくなった夢。

 あの頃のあたしに、教えてあげたい。

 その夢、近いうちに叶うように、ちゃんと計画してあるからねって。

『ニャコ、どうしたニャ? ニャんで朝からそんニャ変ニャ顔をしているのニャ?』

 きょとんと首をかしげて、ニャムが問う。

 そんなに変な顔をしているのかな。

 気になって飛び起きて鏡を手に取る。顔を映す。

 別に変じゃない。いつものあたしのような気がする。

『ニャー。おニャか空いたニャー』

「ご飯食べに行こうか」

『今日はニャにかニャー』

「昨日お父さんが買ってきてくれた、ちょっと高いけどおいしいらしいパンでしょ」

『ああ、あのたぶんおいしいパンかぁ。お味が気にニャるニャ~。ねぇ、ニャコ。ちょっといいかもしれニャいパンにツナを挟んだら、とってもいいパンにニャるかもしれニャいと思わニャい?』

 ああ、見えた。ニャムの頭の中が、あたしには見えた。

「たしかに、そうかもね~」

『ニャニャ? ニャんで笑っているニャ?』

「ニャ~んでもニャい」


 ダイニングへ行くと、テーブルの上には予想通りパンが置いてあった。

「おはよう、奈子」

「おはよう。ねぇ、お母さん。ツナある?」

「え、なんで?」

「ツナサンド作りたい」

「いや、今日のパン、いいパンだからさ、そのままがいいよ。ツナサンドは安いパンでやりなよ」

「いや、いいパンだからツナサンドにするんだよ。超いいパンにできるじゃん?」

「ええ、そうかなぁ……」

 お母さんは不満を少しも隠さなかった。

 でも、あたしの気持ちを受け入れてくれなかったわけでもなかった。

 いったいどうして急にツナ? と、顔にしっかり書きながら、あたしにツナとマヨネーズをくれた。あたしは椅子に腰かけ、ツナとマヨネーズを和え始めた。

 あたしの足の上にぴょんと飛び乗ったニャムが、今にも器に顔を突っ込みそうにしている。本物のネコだったら、こんなことをされたら〝見えないよ〟って文句を言わなくちゃいけないんだろうけど、ニャムは半透明だから、ニャム越しに器が見える。

 なんだかとっても、変な気分。だけど、ふたりで同じものを見られるのって、なんだかとっても、いい気分。

 パンを手に取る。すごくもちもちしている。いつものパンの耳は硬いけど、このパンの耳はふわふわだ。

 なんだか少し、ニャムの感触に似ている気がする。

 パンの感触を楽しんでいると、優しいネコパンチが飛んできた。

 遊んでいないで早くツナサンドをつくるニャ、と、ニャムが目で言っている。

「ねぇ、お母さん」

「どうした? やっぱりツナサンドやめる?」

「ううん。このパン、ネコみたいじゃない?」

「……はい? ネコはこんな大福みたいな触り心地じゃないでしょ」

 なるほど、ニャムは大福みたいな触り心地ってことか。

「ほらほら。食べ物で遊ばない。ちゃっちゃと食べる! 遅刻するよ?」

「あ、はーい!」

 遅刻理由が〝パンを触っていたから〟なんて、そんなの嫌だ。

 あたしは急いで出来立てのツナサラダをパンに挟んで、

「いただきまーす! あ、このパン、ちょっと甘い?」

「そうだよね。優しい甘さでパクパク食べられちゃう。それにさ、バターをしっかり感じるよね」

「確かに! ああ、これ、追いバターしてはちみつかけるやつだ!」

「そうそう! ハニートーストにぴったり! ……だけど、ツナ、合うの?」

 お母さんが怪訝な顔をしてあたしの手元を見た。

 合わないわけじゃない。でも、正直を言えば、とっても合うわけでもない。

 どうしてもサラダを挟まないといけないとしたら、ツナじゃなくてタマゴがいいなって、あたしは思う。

「まぁ、そこそこ?」

「ちょっと後悔してるでしょ」

 あたしの顔、そんなにわかりやすいかな。

 あたしの心の中は、お母さんにお見通しみたいだ。

「ちょっとだけね。ほらほら、お母さん、いろいろやることあるでしょ? しっしっ」

「まぁ、いろいろあるけどさ。しっしっとは失礼な」

 ふてくされて口をとがらせたお母さんが、洗濯機のほうへ行った。

 チャンス到来だ。

 あたしはツナサンドを小さくちぎって、ニャムに差し出した。

 ニャムは待ちくたびれたじゃニャいか! と言わんばかりに腕を伸ばして、ネコパンチの速度でそれをあたしから奪うようにとると、がぶりと頬張った。

『ニャハ~』

 ニャムにとっては最高の味みたいだ。

「ねぇ、ニャム」

『ニャ~?』

「あたし、よくわかってないんだけどさ。本物のネコは、ツナサラダ食べられないよね?」

『たぶんニャ~』

「たぶん、って。ネコのことはお見通しじゃないの?」

『そんニャわけニャいニャ。ニャムにおみと~しニャのはニャコの計画、未来だけ。ニャムはネコのことニャんてよくわかんニャいニャ~』

「へぇ。じゃあ、なんでネコなの?」

『そりゃあ、ニャコが〝化身の姿はネコ型〟って書いたからじゃニャいか。忘れたのニャ?』

「忘れたっていうか……。産まれる前のことなんて覚えてないって」

『ニャハ! ま、そっか! ニャコ、おかわり』

「はいはい。……って、これで最後だよ? あたしの分なくなっちゃうから」

『ニャコのケチ』

「ケチで結構」

 慌ただしい朝は、ひとりぼっちになってしまう瞬間がある。

 それは時に寂しい。

 だけど、あたしの最近の朝は、誰かにひとりぼっちに見えても、ひとりぼっちなんかじゃない。

 いつもすぐそばに、時にうざったい、幻のぬくもりがある。

「あっ! 勝手に!」

「奈子、どうしたの? 何かあった?」

「な、ななな、なんでもないっ!」

 泥棒ネコに、あたしのパンを盗られただけ!



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