第14話 おさかニャとお父さん
「ごはんできたよー!」
いつものお母さんの声だ。お母さん、まだ怒ってるかな……って思ったけれど、そんなに怒っていないみたい。
でも、ちょっとだけ不安。だからあたしは、ニャムに聞いてみることにした。
「ねぇ、ニャム」
『ニャ?』
「お母さん、まだ怒ってる?」
『ニャんでそんニャことを聞くニャ? お母さん、怒ってニャい声だったニャ』
「ニャムもそう思う?」
『そう思うっていうか、そう聞こえたニャ』
「計画上は?」
『ニャいしょ』
あたしは確信した。ニャムにお見通しであるとすれば、お母さんはもう怒っていないって。
いつも通りにキッチンへ行こう、と思った。
でも、あれれ? いつもって、どんな感じで行っていたっけ?
いつも通りのことって何の気なしにやっているから、いざそうしようとするとさっぱりわからない。
『ニャ、ニャニャニャ』
ニャムがいつも通りにしようとして変になっているだろうあたしを見て、クスクス笑っている。
なんだかムカつく。
だけど、ニャムはいつも通りでいてくれているような、そんなニャムと一緒ならいつも通りに戻れるような気がして安心した。
何の気なしに歩いてみる。これが本当のいつも通りかどうかはわからないけれど、いつも通りっぽい気はする。
「おいしそうな匂い」
「でっしょー? 本日は鮭のムニエルでございます」
ニャムが喜びそう!
「やったぁ! お魚!」
『おさかニャー!』
ニャムがぴょん、ぴょんとテーブルに飛び乗った。やっぱりだ。目をキラキラさせて喜んでいる。今にも食べだしそう……だけど、ぐっと我慢しているみたい。
「あれ? 奈子ってそんなに喜ぶほど魚好きだったっけ?」
「え? ああ、ええっと……。最近お魚もいいなって思うようになって……」
「あ、そう。あ、食事前に渡すものじゃないかもしれないけど、忘れそうだから……コレ」
「なに?」
差し出されたポチ袋を受け取る。
ポチ袋なんて、お正月にしかもらわないけどな。
なんか変なの。
早速開けて中を見てみる。
中にはお金が入っていた。
「なんで、お金? チョコ、あたしのお小遣いで買ってくるよ?」
「ああ、うん。ありがとう。そのお金でついでに奈子の分も買ってきてほしいんだけど、いい? せっかくだしさ、一緒に食べたいなって思って」
どういう風の吹き回しだろう。
よくわからない。
ニャムを見る。
いっそう目をキラキラさせている。
そして、鮭を見たときから緩みだしていた口元が、今はもう完全に緩みきっていた。
『チョコ~!』
落っこちそうなほっぺたを支えながら、美味しい記憶を引き出しているみたい。
「……わかった」
「よろしくね」
「うん。それじゃあ、いただきます!」
「はーい。めしあがれ」
お母さんがドレッシングを取りに行ったすきに、鮭のムニエルをお箸でつまんで、チョコの夢に溺れているニャムの口に突っ込む。
『うニャ⁉ おさかニャチョコ⁉ ちがう! おさかニャ~』
夢から醒めて現実に戻ってきた瞬間のニャムの顔は、写真に撮って、いつでも見られるようにしておきたくなるくらいに、可愛くて、愛おしかった。
お父さんが帰ってくると、お母さんが真っ先に、
「ねぇ、奈子、お魚もいいなって思うようになったんだって!」
と報告しに行った。
そんなに重大事項かなぁ。あたしはニャムと一緒にきょとん、と首をかしげる。
「お父さんの鮭、食べるか?」
「え、いや、別にいい」
「そう、遠慮せず」
「いや、もう自分の分、食べたし」
「……そう?」
「うん」
お父さんが、ちょこっとしょげた。
あたし、何か悪いことした? お父さんがどうしてしょげちゃったのか、あたしにはさっぱりわからない。
すると、お母さんがくすっと笑って、
「奈子が覚えているかわからないけど、昔、『魚嫌い!』って言ってたんだ。それで、嫌いじゃしょうがないって、お父さん、お魚好きだけど、奈子が食べてくれるのが一番だからって、『お肉の日を増やそう』って言ってね。そんなこんなで、我が家はお肉料理を出すことが多いわけ」と言った。
「へぇ、全然覚えてない。っていうか、給食とかで普通にお魚食べてるけど」
「えぇ、でも、家じゃお魚出しても〝なんだ、魚か〟みたいな反応じゃん」
「いや、お肉でも〝あぁ、お肉か〟って反応してるんじゃないかと思うけど」
まぁ、どっちがいい? って選ばせてもらえるとしたら、ニャムと会うまでは絶対お肉を選んでいただろうから。
そういう風に見えていても、おかしくはないのかも。
「そうだったの?」
「うん。まぁ、あたし、別にお魚でも平気だから。お父さんが好きなら、もっとお魚の日が増えても平気だよ。っていうか、お魚好きだったんだね。あたし、知らなかった」
「だって、奈子、『お魚好きなんておかしい、おとー、おかしい!』って言ったから、お父さん、魚が好きなことを隠していたんだよ」
「それ、いつの話?」
「ええっと……何歳だったっけ?」
「三歳とか四歳じゃない?」
……幼稚園の頃のことなんて、すっごく楽しかったことと、すっごく興味を持ったことと、すっごく悔しかったことと、すっごく悲しかったことくらいしか覚えてないよ!
『ニャニャニャ』
ニャムが優しく笑った。
お母さんみたい、って、あたしは思った。
もしかして、このやり取りも全部、計画のうち?
例えば、小さい頃は魚が嫌いだけど、大きくなったら魚が平気になって、ニャムと出会ってからそれがバレて、お父さんと一緒にお魚を食べるようになる……とか計画してあった?
「あ、そうそう。そういえば、今日はお土産があるんだ」
「なになに?」
「じゃじゃーん! パン!」
「……パン?」
優しくてあったかい雰囲気が広がっていたはずの部屋の中に、きーん、と冷たい何かが流れ込んだ気がした。
「あれ? ダメだった?」
「いや、ダメじゃないけど……なんでパン?」
「会社の近くにパン屋さんができてさ。そこの食パン、ちょっと高いけどおいしいって教えてもらったから」
「ああ、そう」
お父さんが、またしょげた。もっと喜んでもらえる計画だったんだろうな。
あたしはなんだか申し訳なくなって、お父さんにニッコリしてもらうためにできることはないか考えた。
「お父さん! パンありがとう! あと、鮭、一口もらっていい?」
「どういたしまして! 一口と言わず、二口でも! 一緒に食べよう!」
お父さんに笑顔が戻った!
お父さんってこんなに単純で、こんなに可愛かったっけ?
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